1927~1932頃を描いたモノクロサイレントの映画。時折効果的にトーキーが使われる。
サイレント映画のスター俳優がトーキーの時代になり凋落していく様と、
入れ替わるようにスターに駆け上がった女優との対比で時代の移ろいを残酷に表現しつつ、
二人の恋を描くことで 古くても新しくても「良いものは良い」という普遍性を描いた作品。
「老兵は去るのみ。後進に道を譲るべき それが人生よね。」
人気とは移り気で常に新しく刺激的なものへと移ろう。
しかし、古い、新しいということではなく、良いものは良いのではないだろうか。
本作は敢えてモノクロサイレントで撮影し、且つサイレントの良さを表現することによって、
古かろうが良いものは良いことを証明して見せたのだ。
「僕はアーティストなんだ。」「誇りは捨てなさい」
この場合の“アーティスト”は“売れない言い訳”に過ぎない。
売れないことを“芸術の判らない”時代や客のせいにした途端、彼の凋落は始まっていた。
カフカの「断食芸人」然り、観る人が居なければ人気もお金も出ない。
本作の主人公だって人気当時はあれだけ観客に迎合していたではないか。
ただし彼は良い声を持っていなかった。
そして成功が邪魔をして、声を乗り越える工夫を考えなかった。
主人公はラスト、ヒロインとの共演でタップダンスで活路を見出した。
「良いもの」を時代に併せて提供するのが芸人だ。
実はヒロインにも次の時代「オールカラ―」の試練が待っている。
しかし主人公と共に乗り越えた二人なら、乗り越えられないにしろ心の持ちようは得たはずだ。