もののけ姫 [DVD]

監督 : 宮崎駿 
  • ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
4.32
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本棚登録 : 488
感想 : 62
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4959241753045

感想・レビュー・書評

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  • 中世・室町期の日本。いまだ人を寄せ付けぬ太古の深い森の中には、人語を解する巨大な山犬や猪などの神獣たちが潜み、聖域を侵す人間たちを襲って、荒ぶる神々として恐れられていた。エミシの末裔のアシタカは、人間への怒りと憎しみによってタタリ神と化した猪神に呪いをかけられ、それを解くために訪れた西の国で、数奇な運命に巻き込まれていく。森を切り開こうとするタタラ製鉄集団とその長エボシ御前、森を守る山犬一族、そして山犬に育てられた人間の少女サン。アシタカはその狭間で、自分が呪われた理由を知り……。
    「Amazon内容紹介」より

    楽しい話ではないのに、何度も見てしまう.人間というのは業の深い生き物であるなぁと思うと同時に、その業の深さにもいろいろあって、誰かのための業の深さというのもあるのだなぁと思う.
    多様性を受容する自然界にあって、人間のような業の深い生き物がいることもまた多様性の一つか.

  • 山里に住む若者アシタカは、怒りと憎しみにより“タタリ神”と化した猪神から呪いをかけられてしまう。
    呪いを解く術を求めて旅に出るアシタカはやがて、西方の地で“タタラ”の村にたどり着く。
    エボシ御前が率いるその村では、鉄を造り続けていたが、同時にそれは神々の住む森を破壊することでもあった。
    そして、そんなタタラ達に戦いを挑むサンの存在をアシタカは知る。人の子でありながら山犬に育てられた彼女は“もののけ姫”と呼ばれていた……。
    自然と人間の関係をテーマとし続けてきた宮崎駿の集大成的作品で、それまでの日本映画の歴代興行記録を塗り替える大ヒットとなった。

    金曜ロードショーで、改めて見て思いましたが、何年か前の作品とは思えないくらいテーマも古びていないですね。
    自然と人間の対立。憎しみの連鎖。タタリの源であるそれを平和に収めようとする主人公アシタカ。
    差別された者を集めて新たな国作りをするために自然開発するエボシ御前 。
    自然を守るためにエボシ御前と戦う神々。それぞれに正義がある。
    この作品が問いかける憎しみの連鎖や自然と人間というテーマは今でも問いかけられている。
    個性豊かなキャラクターの魅力、それぞれが自らのトラウマや運命と向き合って進もうとする生き方に、混迷の世の中で憎悪の連鎖や人間と自然の関係を抱えながら調和を求めて生きることの根源を問いかける優れた映画でした。
    「共に生きよう!」

  • むかし、この国は深い森におおわれ、
    そこには太古からの神々がすんでいた。

    汚らわしい人間どもめ
    我が苦しみと憎しみを知るがいい...

    深傷の毒に気ふれ 身体は腐り
    走り走るうちに呪いを集め
    タタリ神になってしまった
    遥か西の国からやって来たシシの神。
    そのタタリ神から乙女と村を守るため、
    アシタカは呪いをもらう覚悟で射倒しました。

    シシの身体に食い込んでいたものだよ
    骨を砕き、はらわたを引き裂き
    むごい苦しみを与えたのだ
    さもなくばシシがタタリ神などになろうものか...
    西の国で何か不吉なことが起こっているのだよ
    その地に赴き曇りのない眼で物事を見定めるなら
    あるいはその呪いを断つ道が見つかるかもしれぬ

    大和との戦に敗れ
    この地に潜んでから五百有余年
    今や大和の王の力は萎え、
    将軍どもの牙も折れたと聞く
    だが、我が一族の血もまた衰えた
    この時に、一族の長となるべき若者が
    西へ旅立つのは定めかもしれぬ

    こうしてアシタカは西へ旅立ちます。
    許嫁カヤから玉の小刀のお守りを受け取って。

    アシタカの右腕には呪いの印である「赤黒い痣」
    があります。
    強大な力を与える代わりに、
    少しずつ呪いが進行して、
    じきに命を奪っていくというものです。

    シシの足跡を辿り、里に降りたアシタカは、
    田舎侍の小競り合いに巻き込まれ、行き掛かり上
    助けることとなったジコ坊と出会います。

    戦、行き倒れ、病に飢え、
    人界は恨みを呑んで死んだ亡者でひしめいとる
    タタリというなら、この世はタタリそのもの

    人はいずれ死ぬ
    遅いか早いかだけだ
    肝心なことは死に食われぬ事だ

    これより更に西へ西へ進むと
    山の奥のまた山奥に人を寄せつけぬ深い森がある
    シシ神の森だ
    そこでは獣はみな大きく、
    太古のままに生きていると聞いた

    アシタカはジコ坊からヒントを得て、別れ、
    更に西へ向かいます。
    エボシが治めるタタラへ辿り着きます

    俺たちの稼業は山を削るし、木を伐るからな
    山の主が怒ってな
    そこへエボシ様が石火矢衆を連れて
    現れたってわけだ
    旦那どうしたんで?腕が痛むんで?
    いや、その猪のことを考えていた
    いずくで果てたか、さぞ恨みは深かろう

    このタタラ場を狙う者はたくさんいてね
    旅のわけを聞かせてくれぬか
    この礫に覚えがあるはず
    巨大な猪神の骨を砕き、肉を腐らせ
    タタリ神にした礫です
    この痣はその猪に止めを刺した時に受けたもの
    死に至る呪いです
    そなたの国は?見慣れぬシシに乗っていたな
    東と北の間より...それ以上は言えない
    その礫の秘密を調べて何とする?
    曇りなき眼で見定め、決める
    曇りなき眼?ハハハハ...アハハハ...
    わかった。私の秘密を見せよう。来なさい。

    あなたは山の神の森を奪い
    タタリ神にしても飽き足らず
    その石火矢でさらに新たな恨みと呪いを
    生み出そうというのか
    そなたには気の毒だった。
    あの礫、確かに私の放ったもの
    愚かな猪め。呪うなら私を呪えばいいものを。
    ンッ...
    その右腕は私を殺そうとしているのか。
    呪いが消えるものなら私もそうしよう
    だがこの右腕、それだけでは止まらぬ
    ここの者すべてを殺すまで鎮まらぬか
    エボシ様、その若者の力を侮ってはなりません。
    お若い方、私も呪われた身ゆえ
    あなたの怒りや悲しみは、よーくわかる
    わかるがどうかその人を殺さないでおくれ
    その人はわしらを人として扱って下さった
    たった一人の人だ
    わしらの病を恐れず、
    わしの腐った肉を洗い、布を巻いてくれた
    生きることは、まことに苦しくつらい
    世を呪い、人を呪い、それでも生きたい
    どうか愚かなわしに免じて...

    エボシはナウシカと皇女クシャナの
    合の子のような人物ですかね。
    はたまた織田信長か...

    あなたはシシ神の森まで奪うつもりか?
    古い神がいなくなれば、
    もののけたちも、ただのケモノになろう
    森に光が入り、山犬どもが鎮まれば
    ここは豊かな国になる
    もののけ姫も人間に戻ろう
    もののけ姫?
    山犬に心奪われた哀れな姫だ
    私を殺そうと狙い続けている
    シシ神の血はあらゆる病を癒すと聞いている
    業病に苦しむあの者たちを癒やし
    そなたの痣を消す力もあるかもしれぬぞ

    エボシを襲いに来たもののけ姫。激しく争う二人
    二人を片手で抑えるアシタカ。
    何の真似だ!アシタカ!
    この娘の生命、私がもらう
    その山犬を嫁にでもする気か
    そなたの中には夜叉がいる。この娘の中にもだ。
    みんな見ろ!
    これが身の内に巣食う憎しみと恨みの姿だ
    肉を腐らせ、死を呼び寄せる呪いだ
    これ以上、憎しみに身を委ねるな!

    黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか!
    森を侵した人間が、我が牙を逃れるために
    投げてよこした赤子がサンだ。
    人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ、
    哀れで醜い、かわいい我が娘だ
    お前にサンを救えるか!
    わからぬ...だがともに生きることはできる
    フハハハ...どうやって生きるのだ?
    サンとともに人間と戦うというのか?
    違う!それでは憎しみを増やすだけだ!

    な、天地の間にあるすべてのものを欲するは
    人の業というものだ

    アシタカとサンは、人の手でシシ神の頭を返し、
    シシ神は森を蘇生して倒れました。

    すげぇ...シシ神は花咲かじいだったんだ...

    蘇っても、ここはもうシシ神の森じゃない
    シシ神様は死んでしまった
    シシ神は死にはしないよ
    生命そのものだから
    生と死と二つとも持っているもの
    私に生きろと言ってくれた

    アシタカは好きだ
    でも人間を許すことはできない
    それでもいい。
    サンは森で、私はタタラ場で暮らそう
    ともに生きよう。
    会いに行くよ、ヤックルに乗って。

    ざまぁない。
    私が山犬の背中に運ばれ、生き残ってしまった
    みんな はじめからやり直しだ
    ここをいい村にしよう

    いやぁ、参った参った。馬鹿には勝てん。

    森の再生 木霊が出てきました。

    はりつめた弓の ふるえる弦よ
    月の光にざわめく おまえの心
    とぎすまされた刃の美しい
    そのきっさきによく似た そなたの横顔
    悲しみと怒りにひそむ
    まことの心を知るは
    森の精 もののけ達だけ もののけ達だけ

    おわり

    自然との共生、欲望を抑えない人間の業、
    御天道様から見たら全てが地上の出来事。
    自然の大スペクタルを描きます。

    時代は室町末期でしょうか。
    アシタカはエミシ一族の末裔?

    声優陣が大変豪華です。
    アシタカは松田洋治、サンは石田ゆり子
    エボシ御前に田中裕子、ジコ坊に小林薫
    牛飼 甲六は西村雅彦、
    エボシの護衛ゴンザに上條恒彦
    甲六の嫁トキは島本須美、
    山犬の声で渡辺哲、牛飼頭は名古屋章
    犬の神 モロの君として美輪明宏
    エミシの隠れ里の老巫女ヒイさまを森光子
    そして、猪の神 乙事主に森繁久彌 貫禄充分です

    宮崎駿監督の話では、アシタカとサンは
    その後も良好な関係を続けたそうです。

  • ・「エヴァ」にイカレていた(「エヴァ」の齎した麻痺に心地よく浸っていた)当時の私、当然、エヴァに軍配を上げていた。
    ・エヴァTVは1995年10月から1996年3月。
    ・「シト新生」1997年3月。
    ・「Air/まごころを、君に」1997年7月。
    ・「もののけ姫」1997年7月。
    ・師弟対決のようなことが言われていたが、思春期の代弁者たる庵野派を擁護、教条主義的な駿を忌避、していたのだった。
    ・当時から四半世紀近く経とうとするいま思い返してみれば、自分の親と同じ年の庵野作品に自分の思春期を費やしたり、その19歳年上の駿っつったら祖父と同年代でもおかしくないのに、そんな人々の作品にひどく心を左右されるなんて、まあどれだけ純朴だったか……(数か月前、私が母の還暦祝いを考えていたときに、庵野が還暦の赤いチャンチャンコのツイッターにアップしていて、愕然としたものだ。)

    ・映画館など数年に一度の遠征だったのでレンタルビデオで見たが、以上のわだかまりを越え、その後にナウシカ漫画や、ようやくできた映画館でジブリがかかるたびに追って(初は「千と千尋」)、駿ベストは「ナウシカ」と「もののけ姫」と「風立ちぬ」だと結論している。まあ駿結節点、あるいは、駿マジメトップ3。
    ・駿はいってみれば、大規模な世界観を中規模に落とし込んでウェルメイドな作品を作る人。「ナウシカ」「ラピュタ」に顕著。尺調整や封切り時期のためには、切る方向で舵を取る人だ。
    ・「トトロ」「魔女宅」「紅の豚」は中規模世界を中規模そのままに作品化しているから、ほどよい、ちょうどいい、過不足ない、手ごろ、共感しやすい。
    ・しかし以上三作が、「ナウシカ」原作のヘビーな展開と同時並行で作られていた、ということは、少年期青年期には知らなかったことだ。
    ・おじさんになってわかる。「ナウシカ」映画は没入のためのPVで、本来は大河モノ。映画での反省や高畑勲からの批判(ナウシカがキリスト・奇蹟という宗教モノに決着してしまった)から脱するために、よりディープへ。というか人類への絶望を深める方向へ。その反作用として「トトロ」「魔女宅」「紅の豚」が必要だったのだ。

    ・と「もののけ姫」前史でこんなに書いてしまって、力尽きた。要は漫画「ナウシカ」の翻案であり映画「ナウシカ」の続編と見做せる、ということ。
    ・そこへ創作姿勢の変化も影響するだろう。
    ・ラピュタが典型的だが、ドラマツルギーとカタストロフィの理論に則ってストーリーを進める、そのために引き算していく、というのがこれまで。
    ・もののけ姫においては、「引かない」。大規模な世界観を、大規模そのままに描く(ただし「無駄に足す」ことはしない、スマートさは維持している。「無駄に感じられてもいいから足す」のが千と千尋。)
    ・だから駿の「お勉強」の結果できたパッチワークだという批判も、わからないではないが、むしろ本作以前の刈り込み方が異様だっただけなのだ。

    ・なかなか内容に踏み込めず前置きばかりだ。ええい、もう羅列する。
    ・もう名前を書くのもいやなプロデューサーいわく、集大成ではなく、飛ぶという得意な場面をあえて抑制した作品。確かに。
    ・海はない? 登場しない? シシ神の森の、奥深い水、はあるが、そもそもの海を、アシタカが横目にしただろうか?
    ・仕事の都合で、瀬戸内海から中国山地を越えて、奥出雲を走ることがある。山。少し雨が降れば霧というか靄というか。出雲へ流れる斐伊川のぶっとさには驚き、治水や灌漑が神話を生むのはわかるなー、と。以前熊本の阿蘇や高森や蘇陽や人吉や球磨やを走っていたのと同じ(だがニュアンスは異なる)、自然の雄大さを人格神に見立てなければ整理・理解・伝承できなかったということ。
    ・神話や伝承や昔話というのは、当時の人類が理解できないままに理解するための方策。神話という圧縮ファイルにパスワードをつけて暗号化する、数百年後数千年後に昔話の形で残しておく、そのキーが失われた状態で我々は神話を前に戸惑ったり、誤った仕方で解凍しようと試行錯誤しているのだ。
    ・「奥出雲たたらと刀剣館」に立ち寄ってみた。「「もののけ姫」を読み解く」にあるたたら製鉄の仕組みや歴史そのままであった。が、一番驚いたのが、山を切り開いて「かんな流し」という手法で砂金を取り上げスカスカになった土地を、棚田として30年スパンで肥沃な地に仕立て上げた、ということ。さっきまで車で横目にしていたあの田んぼが、たっだ麗らかなものではなく、自然が人類に屈服した(人類が自然を手なづけた)例だったのだ、と。

    ・また脇道に逸れた。延々横滑りしてしまう。もうだめだ。
    ・巨人の系譜というものを考えられそうだ。昼はシシ神→夜はディダラボッチ。ジブリ内では巨神兵。エヴァもそうだろうし、シン・ゴジラもこの路線だろう。個人的には君島久子の絵本「てんちをつくったバンコ」の天地開闢と自己犠牲?
    ・最近ジブリを見返すと音楽の力に驚かされる。作品を隅から隅まで覚え込むのは不可能だが、絵と音楽を並置したときにより深層に届くのは音楽だ、ということ。絵が音楽を喚起することはあまりないが、音楽が絵や動きを喚起することはある、というかほとんど音楽やSEによって絵が動いていると思えるほど。音楽が作品の扉を開くのだ。

    ・「AKIRA」と同じタイミングで、同じ劇場で鑑賞した。
    ・「AKIRA」は動く絵として、極めて数センチ眼前に精緻な絵とBGMとSEが繰り広げられた。
    ・「もののけ姫」はその数センチを破って、あ、入った、という印象を持った。
    ・このときスクリーンを破ったのは、やはり音楽だ。
    ・ところでラストの一見明るげな「卑小な里山再生」のBGM。なんだか聞き覚えがり。ナウシカではマイナー調で似たものを聞いたことがあるのかも。ナウシカでは直面していた悲劇を、メジャー調に直して卑小な幸福感をもたらした、と。この感想は本当か? 事実に基づくか? 時間をおいて調べてみよう。

    ・キャラクターについては、……とにかくアシタカよき。今後は「もののけ姫」と思い出す瞬間に、「まあもとはアシタカせっき」だったもんねーと気を張っておこう。

    ・本当にくだらない日記。
    ・本作を見た深夜、ほろ酔い、スントゥブをレンジでぐつぐつ煮えるほど温めた。
    ・容器を両手で持って肘でレンジを閉めようとしたら、勢いで煮えた豆腐が右手薬指にかかって火傷。
    ・氷水で冷やしているうちはいいが、少しでも外気に触れると熱傷感で寝られず。
    ・結局数時間冷やし続け、ハイボールで酩酊して寝付いた。
    ・このとき、あーアシタカが右腕を水に漬けていたのと同じだなーと思ったという、くだらない日記。

    0728追記
    もちろん映画鑑賞後に「もののけ姫はこうして生まれた」を「超画質」ゆえ音声だけで聞いた。
    図書館で同タイトルの書籍を借りて読んでみたが、とてもいい資料。
    ワンマンとはいえひとりで作り出すものではない、とはいえ結果的にワンマン体制。
    「夢と狂気の王国」でも、駿と長年組んできた女性スタッフが「居つく人と、居つけない人がいます、出ていく人もいるんです」と言っていた。
    このドキュメンタリーでいえば、たとえば近藤勝也。(近藤喜文と間違えないように。)
    いったんジブリを離れて漫画家を目指し、出戻ってきた。
    とはいえ謝って、とか失意の果てに、ではなく、結構自分のやりたいようにやるという雰囲気。
    アニメーターってのは杓子定規な会社員にとどまらず、いろいろな業務形態なのだ。このへん「SHIROBAKO」で在宅スタッフの存在とかを思い出す。
    近藤勝也っつったら酒見賢一を原作に「DARC」(ジャンヌ・ダルク)を描き、途中で止まっている。
    中学生当時は、あージブリの漫画だ! と素朴に喜び、2巻以降店にないのも、いずれ出るんだろうと思っていた……作家名は気にしていなかったわけだ。
    また強く印象に残ったのは、吉田健一のバイク事故。
    原画の途中放棄だと怒る駿の言葉に、うーん……と。もちろん心配が勝っていたはずだと思うが、そうともいえない鬼気迫る状況だったのだろう。
    この人は現役。
    ドキュメントを見たときはその後死んだのかと早とちりして、さらに近藤喜文と混同したりしたが、この3人は以後気を付けて見ていくこと。
    そして4人目、「千と千尋」で駿の作家性とバチバチしたという安藤雅司だ。千尋の動きや「眼」。
    この人のことは今後「東京ゴッドファーザーズ」「イノセンス」「ももへの手紙」「エヴァQ」「かぐや姫」「マーニー」「百日紅」「君の名は。」などで思い出すこと。そして「鹿の王」で宮地昌幸と共同監督。

  • 白川郷や安来市立和鋼博物館に行って昔の建物、暮らしの工夫、たたら場のしくみを見た時…その要素が詰まった映画を見たいと思って手に取った『もののけ姫』(宮崎駿)。

    作品自体は小学生の頃すでに見ていたのですが、大人になってからも見たくなってしまいまして。

    子供の時は何の知識もなく見て「タタリガミこわい。けどサンとオオカミかっこいい」という事だけを思って見てるだけでしたが、

    今は何だか見方が変わってきたかもしれません。

    【暮らしの場での工夫】や【狼と人間の関係】を、

    本作品を見るキッカケになった場所や、

    『狼が語る: ネバー・クライ・ウルフ』(ファーリー・モウェット)、『狼―その生態と歴史』(平岩米吉)、『絶滅したオオカミの物語: イギリス・アイルランド・日本』(志村真幸 渡辺洋子)、『エチュード春一番 第三曲 幻想組曲 [狼] 』(萩原規子)、『狼の娘』(小玉ユキ)などの本を通して見た今回、

    「フィクションとしてのみ見るのと、実際にあった出来事の復習ふまえて「これってこういう事だったんだ」と理解しながら見るのとでは感じ方が違う気がする。」と思えてきた。

    ただ、【どちらかが良い】というわけではなく、【どっちも良い】とは思う。

    そして……

    「生活において何かしらの工夫をする事が必然ではなくなり全部機械がやってくれる現代では…

    人間の頭って昔と比べるとだんだん衰えていってるという事はないんだろうか…?」

    とも思えてきた。

    昔の考え方、現代の考え方の内容が違うだけで、

    その良し悪しなんてものはないのかもしれないけれど、気になりました。

    気になったらいろいろやっていこう。

  • 屋久島から戻ってその日に観ました。
    自然を破壊してきたのは人間。
    自然との共存メッセージが突き刺さる。

    最後の場面。
    サンとアシタカ、それぞれの別の場所で暮らすけれど…。
    「逢いに行くよ。ヤックルに乗って」

    森や動物達がいた場所に人間が住むのだから少しばかりの場所を使わせてもらって森や動物と一緒に暮らせばいいだけなのに。
    勝手でわがままな人いるから。

    「お前にサンが救えるか?」

    • 9nanokaさん
      リーダーが「ヤックルにのって笑」と言っていた意味に気づきました笑!
      屋久島がどれだけ楽しかったか、伝わってきました(^^)
      個人的には、...
      リーダーが「ヤックルにのって笑」と言っていた意味に気づきました笑!
      屋久島がどれだけ楽しかったか、伝わってきました(^^)
      個人的には、アシタカとサンが別々に暮らす部分に納得がいかなかったんですが…komoroさん的にはどうでしたでしょうか。
      勝手でわがままな人はきっと部長みたいな人ですね(¬_¬)
      2015/02/25
    • komoroさん
      サンとアシタカが別々に暮らすのは悲しいけど納得しました。
      同じ屋根の下に暮らせなくても苦しいけど会いに行けるだけ幸せもあるのかな。
      悲し...
      サンとアシタカが別々に暮らすのは悲しいけど納得しました。
      同じ屋根の下に暮らせなくても苦しいけど会いに行けるだけ幸せもあるのかな。
      悲しいけどね。お互いそれと同じくらい大切なものがある。
      勝ってな人は自分ではわかってないんだよね。

      2015/02/25
  • ~☆ 豊かな森に宿る樹の精コダマがめちゃカワイイ!☆~

    ヤッホー!の山彦のコダマじゃないよ、木霊だよ。

    チョコチョコ木々の間から出没し頭をクルクル回したり、
    仲間をおんぶして行列で歩いていたりと、とにかくカワイイ~ね。

    森をむやみに破壊するのは反対だ。

    いい作品

  • おすすめのアニメ作品はなんですかと訊かれたら、もののけ姫と答えてる。おすすめの映画はなんですかと訊かれてももののけ姫と答えてる。
    名作中の名作。

    親に連れられはじめて映画館で観た映画がもののけ姫でした。

    幼少期に観たときの印象、思春期に観たときの印象、大人になって観たときの印象。いつも変わる。感情移入する登場人物が変わってくる。だんだん色んな人の気持ちが分かってくる。
    何十回観ても新たな発見がある鯣作品。
    テーマが大変重たいのですが、わりとわかりやすく表現されている気がします。時代背景とかハンセン病の方々の歴史とかお勉強しておいた方がより深みが増して、思うことも増えると思います。勿論初見は何も知らずに見ても大丈夫。

    とにかく、観て。全人類観て。
    観たことあるよって人も、もう一回観て。お願い今日観て。部屋真っ暗にして大画面で観て。

  • 黙れ小僧!!

  • もはや古典かもなあ。思えば1997年当時小学生だった娘に初めて映画館で観せたアニメ映画がこれだったんだけど、けっこうトラウマになってしまったかもと思う内容だった。あのうにょうにょはやっぱり気持ち悪い。お詫びに千と千尋も連れて行ったけれど、意味のわからなさは同じだったようだ。

  • 生きる⟺美しい

  • 請求記号:13D006(館内視聴のみ)

  • 金ローで子どもの頃以来の鑑賞。
    当時劇場で衝撃を受け、2回観に行った。
    エネルギーが重たすぎて、怖くてそのあとは観れなかった。

    大人になって気づいたこと。


    エボシは何か絶大な苦労の上に弱者への眼差しを獲得しているということ。
    だから「さかしらに僅かな不運を〜」と言ったのね。

    モロの優しさ。
    ちゃんと破れた服を繕えるように育てている。
    死期迫るアシタカの青臭い戯言を一蹴しながらも、今生の別を告げるサンに「お前には、あの若者と生きる道もあるのだが...」と優しく告げるシーン
    その時は気づかなかったけど
    モロも母親としていろんなことを考えながら育てていたんだなと。

    美しく気高き圧倒的なアシタカの魅力に紛れてたけど
    ストーリー絵の美しさキャラクター造形なにひとつ無駄がない。

    大人になったので当時より引いて落ち着いて観られる。
    何度も噛み締めるように観たい。

  • 神代の終わりと人の世の到来、そして技術の発展と自然との相克を描いた壮大な一作。単純な善悪論でなく、また自然を克服する話でもなく、人の背負った業を見つめながら、それでも生きるということへの肯定をやめない、考えるところの多い作品だと思う。

  • もののけ姫 1997

    1997年7月12日公開
    上映時間133分

    『もののけ姫』(もののけひめ、英題: Princess Mononoke)は、1997年にスタジオジブリが発表した長編アニメーション映画作品。
    監督は宮崎駿。
    キャッチコピーは、「生きろ。。」
    興行収入193億円を記録し、当時『E.T.』が保持していた日本の歴代興行収入記録を塗り替えた。

    概要
    1980年(昭和55年)に宮崎駿がアニメ企画案のイメージボードとして構想した同名の作品があり(『宮崎駿イメージボード集』。ISBN 4-06-108068-7。1983年に収録)、1993年(平成5年)にそれを基にした絵本(『もののけ姫』。ISBN 4-19-860040-6。)が出版されている。

    1994年にアニメージュでの『風の谷のナウシカ』の連載を終えた宮崎は1人準備班を立ち上げ最初の案を破棄して別ストーリーを構想。途中、『耳をすませば』や『On Your Mark』の製作で中断するも1995年4月3日に再開し安藤雅司作画監督と共にキャラクター作りから本格的作業をスタート。同年4月19日に企画書が完成。5月14日に屋久島5泊6日のロケハンをし帰京後の5月22日にスタッフルームが設けられる。

    主題歌「もののけ姫」(作詞 - 宮崎駿 / 作曲・編曲 - 久石譲)を歌う米良美一は、女性のような高い声で歌うカウンターテナーが話題になり、この作品によって広く認知されるようになった。声優は『平成狸合戦ぽんぽこ』のおキヨの石田ゆり子、『紅の豚』のマンマユート・ボスの上條恒彦、『風の谷のナウシカ』のナウシカの島本須美とアスベルの松田洋治といった過去のジブリ作品にも出演した者が起用されている。

    製作
    映像
    作画枚数
    これまで宮崎駿の監督した長編アニメは、おおよそ5万から7万枚ほどの作画枚数で製作されてきたが、本作では14万枚以上もの枚数が使用された。宮崎は「ジブリを使いつぶす」ほどの覚悟で桁外れの労力と物量を本作に投入したというが、以降の『千と千尋の神隠し』(約11.2万枚)や『ハウルの動く城』(約14.8万枚)、『崖の上のポニョ』(約17万枚)もほぼ同規模かそれ以上の枚数であり、スタジオジブリの制作体制そのものを刷新する結果となった。

    デジタル体制への移行
    スタジオジブリ最後のセル画と絵の具を使った作品となった。この作品でもサンの顔に付いた血糊やデイダラボッチを3DCGで作った他画面の多重合成も行われ、製作スケジュールの追い込みでデジタル彩色も一部使用されていたが、以降のジブリ作品は線画をコンピュータに取り込み、デジタル彩色の手法を用いるフルデジタル処理で製作されるようになった。
    また、タタリ神やデイダラボッチの動く触手も、3DCGのパーティクルによる流体シミュレーション機能を応用して制作されている。ラストの植物が芽吹き再生していくシーンでも3DCGによる制作が行われており、こうした3DCGを積極的に利用した最初のジブリ作品となった。

    美術イメージ
    本作は背景も総力を挙げるために美術監督5人制とする。まず1995年5月14日に山本二三、田中直哉、武重洋二の3人が宮崎駿監督と安藤雅司作画監督、動画チェックの舘野仁美、太田清美、福留嘉一らと共に舞台となるシシ神の森を描くために屋久島5泊6日のロケから参加。帰京後、武重は『On Your Mark』のため一時降板。
    同年6月10日に男鹿和雄が参加しアシタカが住むエミシの村を描くために白神山地の取材に訪れている。青森県の鰺ヶ沢町、津軽峠、天狗峠、一ツ森町などを写真を撮ったり絵を描いたりしながら歩き回り、その時のイメージを作品にちりばめている。その後、同年7月1日に黒田聡が7月11日に武重洋二がそれぞれINし、さらにCG的背景を創ろうと福留嘉一が特殊美術に任命され、11月5日に山本がチーフとなる。

    テーマ
    「神殺し」のモチーフ
    作中で描かれる「神殺し」のモチーフは、小説『ギルガメシュ』からの影響であるが、過去に作者の梅原猛からアニメ化の要求があった際は、映像化するほど惹かれないとして断っている。本作を観た梅原は、似ているようで別物だと語っている

    ハンセン病
    宮崎はこの作品を通してハンセン病への考えを表現した


    キャッチコピー
    映画公開時のキャッチコピー「生きろ。」は、糸井重里によるもの。完成までには糸井と鈴木敏夫プロデューサーの間で激しいやり取りがあり、没になったコピー案は50本近くあった。主な候補に「おそろしいか、愛しいか。」「だいじなものは、ありますか。」「おまえは、まぶしい。」「昔々は、今の今。」「死ぬのと、生きるの、どっちが好きだ。」「死ぬなっ。」などがある

    音楽
    音楽を担当した久石譲は、映画公開の2年前に宮崎駿と打ち合わせを行った際、映画の内容よりも今なぜこの作品を作らなければならないかという覚悟の話をされたという。宮崎の熱意に圧倒された久石は本作の音楽をフルオーケストラで書くことに決め、管弦楽は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団が担当した。これまでの宮崎作品では臨時編成のオーケストラによる演奏であったが、本作で初めて常設のプロオーケストラが起用された。
    久石は本作のためにYAMAHAのVP1や、AKAIのサンプラーなどを使用したデモを制作し、そこからさらに本編のためのオーケストラスコアを書き上げた。音楽はオーケストラが主体であるが、シンセサイザーが全編で多用されているほか、和太鼓、篳篥、龍笛などの和楽器や、南米のケーナが使用されている。久石は本作を次作の『千と千尋の神隠し』と共に、「スタンダードなオーケストラにはない要素を導入しながら、いかに新しいサウンドを生み出していくか、というチャレンジを試みていた時期ですね」と述懐している。
    冒頭の「ドーン」という音は、サンプリングのグランカッサとエスニック系の太鼓、シティ・フィルの大太鼓、ティンパニなどをミックスした合成音で、映画館では椅子が振動する効果が出るほど一つの音に対してもこだわって作られた。久石は「今回は悔いが無くなるまで最後まで仕上げたと思ってます。ひきずるモノがまったくありません」「この仕事、終わってほしくない。でも寝てないから早く終われとか色々思いました(笑)」と述べている。
    これまでの宮崎作品のエンドロールは全て絵を入れていたが、本作では文字だけになっている。そこに主題歌とメインテーマが流れるが、宮崎は「これはやっぱりきちんと聴くに値する音楽になったなと思います」「その音楽だけはそのまま座って聴いていて欲しい」と語り、本作の音楽について「自分達の作品に最もふさわしい才能を探したあげく、結局、いつも久石さんにたどり着くという繰り返しだった」と述べている

    あらすじ
    プロローグ
    中世(室町時代の頃)と思われる日本が舞台。東と北の間にあると言われるエミシの村に住む少年アシタカは、村を襲ったタタリ神と呼ばれる化け物を退治した際、右腕に死の呪(のろ)いを受けてしまう。その正体は、何者かに鉛のつぶてを撃ち込まれ、人への憎しみからタタリ神と化した巨大な猪神(ナゴの守)であった。アシタカは呪いの為村を追われ、呪いを絶つ為にも猪神が来た西の地へと旅立つ。

    序盤
    アシタカは旅の道中、乱妨取りに奔る地侍との戦いや謎の男ジコ坊との出会いを経て、古い神が棲むという"シシ神の森"に向かう。谷川の岸に着くと、そこには谷に落ち川に流され、気絶している男達がいた。彼らを岸に助け上げ対岸を見ると、そこには傷ついた山犬と1人の少女の姿があった。山犬と少女はアシタカをにらみつけ、その場を去っていく。
    その後アシタカ達は、森の端でコダマに会う。案内されるように森の中を進み、奥の池の岸に辿り着くと、そこには金色に光る鹿のような生き物(シシ神)の姿があった。その姿をとらえた瞬間、アシタカの腕のあざが激しく反応する。
    シシ神の森を抜けて男達の村に着くと、そこは「タタラ場」と呼ばれる、鉄を作る村であった。その地を治めるエボシは「石火矢」と呼ばれる火砲を村人に作らせており、それを使って森に棲む「もののけ」や、村の鉄を狙う地侍達から村を守っていた。
    彼らは鉄を作るために自然を破壊しているという自覚はあったが、シシ神やもののけ達を敬っている訳ではなかった。アシタカはそこで村人達の話を聞くにつれ、彼らにとってエボシという存在は、生きる希望を与えてくれるものであることを知る。そして同時に、自分に呪いを与えた猪神に鉛のつぶてを撃ち込んだのも実はエボシである、という事実を知ることになる。

    中盤
    その夜、エボシの命を「もののけ姫」が狙いに来る。その正体はアシタカが川岸で会った、山犬に育てられた人間の娘、サンであった。アシタカは窮地に陥ったサンを救うが、同時に瀕死の重傷を負ってしまう。アシタカは倒れながら「生きろ」とサンに語りかけるも、人を憎むサンは聞く耳を持たず、アシタカを殺そうとする。しかしその時、サンはアシタカから「美しい」と言われて動揺し、思い留まる。
    その後サンは、アシタカを生と死を司る神であるシシ神の前に連れて行く。シシ神がアシタカの傷を癒すのを見た彼女は、アシタカを生かすことと決め、介抱する。アシタカは次第に心を開いていくサンの姿を見て、森と人が争わずに済む道は無いのか、と思い悩むようになる。

    終盤
    その頃タタラ場には、エボシにシシ神殺しをさせようとする怪しげな装束の男達が集結していた。彼らを率いるのはジコ坊である。男達は天朝よりシシ神殺しを許可され、不老不死の力があると噂されるシシ神の首を狙っていた。エボシ達もまた、森を切り開くのをもののけ達に邪魔されたくなかったため、協力を約束したのである。タタラ場を出発したエボシ達は、人間との最終決戦を行おうとする猪神の大群と大戦争を始める。ところが、エボシが留守にしたタタラ場は、鉄を狙っている侍の集団に襲われてしまう。
    日が暮れる中、森の中でアシタカはシシ神の池に向かうエボシに会い、神殺しを止めて侍に襲われている村に帰るよう伝える。彼女と別れたアシタカはサンを探しに森の奥へ行くが、エボシは構わず池に向かうのであった。

    ラスト
    池で月光を浴び、夜の姿に変わろうとするシシ神を見つけたエボシは、気絶したサンを抱えたアシタカが止めるのも構わず、遂にその首を取る。するとシシ神の体から不気味な体液が大量に飛び散り、それに触れた者達は死に、木は枯れてしまう。やがて体液は津波のような勢いで山を埋め尽くし、森は枯れ果てて、タタラ場も壊滅してしまうのであった。
    目覚めたサンは、森を見て森が死んだと絶望し、人間に対する憎しみを爆発させる。しかし、アシタカはまだ望みはあるとサンを説得し、二人は協力して、シシ神の首を持って逃げようとするジコ坊を押し留め、首をシシ神に返す。シシ神は首を取り戻したが、朝日を浴びると同時に地に倒れて消える。その瞬間に風が吹き、枯れ果てた山にはわずかながら緑が戻り、アシタカの腕の呪いも消えた。

    エピローグ
    アシタカのプロポーズに対し、サンは「アシタカは好きだが、人間を許す事は出来ない」と答える。アシタカは「それでもいい、サンは森で私はタタラ場で暮らそう、共に生きよう」と語る。エボシもタタラ場の村人達に、「新たに良い村を作ろう」と語りかけるのであった。
    最後に、倒れた一本の大木の上に芽生えた若木の横に、1体のコダマが現れて、頭を動かしカラカラと音を立てる場面で終わる。


    テレビ放送の視聴率
    回数 放送日 視聴率
    1 1999年1月22日(金)35.1%
    2 2001年1月26日(金)26.9%
    3 2003年2月14日(金)27.0%
    4 2004年11月19日(金)23.3%
    5 2006年5月12日(金)18.2%
    6 2010年1月8日(金) 18.4%
    7 2011年7月1日(金) 15.9%
    8 2014年7月4日(金) 21.9%
    9 2016年8月5日(金) 15.1%
    10 2018年10月26日(金)12.8%
    11 2021年8月13日(金)13.8%
    12 2023年7月21日(金)


    『もののけ姫』の名言集

    「戦、行き倒れ、病に飢え。人界は恨みを残した亡者でひしめいとる。タタリというなら、この世はタタリそのもの」
    「賢しらに僅かな不運を見せびらかすな」
    「黙れ小僧!お前にサンが救えるか」
    「わからぬ。だがともに生きることは出来る」
    「木植エタ。木植エ、木植エタ。ミナ人間抜ク、木戻ラナイ。人間殺シタイ」
    「どうかその人を殺さないでおくれ。その人はわしらを人としてあつかってくださった、たったひとりの人だ」
    「生きろ。そなたは美しい」
    「誰にも運命はかえられないが、ただ待つか自らおもむくかは決められる。見なさい。あのシシの身体にくいこんでいたものだよ。骨を砕きはらわたを引き裂き、惨い苦しみをあたえたのだ。」
    「天地の間にあるすべてのものを欲するは人の業というものだ」
    「いやぁ、参った参った。馬鹿には勝てん」
    「ここをいい村にしよう」
    「生きる事はまことに苦しく辛い。世を呪い人を呪い、それでも生きたい。どうか愚かなわしに免じて……」


    以上のようにWikipediaで紹介されるジブリ映画作品。
    あまりにも有名だ。
    1997年は既にジブリ、宮崎駿の知名度も上がっていた。
    しかもTVCMも多く行われた。
    宮崎駿最後の作品という宣伝文句はよく覚えている。
    (もちろん最後にならなかった。良かった)
    壮大なテーマ、作り込まれた背景、細かい裏設定。
    完成度も高く、まさに名作中の名作だ。
    何度見ても良いと感じる。
    当時VHSビデオテープ版も発売され、我が家でも購入された。
    (何度も見た)
    もののけ姫以前と以降ではアニメ映画は変わってしまったと言える。

    2023/07/22(土)記述

  • 泥沼化が酷く、最後何で解決したのかよく分からない、これで良かったのか?という終わり方。
    でも戦争の虚しさのようなものを表現したかったのならこれで正解なのかも。結局失った物の方が多い、寧ろ失った物しかない、という。宮崎駿作品は反戦メッセージ系が多いから。

    津波を連想するシーンがあるんだよね。東日本大震災後にTVで観て初めて気づいた。当時津波を連想する物は公から排除されがちだったので、これいいのかなって思ったけど、その後の草木が芽生えていくシーンが津波からの立ち直りを表しているようでとても良いなって感じたのを覚えている。

    映画自体は観ていて気持ちの良い物ではない、辛い所が多い作品。
    私の好きな自然を人間の業に巻き込み、戦争に加担させたからかも。

  • 屋久島へ行き、とあるトレッキングツアーを体験し、
    改めて鑑賞。
    劇場公開から何年経っているのかわかりませんが、
    しっかりと見ることができました。
    結局は、人間が動物や植物を殺しているんだな。それで戦があると。いつの時代になっても戦はなくならないものだなあ。
    平和な、もっと温かい世の中は来ないものかなあ。
    力あるものだけの世の中ではなく。

  • 中世の日本。エミシの村の少年アシタカは、村を襲ったタタリ神を退治した際に右腕に死の呪いを受けたため、村を追われ西へ旅立つ。謎の男ジコ坊と出会いシシ神が住む森に向かったアシタカは怪我をしたタタラ場の男達を助ける。タタラ場の長エボシは、石火矢と呼ばれる火砲を村人に作らせ、山に住む"もののけ"や、村の鉄を狙う地侍たちから村を守っていた。エボシは鉄を作るために自然を破壊しており、山犬や山犬に育てられた娘"もののけ姫サン"に命を狙われていた。アシタカは重症を負いつつエボシを襲いにきたサンを連れてタタラ場をでる。サンはアシタカを、生と死を司る神、シシ神の前に連れて行き、シシ神はアシタカの傷を癒したためサンはアシタカを生かすと決め、2人は心を通わせていく。
    エボシはジコ坊に唆され、不老不死の力があるというシシ神の首を狙う。猪神の大群は人間との最終決戦を決意し、エボシ不在のタタラ場は、鉄を狙っている侍の集団に襲われてしまう。アシタカはエボシを止めようとするがエボシはシシ神を殺し森は死ぬ。アシタカとサンはシシ神の首を持って逃げるジコ坊から首を奪い返しシシ神に返す。シシ神は首を取り戻し緑も蘇ったが元の姿とは違ってしまっている。アシタカの腕の呪いは消え、サンは森でアシタカはタタラ場で暮らそう、共に生きようと語った。
    森と人、人と人、あらゆるところにある戦争の物語。

  • ひたすらアシタカのあり方がかっこよすぎる…!+ヤックルがけなげで可愛い。子どもの時は怖いシーンもたくさんあったけど、今見ると自然とともにあること、人間のエゴなど、強いメッセージを感じて本当に名作だと思う。そして久石譲の音楽がすべて素晴らしすぎる…!なぜこんなにも情感あるれる音楽を生み出せるのか…!

  • 1997年製作の作品。

  • 非常に重いテーマをわかりやすく描いている。
    最後のアシタカの言葉、「共に生きよう」。
    これに尽きる。

  • TVにて
    何度見ても素晴らしい。

  • 何年ぶりに映画館で観た。
    仕事に追われ心身共に疲れる日々、レイトショーで訪れ、久しぶりのもののけ姫だった。
    ジブリ好きにはたまらぬ、思わぬ映画上映、最高だった。



    いつの世も、誠実で真っ直ぐな人、人の弱さに漬け込む人、権力が大事な人、好奇心のために生きる人、、、色々な人がいる。
    自分を犠牲にする人、自分のために周りを犠牲にする人がいて。
    私はアシタカとサンのようにありたいと思いながら、そうではない人生であることに気づく。
    ジブリ作品はいつもそう。

    「アシタカせっ記」に鳥肌が立ち、最後の「アシタカとサン」に胸打たれた。
    いつかオーケストラで聞いてみたい。 

  • 祟り神のビジュアルにわあわあ言いながら見た。中学生のころ映画館で見たけど、当時面白いと思ったのだろうか。泣くような話じゃないんだろうけど何度か涙ぐんでしまった。人間ってろくなもんじゃないなって思ってしまう。でもたたら場の人たちも悪い人じゃない。自然と人間、人間同士も、互いを尊重し合って謙虚に生きていければいいのに。アシタカはよそから来たというのもあるだろうけど、どちらにもフェアな存在で、それがよかった。

  • 宮崎駿のメッセージの一つであるアンチ近代化、森の中に神様がいて、自然を守る。人間の誤ち、武器を持ち動物を殺める。東山魁夷の森と馬の絵画のような、美しい山神との邂逅のシーンが印象的。久石譲の神秘的な音楽もシンクロし、作品を高みに。タタラ製鉄、人間。そして森の神秘、山の神、もののけ姫。どのように人間と自然は共生できるのか。素晴らしいテーマ。

  • 新型コロナウィルスの功罪で映画館で再度鑑賞できました。

    やはり良かったですね。
    ただ一番好きなのは千と千尋ですね。

  • あれ?こんなストーリーだったっけ?
    というのが素直な感想。

    大人になってからのが深く考えられる作品。

    簡単に「共に生き」れはしない。

    でも、それを諦めたくはない。

    昨日から【共存】っていう単語が私の周りにわんさかふってくるのはなんで

  • 宮崎駿最後のアクションアニメと言われる。
    映画全体に漂う暗さは、ミステリアスで魅力的でさえある。見てるこちらにも、力が入る。

  • 唯一、ジブリで内容も覚えてて好きな映画。10年以上ぶりに見たけど、やっぱりよかった!5にしようかと思ったけど、神様たちの名前むずかしいのと、ちょっと長く感じたので4にしとく。

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著者プロフィール

アニメーション映画監督。1941年東京都生まれ。学習院大学政治経済学部卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)入社。「ルパン三世 カリオストロの城」(1979)で劇場作品を初監督。1984年には「風の谷のナウシカ」を発表。1985年にスタジオジブリの設立に参加。「天空の城ラピュタ」(1986)、「となりのトトロ」(1988)、「魔女の宅急便」(1989)、「紅の豚」(1992)、「もののけ姫」(1997)、「千と千尋の神隠し」(2001)、「ハウルの動く城」(2004)、「崖の上のポニョ」(2008)、「風立ちぬ」(2013)を監督。現在は新作長編「君たちはどう生きるか」を制作中。著書に『シュナの旅』『出発点』『虫眼とアニ眼』(養老孟司氏との対談集)(以上、徳間書店)、『折り返し点』『トトロの住む家増補改訂版』『本へのとびら』(以上、岩波書店)『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』(文春ジブリ文庫)などがある。

「2021年 『小説 となりのトトロ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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