八日目の蝉 (中公文庫) [Kindle]

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  • 中央公論新社
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感想・レビュー・書評

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  • 不倫相手と正妻の間に産まれた子供を拐って育てた女性の物語。

    切なくて、哀しい話なのだが、物語の中に引き込まれていってしまいます。小豆島の優しい風景描写も素晴らしいです。

    親子の愛とは血の繋がりだけではなく、どのように過ごすかの方が大切なんだと思いました。

    オススメ!

  • 再読した。
    2回目読んでよく理解できた

    本物の家族とは、母とは、何か。
    物語で出てくる男はみな弱く、嫌なことから逃げる。
    そんな大人にはならないようにしよう笑

    薫(恵里菜)は二宮希和子に感謝しているのか。
    それとも憎んでいるのか。その時次第で気持ちは変わる。
    妊娠を機に考えが変わった気がした。

    ゼミで映画をちょっと見た。
    「愛憎」これがキーワードらしい。

    血が繋がっているかいないかは関係ないということ。
    全ては本人の気持ち。
    実の家族でもそう思えないかもしれない。
    なぜ私だったの。普通の生活がしたかった。
    なぜ私だったの。
    今を生きることができるのは自分だけ!

  • この小説を読んでいる時に浮かんできた言葉。
    切なさ。やるせなさ。希望。ジェットコースター。自分/他人の人生。これさえあればという思い。わからない。どうしようもなさ。不条理。理不尽さ。儚さ。小狡い。どうして。誘拐する側の論理。微妙にはまらないパズルピース。雨。自然。昔の記憶。うっすらと。ダメ男。強さ。踏み出した一歩。笑顔。子供。

    前に読んだ「対岸の彼女」での人間の思いの描き方が殊の外気に入ったこともあって、次作を読みたかったんだけど「誘拐犯の話」ってところでちょっと食わず嫌いしていた。が。前作同様、一気に読み終えてしまった。そしてレビューを書こうと思ったんだけど、うまくまとまらないので言葉だけ上に羅列した。レビューになってないか。

    それにしても角田光代という作家は、人間の感情と日常の風景を淡々とそれでいてどこか湿り気のある形で表現することがとてもうまくて、引き込まれてしまう。どうしようもない思いと、触れるとなくなってしまいそうなかすかな希望。それでも人間は生きていく、みたいな。

    うまく表現できないんですが。

  • 不倫による妊娠で墮胎をし、不倫相手の家族の乳児を攫ってしまった希和子の逃避行。

    第1章は希和子、第2章はエリナの目線で、誘拐事件の全体像が語られてゆく。

    希和子と薫の別離の叫びで、一気に涙が爆発した。映画を観たはずなのに。知っていたはずなのに。「母親」というものがどういうものかを表すのに、これ以上の台詞はない。沢山の美しいものを見せてあげたい、幸せにしたい、守ってあげたい、それは確かにそうなのだが、より根源的に母性が担っているのは「食べさせること、飢えさせないこと」エリナの母はその点で欠けた人であったことは確かだろう。

    檻の中から、閉鎖された施設から、過去から、暗い土の中から明るい所へ出た蝉はどうやって生きていくか。
    八日目の蝉に仲間はいない。大多数の人と同じようには全う出来ない。それでも生は続いてゆく。

    ロングセラーの力を見せつけられた。読んだ人に跡を残してゆく、傑作で間違いない。小豆島にもすごく行ってみたくなる。

    『愛がなんだ』でも思ったけど、角田さんは、クズ男とそれにハマる女を書かせたら天下一品なんだよなぁ…

  • めちゃくちゃスラスラ読めた、熱が伝わってくる文章、最後のあとがきにも、子どもを持つことや結婚について言及されていて、他の作品も読みたくなった

  • めちゃくちゃ良かった!最初から最後まで夢中になって読んだし、終わり方も安っぽい終わり方じゃなかった。
    薫がきわこと過ごした日々に戻りたいと願う描写や、小豆島の方言が実母に訂正されるシーンなど、引き込まれる箇所が沢山あった。間違いなく、薫ときわこの過ごした日々は安心出来る場所になっていた。血の繋がりはなくても、純粋にお互いに必要とする母娘だった。
    産んだから母になるものではなく、苦楽を共にする生活中で家族になっていくのではないか。
    実母は薫の母にはなりきれなく、自分の感情だけをただぶつけた1人の女性だったと思う。薫を妊娠し妻として勝ったように思っていたんだろうけど、きっと彼女は孤独から抜け出せないままだったんだろうと思う。

  • 希和子は不倫相手の子供である恵理菜を赤ちゃんの時に誘拐したけれど、与えたものは温かい愛情の日々で、読んでいると桟橋での別れのシーンでは泣いてしまう。映画も大好き。犯罪だけれど、希和子と暮らして欲しいと思ってしまうほど引き込まれる作品。

  • 赤ん坊を誘拐した希和子は明らかに悪いのだけど、どう読んでも希和子の気持ちに寄り添いたくなる。終盤、被害者の薫の気持ちの中に、恨んでいた希和子を許し、むしろ愛おしくさえ感じる感情変化があり、大きな救いを得たような気持ちになる。そして、小豆島の描写がどこまでも美しくて、涙が止まらなくなる。

  • 不覚にも泣いてしまった。
    読み終わってから数日経過しても希和子と薫のことを考えてしまう。数年に一度の余韻に浸れる小説だ。

    赤ん坊を誘拐して、五年ものあいだ逃亡先を転々としながら自分の子供として育てるが逮捕される。成人した赤ん坊は自分の過去を辿る旅に出る。

    最初は粗筋を聞いて拒否反応を感じた。自分自身に子供がいるので、この主人公に感情移入できると思えなかったからだ。
    そんな小説なのに何故読んだのかと言えば、他の角田作品が面白かったからだ。著者の代表作である本作もきっと面白いはずだ。そんな期待から読んでみた。

    小説は一章と二章の二部構成である。前半が誘拐犯貴和子の視点。後半が成長した娘・薫の視点。
    正直、前半は冗長だと感じながら読んでいた。誘拐、逃亡、宗教団体など非日常の出来事が起きるのだが、物語は淡々としていて貴和子の日記のような印象だった。様々なエピソードがバラバラと散らばり、底辺の日常をそれなりに楽しく生きている。そんな疑似親子の人情噺みたいな展開かと思いきや、ふいに逃亡劇は幕を下ろす。

    そして後半。20歳になった薫の視点で物語は進む。個人的には、薫が自身の過去を思い出していく過程に心を動かされた。前半の冗長だと思っていたエピソードが、薫の視点で見ると、キラキラした子供にとっての宝物のような記憶だと分かる。
    希和子が逮捕され、東京で暮らし始めた薫。どうしても小豆島に戻りたくなり住宅街を歩き続けるのだが、一向に海へは辿り着かない。そしてもう貴和子との生活は戻らないし、島へは帰れないと薫は理解する。そういった記憶の断片が胸に刺さってくるのだ。

    読む前の希和子のイメージは、身勝手な犯罪者だった。読み終わった後もやはり身勝手だとは思うが、同時に逃げ切って欲しかったという相反する感情を抑えられない。
    逃げ切ってほしかった。

    誘拐犯の貴和子は身勝手の極致だ。自分の子供が誘拐されて数年間も知らない場所で育てられたら、と思うと許せない気持ちでいっぱいだ。
    そんな身勝手な誘拐犯に感情移入させ、物語の結末を変えさせたいと思わせる角田光代は凄い作家である。

    「この子はまだ朝ご飯を食べてないの」
    ただの状況説明のような一言がとても大切な言葉として刻み込まれてしまった。

  • 愛した男の赤ん坊を盗み
    逃亡生活を送りながらも精いっぱい愛した女

    4歳で実の親の元に戻った少女のその後

    卑怯でだらしのない男と
    女の底力。

    幸せになってくれることを心から願いたくなるラスト

著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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