わたしはロランス(特典DVD1枚付き2枚組)

監督 : グザヴィエ・ドラン 
出演 : メルヴィル・プポー  スザンヌ・クレマン  ナタリー・バイ 
  • KADOKAWA / 角川書店
4.01
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感想 : 56
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988111245854

感想・レビュー・書評

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  • カナダ・モントリオール。国語教師をしながら小説を書いているロランス(メルヴィル・プポー)は、30歳の誕生日を迎え、交際相手のフレッド(スザンヌ・クレマン)にある告白をする。
    それは、自分の身体の性に違和感を持っており女性になりたいと思っているということだった。
    この告白にショックを受けたフレッドは、これまでに二人が築いてきたものが偽りであるかのように思えてしまい、ロランスを非難する。
    しかしかけがえのない存在であるロランスを失うのを恐れ、フレッドはロランスの良き理解者となることを決意。
    ロランスに女性の立場からメイクなどについてアドバイスするが、モントリオールの田舎町では偏見を持たれ、ロランスは教師の職を失職しフレッドはノイローゼになり周りの無神経な好奇の目線や暴力など彼らに対する風当たりは強かった。
    ロランスとフレッドは、離れてしまう。傷心のロランスを救ったのは、歌手のグループ「ファイブ・ローゼズ」だった。
    念願叶い詩集を発表して性適合手術を受けたロランスだが、まだ心は幸せを求めてさまよっていた。
    グザヴィエ・ドランが、性同一性障害の男性とパンクな女性の恋を通して、世間が認めた「普通」からはみ出した人間が生きることの難しさと社会の不寛容さそして垣根を越えて生きることの尊さを描いた傑作ラブストーリー映画。
    自分の心が心と違う体にいることの苦しみ、世間の「普通」から外れることへの怖さ、世間の「普通」の垣根を越えて真実な自分であることの喜びがリアルに描かれていて、性同一性障害のことを良く知らない人でも共感しやすく、既存の価値観に違和感を持ち不安な人やはみ出していることに恐れを持っている人を励ましてくれるグザヴィエ・ドランの強いメッセージ性のある傑作映画です。

  • 先日見た『フランシス・ハ』『20 CENTURY WOMAN』と同様、雑誌で知った『わたしはロランス』。

    性の問題は難しい。

    男が女に、又は女が男になったからと言って害なんてないと思う。

    でも認めたくない人はいる。

    そんな中で、大切なものを捨てて「自分らしい自分」になろうとする主人公はカッコいいと思います。

    「自信はないけど、覚悟はある」という言葉はお気に入り。

  • 映画の感想はなんか書きにくいな!ところどころわかりにくさもあって、でもなんか降ってくる演出がすごい印象的、洗濯物とか葉っぱとか
    「わたしが女にならなくても別れてたよ」っていうのは、そうだろうなーとおもう、どうあがいても抗えない関係ってあるよね良くも悪くも
    蜜月は誰にでもあるよ、だからわかりにくいけど
    ただこいつら2度と会わない別れ方して何回わざわざ再会してんだ、とおもった笑 愛なのか執着なのかどこに希望見出してんのか
    いつかその感じも理解できる日くるのかなー、
    「あなたは何を求めてるの?」っていうセリフ、人を替え何度も出てきたからそこも印象的だったな、これはわたしにとっても命題〜
    でも、考えて結論出しても正解かは不明だし納得する答えだと実感できるものにはどうやってたどりつくんや、時間かよ経験かよウワーンってなる

  • グザヴィエ・ドラン監督作。
    あるトランス・ジェンダーとその恋人の10年間を描いた映画。
    なんとなく『あのころエッフェル塔の下で』を思い出した。ドラン印はかっこ良すぎてナルっぽくみえる時あるなあ。
    まあ、あんだけ才能があって美形ならしょうがないけど。
    完璧だもの。
    恋人の葛藤がリアルに感じた。

  • 愛とは己との闘い、せめぎあい尽くしたものだけに与えられるーそんな容赦ない真実を巧みな演出と色彩に富んだ映像美で描いた傑作。

    大学で文学の講師をしているロランスは、恋人のフレッドに「女性として生きたい」(但し、性的対象は女性のまま)と打ち明ける。フレッドは混乱しながらも、そんなロランスの「革命」をひとまず受け入れる。ロランスはその後、女性として生きるべく服装も変え職場の大学に姿を現すが・・。

    印象的なのは光と影の演出。冒頭のあたりは画面に陰りが多く、ロランスを演じる役者さんの細かな表情を読み取ることが難しい。特にクラブでのレーザービームさす暗がりでくねくねと踊るシーンとなど。カミングアウト(CO)をするまでの葛藤、ありのままの自分を曝していないという隠喩なんだろうか。

    COの後から、ロランスとフレッドを取り巻く状況が劇的に変わっていくのだが、その喜怒哀楽の表情は巧みな演出とともにさらされまくる。

    その後冒頭とは対照的に、いったんは離れ離れになった二人が再び会合しカラフルな布という布が空から降ってくるシーンは一つのピークで、祝福されているかのような光、光、光。ただ、そのままでけして終わらないのもこの映画の素晴らしいところなのだが。

    時代は80年代の終わりから90年代中頃。あの当時、DSM(アメリカ精神医学会による精神疾患の診断基準)でGID(性同一性障害)は精神疾患に分類されていたという歴史的な事実。性的な少数者が生きやすくなったわけではないけど、あの時代と比べると多少社会の理解は進んだ?と思いたい。

  • グザヴィエ・ドラン監督が90年代のカナダを舞台に、心と体の性の不一致に苦しむ男性とその事実を打ち明けられた恋人の10年におよぶ愛の道行きを見つめたヒューマン・ラブストーリー。
    第65回カンヌ国際映画祭ある視点部門に出品され、クィアパーム賞およびある視点部門最優秀女優賞(スザンヌ・クレマン)

    グザヴィエ・ドラン interview
    http://www.webdice.jp/dice/detail/3969/

  • トランスジェンダー(MtF)であるロランスと、その恋人であるフレッドの愛の物語。ロランスは、大学で文学を教えている「男性」で、彼女であるフレッドと愛し合っているが、ロランスはある日、実は自分の性別に違和感があるトランスジェンダーであることを告白する。

    ロランスは自身は女性として生きるのが自然なことであると感じるが、同時に女性に愛情を感じる人物である。だから、恋人であるフレッドとの関係は維持したいが、しかしフレッドは「男であるロランス」が好きである。この両者のズレはどうしても埋まらない。

    カミングアウトの後、ロランスが女装して生活するようになっても、決してフレッドの愛は消えず、一緒に生活するが、しかしある出来事から離れて暮らすようになり…

    磁石のS極同士がくっつき得ないように、どうしてもお互いの求めるものが一致しない、強いジレンマを抱えたカップルの葛藤を描いている。
    性的マイノリティーの要素が主軸になっており、そうした人々への差別が背景のように横たわっている話ではあるが、しかしそうした当事者以外に対しても広く伝わる「愛の物語」としての普遍性がある。

    二人は一体どうしたらいいのか、ということは最後までわからないが、しかしこういう愛というのは存在しうるだろう、とは思った。

    ちなみに音楽やカットの雰囲気がめちゃカッコ良い、というのは特筆すべき点。

  • そのタイトルが示す通り、男や女という境界線無く、ただ一人のロランスという人間が歩いた道の話だと思う。

    性同一性障害で、男の体でありながら女の心を持ち、でも愛したのはストレートの女性であるフレッド唯一人。

    社会の枠組みや、周りの目線や、親しい人達との葛藤を経て、欲しいものを手に入れたり失ったりしながらロランスは徐々に境界線を超えていく。

    別れてからフレッドからの手紙で会いに行くとき、正確にはロランス自身がドアを開けてはいない。最後の最後、フレッドとロランスそれぞれ別々に自分自身でドアを開けていく。
    それはただ一人の自分自身として立ち上がり歩いて行く決意表明のようでも境界線の無い新しい時代の幕開けのようにも感じる。

  • No.35 / 2o16

  • 性に理解が足りなくて難しかった。
    ドキュメンタリー風ですごくリアルに描いてるんだけど、感情移入はしづらかった。
    映像はすごくエモーショナルで素敵。音楽も!

    女として生きる、恋愛対象は女、男として交際していた人がある日女になる、その人を素直に好きでいられるのか?
    この映画を見ても、全然想像はできないな
    情とは、愛とは、、。

    ただ好きだった人がけなされていたり、愛してるからこそ怒りをぶつけたり、すごく素敵だと思った
    カフェのシーン、女性が最高だった
    それのためだけにも見れる

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