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感想・レビュー・書評
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子規の追懐噺。感傷的にならず、ユーモラスに正岡を語る。
これも彽徊趣味か。
そもそも漱石は諧謔精神たくましく、サービス精神旺盛な人であったようだが。
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とくに
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同い年の夏目漱石が語る、食い意地の張った正岡子規の話。
気位が高く、好き嫌いが激しく滅多に人と交際しなかった正岡子規が自分と交際したのは、僕の方が人が良かったからだ、などと書かれた文章の端々に、やや扱いづらい友人に対する愛着のようなものを感じた。 -
1867(慶応3)年に、正岡子規と夏目漱石は生まれた。正岡子規は、松山藩士正岡常尚と八重の間に長男として生まれた。翌年に明治維新となる。1889(明治22)年に第一高等中学校で、2人は出会う。
「正岡の食意地のはった話」
正岡は、中国から戻ってきて、夏目漱石のところに転がり込む。周りからは、肺病だからやめなさいと言われても、漱石は構わずに子規を受け入れていた。
正岡は「昼になると蒲焼を取り寄せて、ぴちゃぴちゃと音をさせて食う」それで、その蒲焼の代金は、「払ってくれたまえ」と子規は漱石にいう。さらに、金を貸せとまでいう。
子規は寒いので便所に火鉢を持ち込んだ。またその火鉢で牛肉をじゃあじゃあ煮て食う。
子規は、妙に気位の高かった男で、僕なども一緒に気位が高かった。そして、好き嫌いのあった人で、滅多に人と交際などしなかった。とても円滑な交際のできる男ではなかった。政治家的なアムビジョンがあった。仕切りに演説もした。2人で歩いていても、きっと自分の思う通りに僕を引っ張り回した。
漱石の子規に対する目線が実に柔らかい。そして、子規のわがままぶりを楽しんでいるようだ。
いい友達だったのだ。 -
夏目漱石の正岡子規に対する友情を感じることができる小編。
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何とも言えず良いな、このエッセイの感じ。
良い友人を持つということは思うに人生の豊かさそのものであり、漱石も子規も羨ましい限り。