チベット旅行記 [Kindle]

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  • 2012年10月5日発売
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  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (957ページ)

感想・レビュー・書評

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  • 青空文庫でようやく読了。とにかく長い。でも飽きずに読むことができたのは、著者の波乱万丈にワクワクドキドキの連続だからだ。

    日本人で初めてチベットに行った僧侶の話。言葉をマスターして日本人であることを隠し、現地に溶け込み、それなりの地位にまで上り詰めたというのだから、ものすごく能力の高い人物なのだろう。チベットでの生活では習慣上相容れない部分も多くありながら、その一つ一つを細かく分析していくところが面白い。人々の性格もよくつかんでいると思った。複雑な人間関係と習慣の壁を乗り超えた作者には脱帽。

    終盤で身の危険を察した著者が逃げ出すところはまさにサスペンス。体験談だが小説風だった。

  • 何が凄いって、実録ってところです。
    途中で小説読んでる気分になってたけど、よく考えたらノンフィクションだったwっていう。
    こういうのに偶然会えるという機会を作っただけでもkindleとか良くやった感がありますね。
    図書館ふらふらしてて、とりあえず読んでみっか、で読んでみて大当たり!的な。

  • イギリスやロシアのアジア進出の思惑がうごめく中,鎖国政策をとるようになったチベット.そのチベットに単身潜入した河口慧海が帰国後に新聞に連載した体験記をまとめたもの.もともと文庫5冊で出版(現在の版では2冊)されていたものを電子書籍1冊にまとめたものなので,長い! しかしその長さにもかかわらず,読み出したら止まらない驚異の記録.
    仏教の経典の原典の収集を思い立ち,まず明治30年に日本を発って丸三年,ダージリン(当時はイギリス領インド)とネパールでチベット語の修得に励む.その後,中国人に扮し,街道に設置された関所を避けるために標高5400m(!)の峠を単身越え,チベットに密入国する.聖地を巡礼した後に遂にラサに到着,ここではチベット人に扮し(!)セラ大学に入学を果たす.なぜか医師としての名声を得,大蔵大臣と親しく交わり,仏教を学び経典の収集を行いながら過ごすが,1年後,日本人であることが発覚したため危機一髪でダージリンへ脱出する.
    何という情熱,そして何という才能!

  • Kindleの青空文庫もの。
    こんなにハラハラ、ワクワクする内容は久しぶり。

  • オーディブルは河口慧海『チベット旅行記』を聞き始める。

    インドにも残っていないという仏教の原典を求めて、鎖国政策によって外国人の入国を厳しく取り締まる陸の孤島チベットに単身入国をはかった仏僧による、じつに愉快な旅行記。明治時代の仏僧の著作ということで、漢文まじりのむつかしい文体かと思いきや、文語調でかしこまっているのは「序文」だけで、本編に入れば、大阪人らしいその軽やかな語り口に、思わず笑みがこぼれてくる。

    カルカッタから列車でダージリンをへてネパールへ。そこでチベット語を学びながら機会とルートを探り、鎖国のための関所を避けて、人の通らない道なき道をゆきつつ、ヒマラヤ山脈を超えてチベット入りするというその行程を聞いただけでも、非常に困難な旅だというのが想像できるが、本人はいたってあっけらかんとしていて、くよくよ思い悩んだり、鬱々とした気分に沈むことがない。つねに前向きで、カラッと乾いた明るさとその底に流れる揺るがぬ信念が、文章の端々から伝わってくる。ナレーターの方の声がまた、その底なしの明るさを引き立てていて、これを聞くと、朝から元気になること請け合い。ポジティブな言葉を全身で浴びてパワーチャージ。超おすすめです。

    おもしろいのは、日本でパーリ語を教わった仏僧やネパールでチベット語を教わった仏僧と、たびたび仏教の教えについて議論を戦わせるんだけど、慧海師はまったく折れず、ときには相手を怒らせて「もう教えない」と駄々をこねられたり、ぶん殴られそうになったりするのに、本人は反省するどころか、一向に気にしてなさそうなところ。これくらい図太い神経の持ち主でなければ、誰に聞いても「やめとけ、死ぬぞ」と忠告されるような困難な旅をしようなんて気にならないだろう。

    たまたま同じタイミングで、沢木耕太郎さんの『天路の旅人』をKindleで時々つまみ読みしているんだけど、旧日本軍の密偵として中国奥地に分け入った西川一三さんからも、ある種、乾いた合理性というか、目的のためにはくよくよ考えないという潔さを感じる。つねにくよくよ思い悩んでばかりの自分にはない美徳で、すなおにあこがれる。その前向きな力強さがうらやましい。

    オーディブルは河口慧海『チベット旅行記』の続き。

    ヒマラヤを超えて、天上の秘境チベットへ。砂漠で渇水にあえぎ蜃気楼を見たり、目も開けられない砂嵐に行く手を阻まれたり、雪山で猛吹雪にあい2匹の羊と死を覚悟しながら一夜を明かしたり、雪解け水で凍りつくような大河を渡河中、足をすべらせ流されたり、禁を破って妻帯し、寺の財産をすべて持ち逃げして逃亡中の僧侶に寝場所の提供を受けたり、強盗と人殺しを生業にする一家と一つテントで寝食をともにしながら聖地を巡礼したり、清浄の誓いを立てた身にもかかわらず、そこの娘に言い寄られ、妻にとらぬなら殺して食ってやると半ば本気で脅されたり、高山病にやられて停滞を余儀なくされたり、別の強盗にあって身ぐるみ剥がされたり……と、波乱万丈というひと言で片付けるにはあまりにも激しく、そして愉快な幾多の修羅場をくぐり抜けて、慧海師の旅はまだまだ続く。

    全編にわたっておもしろいところだらけなんだけど、なかでもとくに印象に残ったエピソードを2つ。

    出家したものは清浄を守らなければならず、女体と触れ合うなんて汚らわしいという、現在の金満坊主が聞いたら卒倒しそうなことを、慧海師はまじめに守っているのだけど、かれが清浄であることの大切さを強調するほど、「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」という現代の都市伝説が思い出されて、笑ってしまう。案外、女性に触れることを許されなかった古今東西の僧侶や修道僧らの煩悩と恨みが、都市伝説となって現在まで伝わったということなのかもしれない。だいたい、女性をそうやって汚らわしいものと遠ざければ遠ざけるほど、じゃあ、そのおまえはどうやってこの世に生を受けたのか、という問いにぶつからざるを得ないわけで、そういうふざけた輩に対しては、何時間でも膝詰めで問い詰めたいと思うのは、女性だけではないはずだ。ただ、慧海師には悪気はなく、まじめにそう思いつめているので、強盗一味の女に言い寄られ、自分を嫁にしないと他の連中が怒ってあんたを殺して食うといってるといわれたときも、

    「それは結構な事だ、お前と一緒にならずにお前たちの親の兄弟に殺されるというのは実に結構な事である。もはや雪峰チーセも巡りこの世の本望は遂げたから死は決して厭うところではない。むしろ結構な事である。で私は極楽浄土のかなたからお前たちが安楽に暮せるように護ってやる。是非今夜一つ殺して貰おう」

    と開き直って寄せ付けない。そのかたくなさも、なんだか微笑ましくて、笑っちゃうのだ。

    チベット人は信仰心に厚く、ほぼ無一文で旅を続ける巡礼僧の慧海師も、あちこちで食べ物や寝床の世話になり、そのたびにありがたいお経を唱え、説法を施したりするわけだけど、彼らの「現世ご利益の願い」もたいがいなもので、人殺しをものともしない悪党どもも、雪峰チーセの霊場の付近では「仕事」をしないで、おとなしくしてる(だから慧海師も彼らと行動をともにしながら難を免れた)。それどころか、大きな声で仏に向かって懺悔するんだけど、

    「ああ、カン・リンボチェよ。釈迦牟尼仏よ、三世十方の諸仏菩薩よ。私がこれまで幾人かの人を殺し、あまたの物品を奪い、人の女房を盗み、人と喧嘩口論して人をぶん撲った種々の大罪悪を此坂【ここ】で確かに懺悔しました。だからこれで罪はすっかりなくなったと私は信じます。これから後私が人を殺し人の物を奪い人の女房を取り人をぶん撲る罪も此坂で確かに懺悔致して置きます」

    というわけで、過去のおこないを懺悔するにとどまらず、これからやる未来のおこないも先に懺悔しておくという。全然反省してないし、悔い改める気もまるでないわけで、もう笑っちゃうしかないんだけど、そういう連中が霊場ではおとなしくして悪さをせず、仏に頭を垂れて礼拝するというのも、なんだかおかしくて、やっぱり笑っちゃうわけだ。

    オーディブルは河口慧海『チベット旅行記』の続き。

    雪の反射で目をやられ、野犬にかまれ、白岩窟の尊者に仏法についての議論をふっかけられ、「お前は死ぬ」と脅され、湿原の泥にはまって身動きがとれなくなり、高山病にかかって大量の血を吐き、うっちゃっておけば政府に自分を売るおそれのある無頼漢にたらふく酒を飲まして逃げおおせたりと、相変わらずの珍道中。たまたま同行した仏僧の1人がおのれの学識を誇るタイプで、慧海師の知識が自分よりはるかに広く深いことがどうにも気に入らない。嫉妬され、ことあるごとにからまれて、ついには慧海師の出自に猜疑の目を投げかけるのをなんとかかわしながら、旅を続けた。

    チベットでは秋の末に、夏の間に肥え太った大量の家畜を殺して干し肉にする。1日に山羊250頭あまり、ヤク35頭を殺す現場に居合わせた慧海師。

    「ヤクは今自分の友達が殺されて多量の血の流れて居るその臭いの中へ牽き出されて、もはや自分も殺されるということを知って居るものと見えまして、その眼の中に涙を浮かべて居る。実に見るに忍びない。自分が金がたくさんあればどうかみなこれを助けてやりたいと思うほど可哀そうでしたが、別にしようもございません。ところがそこへ坊さんがお経を手に持って出て来て何か口の内で唱えながらお経と数珠をヤクの頭に載せて引導を渡すです。(中略)けれどもその唱え言をして居る様を見るのが余計に悲しくって、私はもう涙が流れその首を切り落すのを見るに忍びませんから家の中に逃げ込みました。そうして可哀そうに思って涙ばかり溢して居りましたが暫くするとヤクの首を切ったとっ見えてズドンと落ちた音が一つしました」

    学生時代、インドネシアのスラウェシ島に行って、たまたまトラジャの葬式に遭遇したとき、牛の屠殺現場を目撃した。トラジャの舟形家屋の入り口には牛の角がいくつも連なってぶらさがっているのだけど、葬式で牛を何頭殺すかというのは身分?家柄?によって決まっているらしい。で、お金がなくて牛が買えないと葬式が開けないから、お金が貯まるまで遺体はミイラ状態にして家の中に安置してあるんだそうだ。さて、供物となる牛は首を切り落とされ、肉は参列者にふるまわれるのだけど、その場面はいまでも脳裏に焼き付いている。前任者たちの血でそこらじゅう血だらけのところに引っ張られてきた牛は、一瞬で死期を悟り、眼をひんむいて暴れるのだけど、みなに取り押さえられ、身動きがとれなくなると、眼にいっぱいの涙をためて哀願する(ように自分には見えた)のだ。あんなにかなしそうな眼をみたことはない。人間が殺される現場を目撃したことはないけれど、人間も死の直前あんなふうな眼をするのだろうか。

    チベット第二の都シカチェに着いた慧海師は、チベット文法と修辞学の大学者という評判の人物に教えを請いにいくが、てんで話にならないくらいの物知らずで、すでにネパールでチベット語をがっつり学んできた慧海師の好奇心はまったく満たされず、がっかりする。チベットの首都ラサに向かう途上、請われて人相見をしたところ、どういうわけかずばりと的中してしまう。その評判を聞きつけたその近所いちばんの大家の息子が病気だから見てくれろ、という。見るからに死にそうだったので、「どうもこの子は寿命がない、誠に気の毒なことだ」というと、「どうにか方法はあるまいか」というから、自分の知的好奇心を満たすために「お経をたくさん読めばどうにかなるだろう」といったら、翌日その息子が死にかけた。医書を読んだことがあった慧海師は、頭を冷やしながら後頭部の凝りをほぐしてやると、その子がなんと蘇生した。こりゃ、一通りの方ではないということになって、「どうか長らくここに逗留してお経を読んでもらいたい」ということに相成った。誠に仏のお導きは……てな具合で、飄々と、だが力強く旅を続ける慧海師なのだ。

    オーディブルは河口慧海『チベット旅行記』の続き。

    チベット人は大便をするとき決して尻を拭わない。水で洗うこともない。牛が糞をするように打っちゃったまま、というので、うへえ、となるんだけど、そのすぐあとに、テントには厠もないから外でする、「便所は犬の口」などと書いてある。すなわち、大便はしたそばから犬が争って食うから、「西北原の内には便所はないけれど人糞の転がって居るような事もない」というわけで、本人はまじめに言ってるんだろうけど、どこかにおかしみがある。そんなエピソードがごまんとある。

    標高の高いチベットは土地が痩せているから、夏に霰【あられ】が降ると麦が台無しになる。で、霰を降らせるのは八部衆の悪伸というわけで、悪神と合戦して打ち勝つことが修験者に求められ、そのための税金も納めている。

    「また一番よく大きな霰の降るのが不思議に麦の大分に熟して来た自分なんです。その自分になるとその修験者らは実に一生懸命になってその霰を防ぐことに従事するのです。
     時に油然として山雲が起って来ますと大変です。修験者は威儀を繕い儼乎たる態度をもって岩端に屹立します。で、真言を唱えつつ数珠を采配のごとくに振り廻して、そうして向うから出て来る山雲を退散せしむる状をなして大いにその雲と戦う。けれども雲の軍勢が鬱然と勃起し、時に迅雷轟々として山岳を震動し、電光閃々として凄まじい光を放ち、散丸そうそうとして矢を射るごとく降って参りますと修験者は必死となり、今や最期と防戦に従事するその勢いは関将軍が大刀を提げて大軍に臨んだごとき勢いを示し、強くk,おこに神咒を唱えつつ、右の手の食指【ひとさしゆび】を突立ててあたかも剣をもって空中を切断するように縦横無尽に切り立て、それでもなお散弾がどしどしと平原に向かって降り付けると、大いに怒って修験者それ自身が狂気のごとく用意の坊散弾を手掴みに取って虚空に打ち投げ投げ付けて霰と戦うです」

    なんておおまじめに語っていて、霰と戦う勇ましい修験者の挿絵も載っていたりするんだけど、慧海師も絶対、笑ってるよね。んなアホな、と。で、雲がどこかに行ってくれればいいんだけど、うまく退治できなかったときは、修験者は被害の程度に応じて法律で決められた刑罰(尻を擲るなど)を受けなきゃいかんという。そのかわり、毎年決まった税金をとるので、修験者は金持ちのはずなんだけど、どういうわけか、みな貧乏と相場が決まってる。「どうも人を欺き人の盲信に乗じて金を取るような悪銭はいわゆる身に付かぬものと見えるです」と、どこまでも人を食ったような話しぶりで飽きがこない。

    オーディブルは河口慧海『チベット旅行記』の続き。

    骨接にはじまり、聞き齧りの知識で漢方薬を処方したりしているうちに名医と評判がたち、「活きた薬師様」と慕われて、なんと、チベットの法王と謁見することになった慧海師。だが、この法王というのが、生き残るだけでもたいへんな存在で、5代続けて25にもならぬうちに毒殺されたという。

    「なぜそんな事をするかと言いますに、聡明な法王がその位に即きますと近臣の者がうまい汁が吸えない。己れの利益を完うすることが出来ないからで、これまで出たところの法王もみな随分人物が出たらしく見えるです。その人達の中には二十二、三歳に至るまで特別の教育を受けたお方もあるそうです。それぞれの著書を遺して人民を導かれたということを見ても分るです。それは歴史によって充分証拠立てられるのです。」

    「しかし不忠な人間が不忠な様子を人民に示しては、なかなか自分の位置は保てない。そこで表面は法王に対し真の忠臣が思い及ばぬ程の敬礼の意を表して、いかにも忠義を尽すように見せかけて居る。
     それはなかなか巧みなもので、やはり今でもそういうやつが沢山居るです。で何かちょいとした事があるか、あるいはまた己れの利益に戻【もと】るような事が起って来ると、自分一人で言っても利目がないから平生徒党を組んで居るやつが陰に陽に相呼応して、実にかかる不忠の大罪人としてはとても口から言い得ない事を言い出して、一方の忠臣を傷つけるということです。誰某【だれそれ】は法王殿下に対して不敬を犯しました、実に不届きなやつでござるとやかましく言い立てて辜
    【つみ】のない学者や人民を害すると言い、陰険極まる近臣が沢山あるという話です」

    「ところが今の法王はなかなか果断なお方ですから、かかる悪魔等も大いに怖れて居るそうです。すでに何遍か毒を盛って見たんですけれども、それがうまく成就しないで大分に死刑に処せられた者があるものですから、それでこわがってさすがの悪魔もびくびくふるえて居るという始末。けれども今の法王とてもそういう悪魔の中に居るから危ないものです」

    オーディブルは河口慧海『チベット旅行記』の続き。

    チベットの葬式について。上から風葬(鳥葬)、火葬、水葬、土葬で、それぞれインド哲学の「人体は地火水風の4つからできている」という説にしたがって、風に帰る、火に帰る、水に帰る、地に帰るというわけ。土葬は嫌われ、伝染病による死者を葬るときに行われる(鳥に感染を防ぐ、水を通じて感染を防ぐ)。

    「で坊さんがこちらで太鼓を敲き鉦を鳴らして御経を読みかけると一人の男が大いなる刀を持って、まずその死人の腹を截ち割るです。そうして腸を出してしまう。それから首、両手、両足と順々に切り落して、皆別々になると其屍を取り扱う多くの人達(その中には僧侶もあり)が料理を始めるです。肉は肉、骨は骨で切り離してしまいますと、峰の上あるいは巌の尖に居るところの坊主鷲はだんだん下の方に降りて来て、その墓所の近所に集るです。まず最初に太腿の肉とか何とか良い肉をやり出すと沢山な鷲が皆舞い下って来る。
     もっとも肉も少しは遺してあります。骨はどうしてそのチャ・ゴエ(禿鷲)にやるかというに、大きな石を持って来てドジドジと非常な力を入れてその骨を叩き砕くです。その砕かれる場所も極って居る。巌の上に穴が十ばかりあって、その穴の中へ大勢の人が骨も頭蓋骨も脳味噌も一緒に打ち込んで細かく叩き砕いたその上へ、麦焦しの粉を少し入れてごた混ぜにしたところの団子のようなものを拵えて鳥にやると、鳥はうまがって喰ってしまって残るのはただ髪の毛だけです。
     さてその死骸を被うて行ったところの片布その他の物は御坊が貰います。その御坊は俗人であってその仕事を僧侶が手伝うのです。骨を砕くといったところがなかなか暇が掛るものですから、やはりその間には麦焦しの粉も食わなければならん。またチベット人は茶を飲みづめに飲んで居る種族ですからお茶を沢山持って行くです。ところが先生らの手には死骸の肉や骨砕や脳味噌などが沢山ついて居るけれども、一向平気なもので「さあお茶を喫【あが】れ、麦焦しを喫れ」という自分には、その御坊なり手伝いたる僧侶なりが手を洗いもせず、ただバチバチと手を拍って払ったきりで茶を喫むです。その脳味噌や肉の端切のついて居る手でじきに麦焦しの粉を引っ掴んで、自分の椀の中に入れてその手で捏ねるです。
     だから自分の手について居る死骸の肉や脳味噌が麦焦しの粉と一緒になってしまうけれども平気で食って居る。どうも驚かざるを得ないです。あまりに遣り方が残酷でもあり不潔ですから「そんな不潔な事をせずに手を一度洗ったらどうか」と私がいいましたら「そんな気の弱いことで坊主の役目が勤まるものか」とこういう挨拶。で「実はこれがうまいのだ。汚いなんて嫌わずにこうして食って遣れば仏も大いに悦ぶのだ」といってちっとも意に介さない。」

    チベット仏教における「化身」について。

    「一体化身という意味はその本体は仏あるいは菩薩であって、その真体は無形であるから衆生に見えない。そこでその徳を備え居るところの有形の体を現わして、世の衆生を済度するために仮にこの世に生れて来た。すなわち仮にこの世に化けて来たところの身という意味から化身という。ところでチベットではただ仏や菩薩が化身して来るというだけでなくって、ちょっとしたラマもやはり死ぬというと、今度また生れ変って来て世のために働くという信仰があるので、その化身についても昔の化身と今の化身とは余程違って居るです」

    「……まず誰か尊いラマが死んで四十九日経ちますと、その魂はどこかへ生れて行くことに極って居るというのがチベット人の信仰です。そこで暫く経つとどこへ生れたか見てくれというて聞きに行く。その聞きに行く所はいわゆる神下【おろ】しの家です。聞かれる神下しは神様を下して告げるです。その神の下し方は日本のお稲荷さんとは大分に様子が違う。実に奇怪な遣り方で、急に気狂いが起ったかと思う位のものです。まず何事に拘わらずその神下しの所へ見て貰いに行くと、坊さんが四人位太鼓を叩き、四人位は鉦や饒鉢を打ったりしてお経を唱えて居るその間に神様が下るのです。(中略)
     そういう支度をした神下しが目を閉ってジーッと中腰に構え込んで居ると、その側ではしきりにお経を読んで居るです。すると次第次第に震え出して、その震いがいよいよ厳しくなると同時に忽ち後ろへ倒れてしまうのもあり、あるいはまた立ち上るのもある。それはその神様の性分でいろいろになるのだそうです。まず後ろに倒れながらぶるぶる震えつつ、そのラマはどこそこに生れて居るとか、その地方の家の向きは何方であって其家には夫婦ばかり居るとか、あるいは家内に何人居って何月何日に生まれたのがいつぞや死んだラマである、というような事を言うのです。ところがそっとそこへ探しに行くと奇態にまたその通りの子が生れて居るそうです」

    「けれども大抵この神下しという奴は実に悪い奴で賄賂を貪り取ることは非常です。ですから神下しの坊さんには大変な金持があるです。現に法王政府のネーチュンのごときは恐らくチベット中の金満家といわれる位に金があるです」
    「まず自分の子が出来る前からして神下しの所に行って賄賂を遣って置くです。そうしてどこか良い寺へその子供をあるラマの化身だというて口入【くちいれ】をして貰うのです。良い寺には沢山な財産がありますから、そういう風に申し込んで置くとその寺の財産を自分の子供は生れながらにして得らるることになるのであります。それは随分商売的の場合から言ったならば賄賂を沢使っても余り損はないというようなものでしょう。それゆえに鉦を沢山贈る者があるんです。これは私のしばしば見聞した事であって、決して表面から観察してこうであろうというような推測話じゃあない。だから化身の信ずるに足らんということはもう分り切って居る。昔の事はいざ知らず今の化身というのは本当の化身でなくって賄賂の化身であると私は言った事がある」

    「政府内において例えばある大臣が誤った仕事をしますと、敏捷な大臣はそれと悟ってじきに政府の外護の神であるネーチュンに何万円かの金、あるいはその罪の大小に従ってそれより少ない事もあるけれども、まあ千円以上、少なくとも千円より下の金はない、その金を持って行ってネーチュンに頼むです。程なくその大臣のした過ちの化の皮が顕われて、いよいよ其事が政府部内の問題となり、譴責をするかあるいは思い罰に処するかという場合には、じきにネーチュンを呼び神様を下ろして、この人を罰して善いか悪いかについてお伺いをするです。
     するとネーチュンはその時に金を沢山貰ってあれば「決して罰するな、余り罰すると国の運命に関わるからとっと叱言【こごと】をいって置く位がよかろう。あれは元来善い男だけれども今度は心なしに誤ったんだから宥してやるがよかろう」という具合に言うのです。その代りどんな善い事をして居っても、ネーチュンのお気に入らんとじきに法王の門前でたちまち神を下して、その善い事も逆まに悪事に言い立てて譴責を喰わせるとか罰せられるようにされるものですから、チベット政府部内では法王を恐るると同時に、なおより多くネーチュンなる神下しを恐れて居る。チベット政府の政権はこのネーチュンの左右するところであるというても過言でない位である」

    「……さて天下の大問題が起って外交上どうしたらよいか訳が分らんような事になると、そのネーチュンなる神下しが実に面白い。まずその身には光明輝くばかりの衣服および帽子を着けて、法王および大臣、高等僧官らの前に立って祈りをして居るとやがて神が下って来るです。その下って来る時分に「このたびイギリス政府とこういう訳で合戦をするような事になって居るがどうしたらよかろうか」といって尋ねると、神は何にも言わずにぶるぶる震いながら飛び上がって、神下しはドタリと倒れて気が付かんような風になってしまう。そうすると側の者は「さあ大変だ。こりゃ神さんが我々が不敬な事を尋ねたものだから怒って往ってしまわれた」とこういう訳ですから、一番困難な問題が起って来た時分には、ネーチュンは神さんが逃げて行ってしまったというので何にも言わんでもそれで事が済むのです。実におかしくて堪らんです」

    実にいいかげんな神であり、いいかげんなシャーマンだ。なぜ政教分離が必要か、神権政治がいかに理不尽なものか、わかろうというものだ。

    オーディブルは河口慧海『チベット旅行記』の続き。

    チベットの出版事情について。

    「それから十二月頃は私はお経を買うことばかりにかかって居ったです。(中略)しかし普通の経文は本屋で売って居るけれども、少し参考書にしたいとかあるいは込み入ったむつかしい書物であるとそれは本屋には決してない。しからばどうして書い整えるかといいますと、その版木は寺々に別々に在るんです。例えば文法上の学者の出た寺には文典の版木があり、また修辞学上の学者の出た寺には其の人の著述された版木が残って居るというような訳で、歴史も論部もみなそういう風で保存されてある。このように版木が別々にあるものですからその寺々でへ版摺【はんずり】人を遣わして刷らせなくちゃあならん。まず紙を買い整える。その紙は紙の樹で拵えたのでなく草の根で拵えるのです。その草は毒草で根もやはり毒です。その根は白い色で繊維が沢山ある。その繊維でもって紙を製造します。紙質は随分強いが真っ白な紙はない。少し黒くって日本の塵紙のようなものである。そういう紙を沢山買い整えて版摺にカタ(進物用の薄絹)と版代とを持たしてやります。
     版木の借賃は寺によって高いところもあり安いところもあれども、大抵百枚刷って一タンガー即ち二十四銭あるいは四十八銭、最も高いので一円二十銭位のところもあるです。そういう風にして三人なりあるいは六人なりの人を遣わして版を刷らせるのですが、版摺は大抵二人で一人は刷り上げたのを纒める役目である。版摺といったところが日本の人のようになかなか手早くはいかんです。それに茶を喫みながら仕事をするのですからごく呑気なもので仕事はいっこうに捗らない。ですから割合に入費が余計にかかる。で版摺一人の手間賃が向う扶持で五十銭ずつやらなければならん。
     ですからなかなか書物は高く付くけれどもちゃんと摺本になって居るものはごく安いです。その代り紙も悪し、中には版の悪い所が沢山ある。そんな書物でも売って居ればよいが大抵本屋で売って居るのは祈祷のお経と僧侶学校で用いる問答の教科書です。そのほか少し面白い伝記とかあるいは茶話のような本があるだけの事で、少し学者の欲しいと思うような書物は一つもないです」

    「その本屋なるものも自分の家で店を出して居るというものはない。チョーカン即ち大釈迦堂の前に広場がある。その広場の石の上に十人ばかりの本屋が大きな風呂敷を火遂げその上へ本を列べて店を出して居る。それも日本のように拡げて見せない。みな積立てて列べてある。
     このほかにラサ府では本を売る所はない。シカチェでは市場に二、三人そういう露店【ほしみせ】を出して居るだけで、そのほかにあるかないか知りません。とにかく私の行った都会ではこの二つしか見なかったです。版摺に任してもその版木を摺ることを許されん場合には、自分が他から紹介状などを貰いわざわざ出かけて行って刷らして貰うようにして、それでようやく書物が整うという始末ですからなかなかむつかしい」

    刷り上がった紙を製本して書物の形で保存するのではなく、版木の状態で情報を保存し、求めに応じて印刷するというのは、まさにオンデマンド印刷そのもので、紙が少なかった時代にはある意味非常に合理的な知識のストックのしかただったのだろう。

    オーディブルは河口慧海『チベット旅行記』の続き。

    チベットの医療事情について。

    「チベットでは病人の全癒を謀るには医薬がおもなる部分でない。最も主要なる部分すなわち病人に対し最も有効なりとせられるる部分は祈祷である。彼らの信仰によると病気は大抵悪魔、厄鬼、死霊等の害悪を加うるによるものであるから、まず祈祷の秘密法によって悪魔を払わなくては、たとい耆婆扁鵲【ぎばへんじゃく】の薬といえども決して利くものではない。で、いかなる悪魔が今その病人に対して禍を加えて居るかということは、普通人間の知らないところであるから、まずこれを知るためにはラマに尋ねなければならんというので、ラマの所へ指して書面を持たして尋ねにやるとか、あるいは使をやって尋ねるとか、または自分で行って尋ねるです。
     するとラマはいろいろその事に関する書物等を見て判断を下し、これはラクシャキの祟りであるとかあるいはクハンダキまたは夜叉鬼の害であるとか、あるいは死霊、悪魔、その地方の悪伸等が祟りをして居るとかいうことをよく見定めて、それに対する方法としてどこのラマに何々のお経を読んで貰えという。(中略)
     そこでお医者さんはというた時分に、まずこの秘密の法を三日なり四日なり修めてから、どこのお医者さんを迎えろということもあり、またこの法を修むると同時に迎えということもある。あるいはこの病人は薬は要らない、今まで飲んで居った薬は止してただ祈祷だけで治るというような説明もある。それはいろいろになって居ますが、まずそれを尋ねに行きまして口で答をするのはそんなに高等のラマではない。中等以下のラマがやります。中等以上のラマですと、その方法書を時分の侍者に書かせてラマ自身に実印を捺し、そしてその書面を尋ねに来た人に渡すです。
     で今日医者を迎えれば助かるべき筈の病人でも、その方法書に五日の後に誰それを迎えて治療を頼めと書いてありますと、チベット人は病気はどうあれまず悪魔を払ってしまわなければ、たといお医者を迎えて薬をのんだところが到底治るものではないと堅く信仰して居るからまず祈祷をする、それでその日に病人が薬を得ないために死んでしまっても、その家族等は決してラマなりあるいは神下しなりを不明であるというて、怨むこともなければ悪口をいいもしない。かえって「成程えらいラマだ。もう今日死ぬことが分って居ったからお医者さんを迎える必要はないというてわざと五日の後と書かれた。さすがに感心なものだ」といって感心して居る位。
     もしもそう言わずに理屈の分った者が「どうもかのラマは詰らない事をいうものだ。かの病人はかの時に薬を服まして置けば助かるべき筈であるのに、ああいう馬鹿な方法書を書いてくれたためにとうとう病人が死んでしまった」などといいますと、世間ではかえってその人を非常に罵倒し「彼は外道である。大罪悪人である。ラマに対して悪口をいうとは不届である」というて非常に怒るです。その怒られるのが怖さに、よく分って居っても何もいわずに辛抱して居る人間も沢山あるということは、私が確かに認めたところです。
     もっとも医者といったところでほとんど病気を治す方法を知らない。ごく古代のインドの五明中の医学が伝って居るだけで、その医学もごく不完全なものである。しかし不完全な医学だけでも心得て居れば、病人に対して幾分の助けをなすことが出来るでしょうけれども、彼らはその医学のなんたるを知らずにたた聞き伝え位でやって居る者が多いのである。
     チベットの医者の用うる薬の中にはすべてツァーツク(草の毒)の入って居らぬものは少ない。このツァーツクというのは草の根の毒であって、これを多量に喰えば死んでしまうです。つまり興奮剤のようであるけれども、少し多量に入れてあるのを服むと身体の各部に痺れを起すことがある。また少量でも病気の都合によっては非常に腹を下すこともある。とにかくその薬を服んで病気の治る治らんに拘わらず、必ず病人に対して何かの変化を与えるです。その変化が起ると病人に利いたような具合に見えるから、お医者さんは利目を見せるためにどんな薬にもツァーツクを入れる。
     昔漢方医が大抵薬の中に甘草を薬の導きとして入れて居ったようなものでしょう。もっとも一、二の例外はあるけれども、その大部分はそうですから病人は堪らない。決して自分の病気に適当した薬を貰うことが出来ない。その不完全な医学すらも学ばずに医者をやって居る乱暴なドクトル先生が跋扈して居るのですから、恐らくそういう薬を貰うよりは祈祷者に祈祷だけして貰うて自分の心を安んじ、そして自然療養あるいは信仰的療養をやる方が、かえってチベット今日の状態では大いに得策であると私は考えたです。」

    呪術的な医療が駆逐されるまでに長大な時間がかかったのは、それを受け入れない人びとの無知蒙昧に原因があったというよりは、医術の側にも問題があって、目に見えて症状が改善される衛生環境、薬や治療法などのテクノロジーがある程度そろうまでは、祈祷と大差ない結果しかもたらせなかったからなのだろうな。宗教が普及するのにある種の奇跡が必要なように、医学やテクノロジーが受け入れられるのにも、圧倒的な性能差が必要で、それは、背景を知らない人にとっては魔法と変わらない。助からぬとされた病人を救った聖者が信仰の対象になるのと、体系的な知識に裏付けられた医学が病人を救って「社会的な信用」を得るのとは、たぶん、実態としてはほとんど同じ。

    オーディブルは河口慧海『チベット旅行記』の続き。

    チベット兵士の気概について。

    「兵士の気概は私の観察したところではシナ兵にもチベット兵にもない。かえって兵士は普通人民より劣りはすまいかと思う程です。(中略)これは大方収入が少なくて活計向【くらしむき】に心を艱【なや】ますからであろうと思われる。これらの気概の沮喪した兵士に比すると壮士坊主の方が余程えらい。彼らは妻はなし子はなし、少しも顧るところがないから実に勇気凛然として、誰をも恐ないという勢いを持って居る。その点においては確かに壮士坊主の方が頼むに足るです。どうもこれらの兵士は戦争の時分には余り間に合わぬだろうと思う。
     一番どういう事の働きをするかといえば、まず戦争が起れば乱暴狼藉を働いて、内地人の財産を分捕りする位の事でとても国の役に立たない。これは畢竟妻帯に原因するので、兵士としては妻帯する程勇気を沮喪するものはないです。チベット人は最も情緒の力に富んで居って妻子を想うの情も深いです。妻子のある兵士はまず合戦の間に合わぬといってよいでしょう」

    慧海師の童貞礼賛、妻帯者を貶めることの甚だしきは鼻につくが、家族想いでいくさに向かぬとされるチベット人のほうが、はるかに人間らしく感じられることを、自分はうれしく思う。ただ、守るべきもの(職、収入、家族の生活、会社での地位)がある人ほど会社に人事権を握られ、思い切った改革を断行できないということには一面の真実があるから、独り身のきやすさが果敢な行動に結びつきやすいということは否定できない。けれども、いつでも会社を辞めてやると腹をくくることさえできれば、独身かどうかはあまり関係ないわけで、その意味でも、いつ会社を辞めてもすぐに再就職できるような流動性の高い社会のほうが、会社や組織に対して思い切った提案がしやすくなるだろうし、人の入れ替えも頻繁にあるから、風通しのよい組織風土につながり、生きやすい世の中になるはずだ。自分の職を守るのに汲々とした人が多すぎることの弊害は、組織の新陳代謝が滞り、どんどん息苦しく、どんどん保守的になることで、新しいアイデアや画期的なサービスが出てこない停滞感は、人の移動がちゃんと機能していないことが最大の原因だと思う。頻繁に顔ぶれが変われば、それだけでセレンディピティが起きる可能性が増大するのであって、いつも同じメンツで「新しいことをやれ」といったところで、そう簡単にできるものではない。

    仏教と一神教との違いについて。

    「さてそのチベット国民の真実の信仰はどういうのかといいますと二つあります。一つは人間より以上の実在物があって、その実在物は確かに我々を保護して下さる。で、その実在物との交通は我々の信仰によって為し得るということを確かに信じて居るです。その存在物を信ずる上においては、種々の間違った祭事や儀式等があるけれども、それは小さな宝玉の周囲にある岩のようなもので、その本心においては確かに仏陀あるいは菩薩があって、我々の困難を救い我々に幸福を与えて下さるという信仰を確実に持って居るです。
     なおその上に神というものを認めて居りますけれども、どんな神でもあるいは腹を立てて人民に害を与え仇を加える事がある。例えば耶蘇教の神さんでも、その昔人民が罪悪に陥って済度し難いからというて大いに憤り、大洪水を起して総ての罪悪人を殺し、ただその中の善い人間即ちノアという者を救うたというような依怙贔屓をする者である。チベットの神も皆然り。いわゆる人間の喜怒哀楽の情緒をその儘に実行される者である。ところが仏はどんな事があってもお怒りなさらぬ。仏ほど深い慈悲と円満なる智慧を持って居らるるありがたい方は世界にはないと堅く信仰して居るです。それはもう実に蒙昧なる人民でも神と仏の違い、即ち神は怖いもの仏はありがたいものということをちゃんと知って居る。」

    信じる者とそうじゃない者を峻別するため排他的にならざるを得ない一神教の不寛容さは、多様性とは相容れないと思っている。彼と我の違いや差を強調する一神教と、彼も我もどうせ変わらぬからみなまるごと救ってしまおうという大乗仏教的なおおらかさというかいい加減さは、ダイバーシティと相性がいい。

    「今一つは原因結果の道理で何事も自業自得、自分の為したる悪事は自分で苦しい思いをして償わなくちゃあならん、また自分の為したる善事の結果即ち快楽幸福もまた自分が受け得らるるのである。そして原因結果の規則は未来永劫に続くものである。いわゆる種が実となり実が種となってどこまでも継続して行くものである。
     それと同じ事で我々の心もまた心だからというて決して滅するものでない。再びこの世に生れ変って来るものであるということを確かに信じて居るのは、いわゆる瓦礫の中の壁【たま】であるです。ところが生れ変って来るという原因結果の道理を信ずるところからして、どこそこのラマその者は今度どこへ生れて来たとかあすこに生れ変って来たとかいうて騒ぎ立てるのは、いわゆる真実の信仰が過ぎて迷信となったのであります。ただ原因結果、自業自得の理法に基づいて自分の心体そのものは未来永劫滅しないものであるという尊い信仰は、仏教信者として第一に有すべき信仰でありまして、チベット人はもはやこういう事の話を幼い時からお伽噺として母の口より吹込まれて居る。ですからチベット人の家庭は説教場のようなもので、古代の神話にしろ何にしろみんな仏教に関係を持たぬ話は一つもないのですが、かく迷信が深いに拘わらず本当の信仰そのものもやはり国民一般に普及して居るのでございます。」

    チベットでキリスト教が受け入れられない理由。

    「僅かに得たる信者はいわゆる詐欺的信者であって、決して真実の信者を得て居らない」
    「ただ口糊【くちすぎ】をする為に耶蘇教に入って居るだけであって、決して耶蘇教を信じて入って居るのでない。なかなか確実な信者であるというて居る者もです。その者の家へ行って見ますと、秘密室内に仏陀を祀り日夜燈明を上げて置きながら、外へ出ると自分は耶蘇教徒であると言い触らして、日曜日には聖書を持って耶蘇教徒の会堂へ出かけて行くです。これらのチベット人は欧米人を誑かしてひたすら己れの便宜と利益とを謀る為に、耶蘇教の尊い聖書を道具に使って居るので実に驚いたものであります。そういう有様ですから、既に宣教師の下働きを為し、あたかもキリスト教の字引であるかのごとく見えて居るチベット人も、充分腹が太くなって金が少し出来るとじきにひっくり返って、自分は元より仏教徒であるというて耶蘇の教会堂から逃出して顧ない奴が沢山ある。
     それはこうなる筈です。真実仏教を信じて居る者には、どうしても耶蘇教に入ることが出来ない。なぜなれば仏教のいわゆる解脱ということは、自分自身において絶対的自由、即ち精神的の最大自由を得るの謂であるのに、耶蘇教には神という一つの無限の勢力者があって、自分が絶対的自由を得ることの出来ないようになって居るです。それにまた因果の道理が耶蘇教では明らかになって居らぬ。もっともよい木はよい実を結び悪しき木は悪しき実を結ぶということがあるから、全く無い訳ではないけれども、いかにもその範囲が狭いです。もっとその理を推し拡めて、いわゆる前世にも未来にも及ぼすようにすれば、きっとチベット人に対する道が立つであろうと思います」

    たしかにそういう面もあるかもしれないけど、人はやすきに流れる、というほうがより真実に近い気がする。食わせてくれるならどちらでもいいというか。チベット人がいくら仏教を信じているといっても、寺やにいけば破戒僧だらけで、官費で食わせてもらうためだけに僧侶となる者があとを絶たないと慧海師も嘆いているではないか。そういう柔軟さ、しなやかさ、ずる賢さをあわせもつのが人間で、そういうだらしない人間だからこそ全部救ってやらんといかん、という平民感覚まで降りてきた大乗仏教が、有事(戦国の世)には最後の頼みの綱となって、広く受け入れられ、平時(江戸)にはその存在価値を失った(だって、なにをやってもどうせ救われるなら、わざわざ信仰しなくてもよくない?)というのは、なんたる皮肉か。

    Wikipediaでこんな記述を見つけてビックリ。今度探してみよう。「戦後の1965年(昭和40年)春に、九品仏浄真寺にて関係者が河口慧海生誕百年を記念して石碑を建てる行事を行い」https://ja.wikipedia.org/wiki/西蔵旅行記

    この英名と神智学協会も。「日本での出版から5年後の1909年(明治42年)には、神智学協会から、『Three Years in Tibet(スリーイヤーズ・イン・チベット)』のタイトルで、英語版が出版された。」

    オーディブルは河口慧海『チベット旅行記』の続き。

    いよいよ慧海師が密入国してきた日本人であることが露見しそうになり、このままチベットに残って法王に上申書を提出し、正直なところを告白して判断をあおぐか、それとも黙ったままチベットを去るべきか、決断を迫られることに。だが、どちらを選んだとしても、この国で自分を世話してくれた人に害がおよぶようなことはどうしても避けたい。さて、その思案とは。

    「まずその採るべき方法は四つある。一つは日本人としてラサ府に入って来たのは私が始めてである。事ここに及んで私の身分、心事をこの国人に知らさずんい出て行くというのはいかにも残念であるから、たとい私が害を受けても、あなたがたや大蔵大臣およびセラ大寺に害を及ぼさなければ、私はここに止まって法王に上書します。第二は上書して私は身を完うすることが出来ても、他の人々に害を及ぼす憂いがあれば断じて上書しません。
     第三は上書せずに私がインドの方へ出て行っても、その後にこの国民に害を及ぼすような事が起らなければ、私は上書せずにインドへ帰ってしまう。第四は上書のいかんに拘わらず私がインドへ帰った後に、私が知って居る人のすべてに禍いが及ぶならば私は帰らない。この儘この国に居って上書します。なぜなれば私が帰っても害が起り帰らないでも害が起るならば、その難儀を知人と共に受けてこの国で死にのが私の義務であるからです。ただし自分だけ逃れて出るということは断じてしません。もしインドへ帰って行ってもこの国に大いなる害が起らないか、あるいは全く害が起らないという見込みが、断事観三昧で立ちますれば私は帰って行きます。
     で、この四通りに分けて私は今晩断事観三昧に入ってその執るべき道を極【き
    】めようと思う。しかしこれは私が極めるので、どうも自分の事を自分で極めるだけでは気が済まぬから、なお私の師匠のガンデン・チー・リンボチェについてこの事を問い糺す。もちろん私は日本人で今度こういう事になったから帰るというては問わぬ。私は巡礼に出かけにゃならぬ必要があるが、出掛けた後の多数の病人のり外いかんという点について判断を願って、二者一致すればこれを執り、なおその場合に一致しなければ、更にツェ・モェリンのラマに頼んでもう一遍判断して貰う。で、それが師匠の判断と一致すればその判断に従い、私の判断と一致すればその方に従う」

    「その翌朝早速ガンデン・チー・リンボチェの所に参りました。巡礼に出かけるというつもりで伺いましたところが、師匠は笑いながら判断してくれましたが、「どうも巡礼に出かけると今まで苦しんで居った病人がかえってよくなる訳になって居る。しかしあなたのいわゆる病人というのは本当の病人じゃあるまい。まああなたがここに居るとラサ府のお医者さんが喰って行くことが出来ないから、その助けにでもあなるというようなものかね」というお話であった。しかし確かに師匠は私のこの国を去るということを知って居られたようですが、実に恐ろしい人です。他にも尊いラマは沢山あるように承りましたけれども、とにかく私の親炙して教えを受け殊に敬服したのはこの方であった。これが師匠のガンデン・チー・リンボチェと私との最後のお訣れであったです」

    世話になった大蔵大臣夫妻に事情を打ち明ける。

    「その上書を法王に奉って、私の日本人であることをお知らせ申すのは誠に易い事ではあるけれども、そうするとあなたがたに大いに禍いを醸す事があるかも知れない。よってあなたがたが、私の他国人たる事を知ったから政府に吹き渡すというて私に縄を掛けて法王政府に渡して下さい。さすればあなたがたに災害の及ぶ気遣いはございません。私はまた私だけの真実、即ち仏法を修行するためにこの国に来たということを、法王政府に向って説明しますから」
    「事が成っても他人に禍いを掛けては何にもならない。自分が死んでも人に禍いを及ぼさなければそれで充分です。既に今日まで真の親子のごとくに慈愛されたあなたがたお二人に禍いを遺して、自分の身だけ逃れるということはどうしても出来ませぬ」

    という慧海師に対して、大臣いわく、

    「そういう立派な志のある方を殺して、老先【おいさき】短き我々が災難を免れたとて何の役に立とうか。私も不肖ながら仏教を真実に信じて居る一人である。自分の災難を免るるために人に縄を掛けて殺すような事は出来ない。殊に私はあなたが国事探偵でもなければ、また我が国の仏教を盗むために来られた外道の人でもない事は、これまで種々の方面から観察して確かに知って居ります。たといこの老僧が殺されても真実に仏教修行に来られた方を苦しめて、自分の難儀を免れることは私にはとても出来ない。殊に我が国の現今の状態は、決して貴僧の本籍を明らかにすべき時機ではありません。ですから一時帰郷せられて他日の好時機を俟つより外にしようがない。私も不肖であるがガンデン・チー・リンボチェの肉弟である。また弟子である。その大慈悲の教えを受けながら、あなたを殺して私の難を免れるということはどうしても出来ない。もし我々があなたの去った後に困難に陥ることがあるならば、前世の因縁であると諦めなければならぬ」

    ここには相手に対するリスペクトと慈愛と譲り合いの精神がみちている。慧海師じゃなくても、こんなことをいわれたら泣いちゃうよ。ちょうど葉室麟原作の映画「散り椿」「蜩ノ記」を立て続けに見て、主君のため、御家のためといいながら自ら罪を被り、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ばざるを得なかった侍という名の奴隷たちの過酷な運命を嘆く一方、それを「善し」とする精神文化に対して、憤りを感じたばかりでもあったので、よけいにそれと比べてしまう。自分が世話になった人たちを苦しめるくらいなら自分の命など惜しくない、という仏僧のやりとりには共感できるのに、主君のためならいわれなき批判も受け入れ、喜んで腹を差し出す、それこそが忠義である、という侍のゆがんだ自意識に反発を覚えるのはどういうわけか。みずからそれを望んでおこなうのと、そうせざるを得ないからそうする(のを無理やり自分を納得させるために、そういう精神文化を育まざるを得なかった?)のとでは、やはり、根本的なところで大きく違う。自己犠牲の精神を否定したいわけじゃない、みずからすすんでおこなう自己犠牲はやはり尊い。だけど、制度として、慣習として、自己犠牲を強いる(時点で「自己」犠牲ではないんだけど)文化はどこまでいっても息苦しい。仏僧たちのやりとりの、ふっきれたようなすがすがしさとは縁遠い世界だ。

    オーディブルは河口慧海『チベット旅行記』の続き。

    最難関のチベット国境越えを前に断事観三昧をして正々堂々と関門を突破すると心に決めた慧海師。ラサ府から追手がかかっているかもしれず、そうなると時間との勝負になるが、どこの関所にも足止めを食らわせて少しでも多くの賄賂をぼったくろうと手ぐすねひいて待ち構えている役人がいて、一筋縄ではいかないのはわかっている。

    「ですから常識の上から考えてはとてもこの五重の関門を無事に通り抜けるということはほとんど出来得ない事である。否全く出来ない事と考えにゃあならぬ。しかるに三昧の示すところは常識上どうしても考え得られないところの方向を取ることを示して居る。間道を取れば強盗及び猛獣の難あり、公道を取れば縲紲【るいせつ】の辱めを受くる恐れあり、いずれの道を取れば無事に目的地に着く事が出来ましょうか。
     私の考えるにはこれは常識上の道理に従わなければならぬ事であるけれども、一体どっちから行っても危険の度から言えば同じ事である。つまり公道を取って捕縛せられて酷い目に遇うかまた間道を取って猛獣のために喰われて死ぬか、あるいは強盗のために殺されるか、どうせ免れぬ困難なら本道を取りましょう。殊にこれまで三昧の示すところに従って着々成功したから、まず今度もその示したところに従って移行という決心が着いたです」

    一度腹が決まれば、あとは淡々と、流れにまかせるだけ。御仏のご加護で無事関門をクリアした。

    「あのような厳しい五重の関門を僅か三日間で通り抜けたということは実に不思議である。ごく旅慣れてこの辺をたびたび通過して居るところのチベット商人でさえ、この関門を通過するには七日以上十四、五日掛るという予定。しかるに私は殊に大雨中三日間に通り抜けてここまで無事に出て来たというのはいかにも不思議である。始めこの五重の関門を通ろうという決心をしたのは、どうせ前世のカルマ(業力)の結果、免かれぬ因縁があればブータンの間道を取ろうが桃蹊の間道を取ろうが、運命は一つであると考えたからで、幸い事を誤らずにここまで着くことが出来た。しかしこの間において不思議な事は、私が予期しなかった謀事がずんずんその場合に臨んで施されるように、向うから仕向けてくれた一事である。
     いずれの関門長も俗にいう狐に魅【つま】まれたごとく、ことにかの眼の鋭いチーキャブ、二十年以来インド地方に在って艱難辛苦を嘗めつつ種々の世渡りをして来たかの人足廻しのダルケさえ、私の心事について素振に対して一点の疑いを挟むこともなく、かえって閉口頓首してその日の中に送り出すようにしてくれたというのは、これ全く我が信仰する本師釈迦牟尼世尊の守護下された徳による事であると、実に仏の冥加の恐ろしいほどの有難いのに感涙を催し、その夜は特にお経を読み夜中一睡もせずにテントの中で夜を明かしました」

    オーディブルは河口慧海『チベット旅行記』の続き。

    英国の秘密探偵だと疑われた空飛ぶ和尚の話。

    「そりゃああのニャートンの守関長のチーキャブがラサ府に報告した事がある。それはこういう話だ。これまで日本人だといってラサ府に入って居ったラマがあるがそれは日本ではないのである。英国のある高等官と兄弟であってその高等官の望みを達するために、自分は日本人という仏教国民の名をもってラサ府に入ったものである。で、そのラサ府に居る間もダージリンの方へはたびたび手紙の往復をした。
     その手紙の取次をした人間は誰かというとツァ・ルンバなりあるいはタクボなりという説がある。またそのほかの商人にもその日本人なりといって居る。米国(英国?)の国事探偵は沢山金を遣ってダージリンへ書面を送りまたこちらからも書面を持って来て貰ったという。ところがその事は誰か密告するものがあって分るような都合になったのでラサ府を逃げ出したのであるという。ところが彼は不思議な術を知って居る者で決して一通りの人間でない。欧州人の中には稀にはそういう者がある。
     彼はもちろん私の関所へは来なかったがしかし間道というたところが厳重に塞いであるから通れる筈はない。だからあるいは山の際まで来てそれから空中を飛んで出て行ったかも知れない。既にラサを逃げ出しニャートンに掛らずしてダージリンに行って居るところを見ると、確かにそれに違いないといって、法王に対し上書したという。それから皆が一層非常な呵責を受けるようになったのですが、一体あなたはニャートンからこちらへお越しになったかあるいは空を飛んでお越しになったか」という話なのです。
     空を飛んで来たかという奇問。「私は鳥じゃああるまいし、そんな事は出来やしない」というと「しかしあなたにはそれが出来るという評判になって居るのです。様子を聞いて見るとセラでも不思議な事が沢山あったという。死んだ人さえ助けたというじゃないか。空を飛ぶ位は何でもない事だ。チベットでは皆チーキャブが法王に上書した事を本当にして居る」というような話。」

    画期的なテクノロジーや医療技術は魔法にしか見えないというが、それを知る人間にとっては当たり前の技術でも、それを知らない者にとっては「奇跡」にしか見えないのであって、神がおこした「奇跡」が素朴な信仰(宗教に対するものだけじゃなく、呪術や伝統ではなく科学や技術を信じることも含まれる)につながるというのは、おそらく真実なのだろう。理屈はいいから、まずは目に見える成果をバンと提示することの重要性は、ある思想なりイデオロギーなり価値観なりが世間に広く受け入れられるときの大事な要件なのだと思う。

    ただ、人間は自分の身を守るため、あるいは、自分を大きく見せるために平気でウソをつく動物だから、チーキャブが慧海師の出国を認めてしまった事実を隠蔽するために、慧海師を英国人スパイに仕立て上げ、空を飛んで出国してしまったから自分には非がないと言い繕うのを、「さもありなん」と受け入れてしまう素朴

  • 青空文庫、iOS読み上げで。
    読み上げは誤りは多いけど、まぁそんなに支障はない。ただ、2倍速ぐらいまで上げると聞き取りにくい文体だと思う。
    物語は面白いのだけど…長い。時代や実話・冒険談として評価できても、今読むと古さを感じるし、1000ページ近くコレでは少ししんどい。
    序盤は先々のトラブルと乗り越えで注目してしまう。中盤以降はチベット文化史、終盤は帰路の話が中心で、序盤ほど印象は強くない。でも、当時の状況を知るにはとても詳細。これしかないのでは?と感じるほど細かい。
    ただ、チベットのこと、結構ボロカス書いてる(笑)。不衛生なとこが印象深い。

  •  明治時代、鎖国をしていたチベットに仏教修行に行った河口慧海氏の旅行記。日本を出国する際のエピソードで「なにも旅費を援助するだけが餞別ではない、禁煙や禁酒を誓ってくれ、その後体をいたわってくれれば十分な餞別だ」というところ、印象深い。
     誰もがやめろ、という一見無謀なチベット行きだが、ひとつひとつ、努力とその場の智慧で難局を乗り越えていく。
     チベットでは医学の心得があったことから「難病を治すラマ」として有名になり、政府高官や法王に近い人たちと親交を結ぶ。
     そして無事に生還する。
     比類のない冒険譚であり当時のチベットを活写する紀行文である。
     本書に描かれている慧海師の心根の高潔さは日本人が引き継いでいくべきものである。

  • とある授業の推奨文献で課題が課されていたため手に取ることとした。結果としてとても良い本に出会えた気がする。
    読み終え、初めに覚えたのは長えよってこと。とてつもない分量で途中何度も挫折しかけ、何度もなぜこの本を手にしてしまったのだと感じた。しかしながら、昔の書籍にしてはユーモアがあふれた文章で描かれており、読中思わず吹き出してしまうような箇所が散りばめられていたせいか飽きも少なく読み進めれた。今まで、チベットに関してはことさらに興味もなかったが、この本を読んでチベットの本質を知り、印象はがらっと変わった。

    全体を通してこの旅行記は波乱万丈な内容ばかりでヒヤヒヤの連続。慧海は日本人による初めてのヒマラヤ越え、チベットに到達した僧侶。言葉を現地又その周辺で習得し、自分が日本人であることを隠しながら現地の生活に溶け込み、かなりの地位にまで昇り詰めている姿はまさに圧巻。ただの僧侶で探検家ではないという点から考えると、彼は相当能力の高い行動力と吸収力を兼ね備えたスーパーピーポーだったんだろう。また、濁りないものを見つめる高名な態度と、そのチベット人に対する人間的共感の深さは、そのいずれもが人の心を打たずにはおかない慧海の優秀で聡明であった姿を彷彿させ、複雑な人間関係と習慣をいくつも乗り越えてる姿には感心した。
    慧海の旅は、行き当たりばったりにしてはよく考えて行動されている。人伝いに自分の得るべきスキルを身に付けてるし、自分で考え危険分子は回避してる。また嘘も巧妙。これほどまでも人を信じさせるのか。人をだます商売にでもついたほうがいいと思う。そして人を説き伏せるのが何よりもうまい。会う人会う人に自分の意見を押し伝えて、鋭い正方を守る論法で厳格に打ち破り、相手側が折れていることがほとんど。友達にはしたくない。

    チベットに行くまでの様々な苦労体験が個人的に1番おもろい。九死に一生を何度も体験して三途の川を見すぎてはいないかレベルで死にかけすぎている。描写を思い出すと笑っちゃいけないんだろうけどアホちゃうかと笑ってしまう。そんな現実感がない体験を目標を諦めずにここまで奮闘した彼には凄い。エグい。
    チベットやそこに至るまでの様々な地点についての生活習慣や風俗、内情、風景、その他様々な事柄を綿密で鋭い観察眼と達者な比喩表現を用いて事細やかに描き表していた点も、臨場感が味わえて楽しかった。

    全体を通じて強く心を打つのは、その行動を通して文章からひしひしと迫る求道者の情熱。慧海はいたずらに冒険を求めたのではなく、目標のために、安定した将来、生活を捨てて、一人チベットへ向かった。一般的からはかなり逸脱したこのような判断・決心ができた慧海は、何かを達成し名前を残す人の鑑のような存在であり、尊敬できる。死んだら死んだでそれでよいと開き直り、己の目的のためにすべてをささげる姿は、多少なりとも行き過ぎたこともあるが人生目標の達成にぜひとも参考にしたい

  • 登録から2年、やっと読了笑
    それもそのはずで分量は分厚い単行本で2冊なんです。
    前回も旅行中に読んだが、今回も同じ中国の旅行中にやっと読了。

    そして、今回の中国旅行であと残るはチベットだけに。
    チベットを行くと中国は全省制覇となるのだ。
    とここまで本には全く関係のないことばかり。

    読了後は正直感動した。
    日本人が誰もいったことなかったチベットに潜入。
    ダライラマにあってのけるのだから。
    そして、そのユーモアのある文章にびっくり。明治時代の人でこんなに面白い文章を書ける人は初めてかも。

    ダライラマの亡命や中国からの独立運動などいろんなことが言われるチベットだが、チベットの本質を知りたいなら読むべし。
    元来チベットは中国を大変尊敬しているのだとか。
    こりゃいってみるしかないかな。

  • ラオス旅行中に読む。ラオスも田舎だが、チベットはもっともっと辺境である。バックパッカーの元祖でもある。おもしろかった。

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河口慧海の作品

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