- Amazon.co.jp ・電子書籍 (393ページ)
感想・レビュー・書評
-
人格が肉体から解放されるテクノロジーが出たときに、人格はどのように扱われるか?その人格に尊厳はあるのか?を問う物語。
良かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「言語ものSF」と呼ばれる類いだろうか。
21世紀末のシアトルが舞台。主人公の天才研究者サマンサ・ウォーカーがオーナーの一人であるニューロロジカルというハイテク企業が産み出した技術、NIP (Neuron Interface Protocol)とか、ITP (Image Transfer Protocol)とかとかの技術を使って、擬似神経によって思考するAI “Wanna Be”を起動する。Wanna Beは小説を書くというミッションを与えられる。余命が残り少ないとわかったサマンサは研究に没頭し、会社も無視して孤立しながらWanna Beと研究を続けるうちに、だんだんWanna Beを人間のように思えてきてしまうというタイプの話。
ハイテクSFものかと思いきや、死、感情がテーマであり、文章も難解気味で、展開が少なく、それでいて長いということで読みにくさもあったけど、その設定自体は興味深く、あり得なくはなさそうだという「ハードSF」マナーに則った物語。サマンサとWanna Beの間の「人間模様」も見どころ。
身の回りに近未来的な発明があるのもおもしろい。
・環境セル:自動で温度調整がされるドライスーツのようなもの。便利だがファッション的な観点で普及してないらしい。
・全自動車(ロードキャビン):こっちは普及してる。
・紙状端末:紙のように薄いタブレット端末みたいなものだろうか
・羊水タイプの介護ベッド:液体に使って、皮膚から栄養素をとれる
・版権切れの小説を自動製本機で製本して読む無料の娯楽
アシモフ、レイブラッドベリ『火星年代記』、ジョージ・オーウェル『1984年』など、SF作家は古典SFを引用したがるの法則。
-
SF小説の類いは滅多に読まないのだが、ひょんなことから手を出してみた一冊。
評判に違わぬ重厚感で、世界観の緻密さ、完成度の高さには感心する。
舞台はジョージ・オーウェルの『1984』からちょうど100年後の西暦2084年のシアトル。
ITPと呼ばれる人工的に神経伝達を作り出す言語を用いて仮想人格を商品化しようとしている企業の研究者である主人公サマンサは、ITP人格に小説を書かせるプロジェクトに取り組んでいた。
そんな折、彼女が不治の病で余命わずかであることが判る。
肉体と精神を蝕まれて苦しむ彼女は、ITP人格である《彼》に救いを求め、やがて特別な関係が生じていく…
クローン人間とは異なり、肉体を持たないITP人格と肉体を持つが故にそれを失う苦しみを味あわなければならない生身の人間。
人工的に同等の精神を備えることになった両者の対話を通じて、奇妙にも生命倫理の談義は深まっていく。
正直、その哲学対話は半分も理解できなかった、というか理解するのではなく対話の流れに身をまかせることで読んでいるこちらの思索も深まっていく感じ。
近未来の社会や風景の造型は、現代から受け継いでいるもの、飛躍的に発展しているものの描き分けが絶妙で、(月並みだが)ブレードランナー的な、或いは、攻殻機動隊的なリアリティが漂う。
ユートピアでもディストピアでもない未来に、複雑な魅力を感じる。 -
半年かけて少しずつ読んでいた作品を読了。
あまりに壮絶で、あまりに受け止め難く、あまりに理解できてしまったが故に読むのが辛くてしょうがなかった。
時代が進んでも理不尽に人は死ぬ。その理不尽という感覚すら人が人生を意味ある「物語」として捉えたいという想いの産物に過ぎず、ヒトは動物のようにただ死という終わりを迎える。余命半年を宣告された、脳の動きをマッピングし個々あるいは時々によって異なる感情をテキストとして記述する人口神経制御言語ITPを開発したサマンサと、それにより記述された仮想人格〈wanna be〉による等身大の「生と死」に向き合う物語。人の死に対してここまで真摯に現実を突きつけた小説を僕は知らない。救いも悲劇もない物語は痛みを伴い心を打つ。 -
ひたすら“死”と対峙する主人公のサマンサ。科学技術の恩恵を受けて、住みやすい世界に(一部は)なっているようであるが、“死”は逃れられない。たとえ医療技術が発達しようとも、コンピューター上に自分の脳を再現できたとしても。
人工知能の〈wanna be〉は小説など物語を紡ぐために起動された。〈wanna be〉はサマンサとともに成長し、彼女を支える。本作品では人工知能の限界が、人ではないことだったり、人の限界が死ぬことであったり、“死”の重要性を思い知らされる。“死”と向き合うことの過酷さと死に行くものを見送る周り(特に〈wanna be〉)の優しさが心にしみる。若干冗長性がある長い物語であるが、“死”を受け入れるにはこの物語の長さが必要なのだろう。 -
題名から受ける印象に反してひたすら気が滅入る内容だけど、後半、擬似人格である《彼》のある行動をきっかけに俄然意味を持ち始めた。
死と言葉と物語と粘り強く向き合って、その関係性に明快な法則を導き出している。
小説という形を借りた良質な思索を読んだ気分になった。
哲学書は全く読まないけれど、こういう物もそう呼べるのかなと思った。