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- / ISBN・EAN: 4547286112318
感想・レビュー・書評
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すごく壮絶な映画でした。
LEONのマチルダ役だったナタリーポートマンが大人になりお母さんになってから、振り返って「LEON」を酷評していたことがニュースになりました。
そりゃあ、年端もいかぬ少女の恋愛ですからね。
ナボコフ原作のロリータに出演したジェレミーアイアンズも、作品が作品なだけにバッシングを受けたらしい(本人は出演してよかったと思っているらしい)。
本作は、監督エヴァ・イオネスコの少女時代の体験をもとに作られています。
主演のアナマリアは超絶美少女。
セットはデフォルメされています。全体的にぼかしているのは、過去の記憶と対峙することが監督にとってもしんどかったろうし、辛い思いを製作陣に引き継がせたくなかったのかな?と推察します。
話をかいつまむと、芸術家をやっているお母さんが娘のエヴァの裸体写真を芸術を称して売り捌く、というもの。
当時は、そうした過激なものが芸術として扱われていたようです。
エヴァは、自分がどんな扱いを受けているのか、だんだんと理解していきます。学校でいじめられ、とうとう通うのをやめちゃいます。
現在、エヴァ・イオネスコの写真集および出演映画「思春の森」は、過激な内容ゆえ、児ポ法に触れるため出回っていません。
ただ怖いのは、天下の河出書房が当該写真集を売ってたことですね。少女アリスと言い、アマゾンにもまだ中古で残っているようで、びっくりです。
少女を性の対象とすることも、消費することも、やめましょうね、てことで。妄想という名のファンタジーに納めておきましょう!笑詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
◆◆美しい娘と醜い母◆◆
※以下に内容をWOWOWオンラインより転記させて戴きます。※
子どものころから写真家である母親のヌードモデルを務め、1977年、その禁断の写真集が発表されるや、これは果たして芸術か児童ポルノか、と世界的に論議の的となった、知る人ぞ知る往年の人気ロリータスター、イオネスコ。いまやすっかり大人の女性となった彼女が、かつての実体験を、自らの監督・共同脚本の下、鮮烈に映画化。ヒロインに抜擢されたルーマニア出身の新星A・ヴァルトロメイが、可憐にして妖艶な少女の魅力を発揮するほか、憎まれ役の母親を好演するのは、「3人のアンヌ」のI・ユペール。
主だった内容は番組紹介/解説にあるとおり。
ルーマニア系フランス人で女流写真家のイリナ・イオネスコの娘であるエヴァ・イオネスコ自らが脚本、メガホンを執ったというだけに、まだ幼かったその当時の自分の心の葛藤が鮮明に描かれているように思えた。
特に母親に扮したイペール、彼女に在ってはもうどんな役をやらせようとも良い意味で安定性(ド貫録)のその演技力には本作でも脱帽だ。
加えてエヴァ自身(作品上ではヴィオレッタ)を演じたアナマリア・ヴァルトロメイの「ロリータ美」は秀逸。
ゴスロリの母の部屋のセットで撮影されるのだが、そのポージングの註文が凄い。 そして遂には「脱ぎなさい!」との母自らのご註文を仰せつかるヴィオレッタ。
深紅のルージュを母の手で引かれ、少女と女の狭間で怪しげな魅力を湛えるその表情と肢体。
そうした映像美を追究、作品として世に出し高額な収入を得て暮らさんとするのだが…。これは芸術性のある作品に価するものなのか?それとも単なるエロ?
ろくに学校にも行かせなくなったことや、露骨な撮影で児童虐待の嫌疑、母親としての責務を果たしていないとしてアンナは問われる羽目になる。
ソーシャルワーカーが動き出すも、彼女は何処吹く風のような態度。 逆ギレ同然のスタンスをみせるものの、娘の写真集が差し止めにあってしまっては、あてにしていたお金も手に入らないとあって、これをエルンストという得体の知れぬ悪友 (ヤバイ作品・商品をと取り引きしあっている男なのだが、これが何とドニ・ラヴァンで、個人的にうれしくなった!黒の紋付の羽織を着ての登場とは恐れ入った!) に相談を持ちかけたりと…。
昔…アンナが受けたカウンセリングのテープが存在。何とヴィオレッタはそれを聴いてしまうのだった。
その過去の出来事とは、あまりに忌まわしい。(母は何と、曾祖父から祖母に対するレイプの末に授かってしまった、望まれない子であったという事実を知る…)
本ストーリー性からは逸脱して恐縮ですが昔観た『ふたりの女』というソフィア・ローレンの作品にとうじょうした娘の心情が、どことなくヴィオレッタの心の荒れようというか、純真たるがゆえにシビアな現実を否応無しに直視させられ惜敗した衝撃、彼女の悲しくも激しい怒りとが重なってくるのを感じた。
大人になるのが早すぎた…
そのひとことでは済まされない。
反面教師の歪みきった醜い母親の心に突き刺した刃は、ヴィォレッタにとってはあまりにも痛い、『諸刃のやいば』だったに違いないからだーーー
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MY LITTLE PRINCESS
2011年 フランス 106分
監督:エヴァ・イオネスコ
出演:アナマリア・ヴァルトロメイ/イザベル・ユペール/ドニ・ラヴァン
http://violetta-movie.com/
ヴィオレッタ(アナマリア・ヴァルトロメイ)の母は自称芸術家のアンナ(イザベル・ユペール)。父親はおらず、ヴィオレッタは老いた祖母とほぼ二人で暮らしている。アンナは時折きまぐれに帰ってきてはまた嵐のように去っていく。そんな母でもまだ小学生のヴィオレッタは会えると嬉しい。ある日、母親はカメラを持って現れ、戯れにヴィオレッタをモデルに撮影し始める。しかしその写真が意外なほど好評で、アンナはヴィオレッタの写真を次々撮影、母と一緒にいられること、母が喜んでくれることが嬉しいヴィオレッタは母の言うなりにケバケバしい化粧をして大人びたポーズを取り続けるが、やがて母親はヌードになることを要求するようになり…。
監督のエヴァ・イオネスコ自身の実話の映画化。ヴィオレッタは監督自身、母アンナは写真家のイリナ・イオネスコがモデル。今となっては大変申し訳ないことに、私もかつてイリナ・イオネスコの写真集を1冊持っていた。トレヴィルから出てたエヴァが逆立ちっぽい体勢の表紙のやつ(https://booklog.jp/item/1/4845706687)。もう30年は前の話だから、私自身が若い娘で、単純にゴスロリ可愛い!みたいな感覚しか持ってなくて、そのモデルであるイリナの娘エヴァがどんな想いでその写真を撮影されていたかなんて考えたこともなかった。この映画を観て、改めてその状況のおぞましさに寒気がしている。今でこそこういう出版への規制は厳しいが、当時はそれほどでもなく、平気で少女を性的に搾取するものが出回っていたわけで、おそらくエヴァ自身も幼い頃はわからなかったその状況の異常さに大人になってから気づいて改めて怒りを感じたのだろうと思う。この映画が公開になった翌年、彼女は「幼い自分のヌードを撮影し子供時代を奪った」母親を訴え、裁判に勝訴している。
ヴィオレッタ=エヴァ目線で描かれているため、とにかくアンナの毒母っぷりが酷い。控え目にいってもだいぶイカレてる。その虚栄心と承認欲求ときたらあまりにも醜悪でおぞましく、映画を観続けるのが苦痛なほどだった。イザベル・ユペールはある意味怪演。化け物のように自己顕示欲の肥大した自己愛爆発の狂気の母親を見事に演じきっていた。彼女は何度も娘ヴィオレッタにモナムール、ジュテーム、愛してると連呼するが、彼女が愛しているのは芸術の道具としての娘、金づるとしての娘、でなければ自己投影、自己同一視した自分自身の分身としての娘でしかなく、ヴィオレッタの中に自分とは別の人格があるということを認めまいとする。
祖母(アンナの母)とアンナの関係性は最初から不仲に描かれており、終盤で、不在のヴィオレッタの父親が何者であるか明かされたときに、アンナ自身もまたその親によって少女時代を奪われた被害者であったことがわかる。それ自体は同情するけれど、だからといって彼女がヴィオレッタにしたことを赦せるわけではない。虐待の連鎖をどうやって断ち切れば良かったのかわからないけれど。結局アンナ自身も内面大人になりきれない幼児のままだ。
パトロンで恋人だった画家のエルンスト(ドニ・ラヴァン)に振られたアンナが、娘に甘えかかる場面は本当に気持ち悪かった。さらにヴィオレッタがヌードを拒否し、自我を持ち始めた途端、かつてヴィオレッタに着せていたレースのワンピースをアンナが自分自身で着る場面も怖かった。ヴィオレッタが自分と別の人間になろうとした途端にアンナのほうが「ヴィオレッタになろうとする」幼児返りみたいで寒気しかしない。おそらく彼女自身が自分の失われた少女時代のやり直しを本当はしたかったのだろう。
しかしそんな最悪の母親であっても、ヴィオレッタにとってはママはやはりママなだけで愛しているし離れられない。小さな反抗を繰り返しつつも完全に別れられずにいるうちに、頼みの祖母も亡くなり、ヴィオレッタは母親以外に頼れる大人はいない。学校では苛められ、彼女自身も母親の影響で日頃から過激なファッションに不似合なドギツイメイクをしており、男性相手には媚びた態度を見せたりする。本当に痛々しい。
演じたアナマリア・ヴァルトロメイは1999年生まれで撮影当時は10歳くらい、ものすごい美少女だし大人びていてまさにフレンチロリータ。実際に10歳の女の子にこういう演技をさせること自体はどうかと思うものの(どんなに配慮しても過激な場面はあるし、煙草を吸うシーンもある)これでもかなり配慮されたギリギリの線で、エヴァ自身の体験はもっと凄惨だったのだろう。
世論がアンナに批判的になり、ついに裁判になっても、アンナは「これは芸術」と開き直り、ヴィオレッタが自分のヌード写真を破棄してほしいと頼んでも「私の作品よ」と悪びれず、娘のヌードをお金に変え続ける。それが「芸術」であれば何をしても許されるのか、私自身、イリナの撮影したエヴァの写真を「美しいもの」として見てしまっていた経験がある以上、ただただイリナを責めて解決する問題でもなさそうだ。難しい。
映像はとても美しく、日本の着物とおぼしきものをガウン風に羽織っていたりといったファッションも含め、頽廃的で華美でとても好みだった。しかしこういう世界観の構築面では、エヴァはまさしく母イオナの影響下にあり、それだけに母への愛憎がよりいっそう深いのだろうなと思わされる。私自身、これを美しいと思うことに罪悪感を感じるべきなのか、迷いながらの観賞となった。いろんな意味で問題作。 -
予告編を見て予想したよりはすごく見やすかったです。
監督エヴァ・イオネスコの経験をもとにした作品ということですが、そのまま描いた訳じゃないな、と素人のわたしでもわかるくらいソフトに児童ポルノのことが描かれてました。(インタビューでも監督はそのまま描いたらホラー映画になってしまうわ!と言ってたし)
ヴィオレッタを演じたアナマリアが危険なほど可愛い。
当時、10歳〜11歳だそう。
でも娼婦のような格好するよりも完全にローラースケートのが似合ってたなあ。
男の子の匂いをかいで「宿題」と答える所も可愛い。
シドの家に招かれて夜の映像もとても綺麗でした。
話はともかく賛否両論。わたしはこの映画見れてよかったなあ -
ヴィオレッタ。透ける肌、青い瞳、金糸の髪、血を塗った唇。身に纏うシルクのネグリジェ、レースのコルセット、天鵞絨の赤いドレス、グローブにヘッドドレス、王冠に真珠の首飾り。
少女の身体は性的な市場価値に変換される。
写真家の撮る映画は一枚一枚の絵が美しい。女帝のような迫力を見せつけるイザベル・ユペールの気品。彼女の衣装がとくに素晴らしい。スタイリングはキャサリン・ババによるもの。未亡人のように、聖母マリアのように、黒魔術師のように、人魚姫のように、次々と姿を変えていく。
母の愛を勝ち取るために度を過ぎた要求に応えようとするヴィオレッタ。精神的に追い詰められていく様子が、その恐ろしいほどの美しさと相まって小さな壮絶な物語を作り上げている。最後のシーンが印象的だった。人気のない草原に向かって愛しい人、ヴィオレッタの名を叫び続ける母と、それを拒絶する娘の姿に、母親と決別する絶望的な意志を感じさせる。
モデルであり監督でもあるエヴァ・イオネスコは後に母親に勝訴し、賠償金と幼少期に撮られたポルノまがいのフィルムを返却されている。それは形の上で必要なけじめであっただろうが、少女の冷え切った心は元には戻らない。 -
ラストシーンなんて監督がどんな気持ちだったか考えると泣ける(´;ω;`)
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自身のトラウマを映画という作品として見事に創り上げたエヴァ・イオネスコ。とんでもないものを見てしまったな、という感じ。
作品自体は未完成さが強い。迷い迷いながら創り上げた感が強い。葛藤が垣間見れ、消化できないし、一生付き合っていくであろう傷が痛々しい。来日時のインタビューがまたよかった。エヴァ・イオネスコは4歳から12歳まで母親の道具、人形として写真を撮られていたそうだ。4歳なんて分からないよね、可愛い可愛い言われたら嬉しくなるし、ヌードとかに嫌悪するはずがないもの。
ヴィオレッタ役を演じたアナマリア・ヴァルトロメイの、子どもでもなく女でもないそのままさがすごい。可愛いのに色っぽく、艶めかしい。撮影当時は10歳ですって、美しい。
実話、それも本人の実話をもとにしたもの。ありのままに描いてしまうとホラー映画になると言っていたが想像を超えることをしていたのであろう。描きたかったのかもしれない、ホラーになっても、ポルノと言われても、でもギリギリのラインにして、規制がはいらない本当にギリギリのところにしたことで世界に知らしめたよね。凄かったです。観てよかった -
これが毒親ってやつか…。愛はあるんだけどもねじ曲がっちゃってる。子役の子の色気がすごい。
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なかなか難しい映画だ。
親が子を引きずり込んで何しよん!
芸術に染まるとこうなっちゃうのかなぁ^^;