宮本武蔵 03 水の巻 [Kindle]

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  • 2013年10月22日発売
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  • 信長が桶狭間の戦いのおり吟じたという幸若舞「敦盛」の一節、「人間五十年、化転のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」から「水の巻」は始まる。明日は知れない今日の生命。

    武蔵の剣にかける人生がスタートした。著者は、この言葉でその武蔵の胸のうちを表現したかったのだろうか。短い人の一生において、可能な限り自らを磨き続けたいと。

    武蔵は、17歳にして故郷を出、18歳~20歳の3年間、池田輝政の姫路城の天守閣にある一間で学問に専念し、21歳から自ら決めた剣の修行を開始した。

    京の西洞院四条に吉岡拳法と言う剣の名門があると聞き、門を叩く。自らの剣を試し、さらなる上達のための何物かを得るためである。

    吉岡道場の門を叩いた武蔵は、「ただ独り山に籠って、樹木や山霊を師として勉強。これという師もなく、流派もない。将来宮本流を立てたい。」と自らを語った。

    武蔵のやり方は、半ば「道場破り」的な飛び込みによる他流試合方式だ。ただ、そこの看板を取ろうとか、金にしようとか、そういう裏は全くない。純粋に自分の剣を試したい、磨きたいという一心であった。

    このやり方は、一つ間違えば、命を落とし、クズのように捨てられてしまう。相手は名門、確立された技術があり、実力も実績もあり、さらには名門のプライドもある。普通であれば、勝てる確率はかなり厳しいと考えるものだろう。まさに命を賭した人間錬磨の道と言える。

    「将来宮本流を立てる」という大志。大目標の設定、そのための実行計画、勇気と強い意思。ビジネスでも、スポーツでも、勉学でも、はたまた人生全般においても参考にはなる。しかし、武蔵のごとくどれだけ自分への厳しさに耐えうるのか・・・。

    そしてまた武蔵は、「ここ二十日あまり、吉岡拳法の門を始め、著名な道場を歩いてみた結果、案外な感じを抱き、同時に自分の実力が、自分で卑下しているほどに拙いものではない」とも感じていた。

    自らの信念を貫いて、努力に徹してきたことは、自分で考える以上に世の中に通用するという事実も、様々な分野に共通する真理として、努力する者への励みとなる。

    小説としては、強い相手に挑むハラハラ感と、その相手を一撃で撃破してしまう武蔵の凄腕に爽快感を感じつつ、旅をともにすることになった少年・城太郎に対する兄貴兼師匠としての温かい眼差しもまた爽やかである。

    武蔵は、吉岡道場で門人をことごとく倒した後、大和路へ向かい、槍で名の高い宝蔵院を目指す。そして宝蔵院でも二代目胤舜不在中に、その高弟阿厳を一撃で下す。一撃で即死と、武蔵の剣はすさまじい。

    武蔵と阿厳の戦いの前に、武蔵は不思議な老人と出会う。すれ違い様にものすごい殺気を感じるが、その老人はこの戦いの前に、すでにその結果を予測していた。

    「阿厳、無駄じゃよ、その試合は。-明後日にせい。胤舜が戻ってきてからにせい。」と。

    この不思議な老人は、宝蔵院二代目の胤舜に槍の技を伝授したという奥蔵院の日観という人物であった。武蔵は、初めて自分の実力を超える人物のオーラに恐怖を感じたのである。

    日観は「おぬしが感じた殺気は、おぬし自身が発している殺気だ。」と武蔵に指南する。また、「おぬしは強すぎる。もう少し弱くなるがよい。」とも。

    これが、どういうことを意味しているのか、小説には具体的に書かれていない。日観老僧の武蔵に対する言葉から、自分なりに考えてみるしかない。

    「強いが兵法などと考えたら大間違い。-わしの先輩柳生石舟斎様、そのまた先輩の上泉伊勢守殿、そういう人たちの歩いた通りを、これからお身持ちと歩いてみるとわかる」

    「ほんとの武者修行と申すのは、そういう武技よりは、心の修行をすることだ。また、諸国の地利水利を測り、土民の人情の気風を覚え、領主と民のあいだがどう行っているか城下から城内の奥まで見極める用意をもって、海内くまなく足で踏んで、心で観て歩くのが武者修行というものだよ」

    武蔵は、この言葉を聞き、柳生家の大祖・石舟斎に会ってみたいと強く思う。

    「死を賭してよい、柳生宗厳に面接して一太刀打ち込まねば、刀を把る道に志したかいもない」

    もう隠居している石舟斎と会うために、武蔵は一計を案じる。石舟斎の四高弟との戦いに挑むのである。

    果たして、その真剣勝負の場に、聞き覚えのある笛の音が・・・。それは、石舟斎のもとに仕えていた、お通の笛の音だった。

    心を乱した武蔵は、試合を捨てて逃げる。

    そして武蔵は柳生のもとを去り伊賀路へ向かう。
    それを追って、お通もまた柳生を去る。
    武蔵の剣の旅とともに、お通の切ないドラマもまた続くのである。

  • 戦いの場面、引き込まれる。

  • 都合がいい。武蔵が女性に対してあまりに不誠実で好きになれない。しかも史実に忠実なわけでもない。

  • 本格的な決闘はまだだが、武蔵のタダモノじゃない感じが、随所に出てきた。特に芍薬の切り口のエピソードは印象深い。

  • 2016.04.04
    武蔵の流浪の旅!
    京都の吉川で又吉にあったり
    奈良の宝蔵院のお爺さんの計らいで、名が上がり
    ついに石舟さんのところでしたお通と再会しかけ…

  • 清十郎と伝七郎不在の吉岡道場で門弟たちをボコった後、取り敢えず来年また来るわ、と去って一路奈良へ。宝蔵院に着いたが今度は胤舜居ないので阿厳をこれまた瞬殺(ホントに死亡)。他の浪人共ともめたので、結果的には宝蔵院の皆様と共に皆殺し。んでそのまま柳生にいって高弟x4とバトルも流石にやばくなって逃げて、せめてと思って石舟斎のとこいったらお通が来たので逃げ出した。
    まだ2冊で既にここまで。吉川英治の日本語が好みで、ホントに読んでて楽しい。

  • この巻で特に印象的だったのは未だ武蔵が迷いの中にあり、書物の世界だけでは結局開眼しきれていない最大の人生目標、「本当の強さとは何ぞや?」を探し求めている姿です。  考えてみると時代や状況は異なれぞ、人は誰もがこの頃の武蔵と同じように「自分が求める理想の姿とはいったい何であるか?」を探し求めている時期が最も苦しい時代なのかもしれません。

    武蔵の苦しさが他の人より一入大きいものになってしまうのは、「自分が求める理想の姿」がわからないながらも、畑仕事をしている老人の佇まいやら、ふとしたことで手にした花の切り口を一目見ただけで、常人なら察知することさえ困難な相手の器量が見えてしまうほどの「目利き」である(実はそのこと自体が「常人ではない」ことの証左なんだけど、それには肝心の本人が気がついていない ^^;)ことがまずあります。  そして更にはその相手の器量を素直に真正面から受け止め、そこに到達していない自分の未熟さに焦燥感を募らせてしまうところで、そんな武蔵の姿が凡人代表(?)の KiKi には痛々しく感じられます。

       

    野獣から沢庵和尚の導きで人に生まれ変わった武蔵だけど、野獣時代に身につけた「腕」(と呼んでいいのかどうかはビミョーだけど)と人への転生の過程で身につけた「心」のアンバランスさばかりが際立ち、それがある意味で突拍子もない形で表に出ているようで、つくづくこの時代の武蔵は「生きにくかっただろうな」と思わずにはいられません。

    さて、この物語を読んでいてもう1つ KiKi が感じたのは、この時代(豊臣政権から徳川政権へと移り変わる時代)の大きな社会問題だった「牢人(≒ 浪人)問題」が実に生き生きと細緻に描かれているなぁということでした。  歴史の授業ではどちらかというと武家社会の中でトップの顔ぶれだけが織田→豊臣→徳川と変わっていっただけ・・・・・みたいな感覚にも陥りがちだけど、その裏には大名のとり潰しとそれに伴う家臣の失業というすったもんだがあったわけで、そんな失業家臣団が牢人化しどんなことをしていたのか?はとかく見落としがちだと思うんですよね。

    特に KiKi のように学生時代の歴史の勉強は「受験のための暗記科目」と割り切っていたような人種には尚更で、そういう部分を埋めるために「歴史小説」を読んでいるようなところが KiKi にはあります。 

    さて、ようやく物語には武蔵・宿命のライバル、佐々木小次郎が姿を現しました。  今のところ KiKi の予想を裏切り「え?  そうだったの??」状態の小次郎君ではあるんだけど、これはますます先が楽しみになってきました。

  • 奈良の宝蔵院を目指す武蔵は、奥蔵院の日観に出会う。
    宝蔵院では、槍の使い手と手合せするが、一撃のもとに倒してしまう。日観にはそこで「おぬしは強すぎる」と諭される。殺気が漲りすぎているのだ。
    武蔵と城太郎は宝蔵院の近くの後家の家に滞在するが、牢人衆の山添団八、大友伴立、野洲川安兵衛から仲間に誘われる。宝蔵院での阿巌との一戦を見て、剣闘詐欺を目論んだのだ。武蔵がこれを拒否すると、山添らは復讐を図る。宝蔵院の槍士らを焚き付けて、武蔵を絡め取ろうとする。
    なんとか虎口を脱した武蔵は、柳生石舟斎の教えを仰ごうと、小柳生へ赴く。そこで吉岡伝七郎とすれ違い、さらに柳生の四高弟・正田喜左衛門、木村助九郎、村田与三、出淵孫兵衛と対面する。そして、石舟斎の草庵で笛を吹くお通と再会するのだが……。

  • 2013年10月29日読了。宮本武蔵サーガ第3巻。(1巻は作者まえがき)道に迷い強さを求め続ける武蔵。京で吉岡道場をたずね、柳生の里をたずね、そこで生死を賭けた決闘を繰り返すがいまだ「強さとは?」に答えは出ず・・・。井上雄彦のマンガも面白いがこちらも抜群に面白い!柳生登場からエスカレートしていく「達人」「強さ」の表現が一々凝っている。このペースで最終巻まで持つのか?いつフリーザが出てくるのか?と思ってしまう。強いというのはどういうことなのか、負けないことが強いことならそもそも戦わないことが最も強いということになる。考えさせられるねえ。

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著者プロフィール

1892年、神奈川県生まれ。1921年、東京毎夕新聞に入社。その後、関東大震災を機に本格的な作家活動に入る。1960年、文化勲章受章。62年、永逝。著書に『宮本武蔵』『新書太閤記』『三国志』など多数。

「2017年 『江戸城心中 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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