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感想・レビュー・書評
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特捜部Qシリーズ第4弾は、デンマークの暗い過去・優生学的人種差別を扱った作品。
医師のクアト・ヴァズを中心とする秘密結社〝密かなる闘争〟(新興政党〈明確なる一線〉の母体)は、優生学に基づき「犯罪者や、精神的理由あるいは知的障害があって子供の世話ができない人々」、そしてふしだらな女子の強制断種、すなわち本人の意志に関わらず人工中絶や不妊手術を施す野蛮な犯罪者集団だが、社会上層にもネットワークを広げ、犯罪を巧妙を隠蔽してきた。彼らの犯罪被害者の一人、ニーデ・ローセン(ヘアマンスン)は、人生を台無しにした関係者たちへの復讐を誓う。「人生をここで投げ出してしまうよりも、まずあいつら全員に、自分をだまして何を奪い取ったのか、身をもってわからせてやる」。
カールたち特捜部Qは、過去の5人の失踪事件を再捜査するうち、クアト・ヴァズらの悪行へとたどり着く。
本作に登場するスプロー島女子収容所は実在し、「法律または当時の倫理観に反したか、あるいは〝軽度知的障害〟があることを理由に行為能力の制限を宣告された女性を収容していた。 また、無数の女性が不妊手術の同意書にサインしなければ、施設すなわちこの島を出られなかった」(この小説に描かれている女子収容所について)、「ほんの五十年前まで、ふしだらだという理由だけで社会から排斥された女性たちが送られる〝監獄〟だった」(訳者あとがき)。
本作には、今また欧州で極右政党の活動が活発化していることへの、著者なりのメッセージが込められているのかな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
今作品では優生保護法とか民族衛生法といった法律が適用された時代に起きたいたましい事件が扱われています。作者の扱うテーマは現代の日本で問題が表面化されてくる(自分が読む?)タイミングと重なってることが多くて驚く。
日本では過去の問題のように扱われているけれど、この作品では現代の政党の影の目的という設定で、一過性の問題では無いという問題提起がなされているところが鋭い。欧米では30カ国以上の国が優生法の類の法律を公布していたとのこと。もしかして、人間はそのような行動をするような設計となっているかもしれないではないか。ミームとして組み込まれてしまってるのでは?と考えると恐ろしい。それを上書きする教育って唯一の希望ですね。
キャラクター描写がコミカルな味付けが強くなってきているところが気になるなぁ。 -
最後の最後でそうきたか~でした。
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特捜部Q シリーズの第4弾。主人公の警部補カール、助手のアサドとローセが、23年前におきたある失踪事件の再捜査に取りかかる。平行してニーデの過去や、「明確なる一線」の党首クアト・ヴァズの現在が描かれ、それぞれが絡み合って、真実が明らかになっていく。党首で差別主義のヴァズは本当に嫌な男だけど、ニーデももっと自分で何とかならなかったのか・・・と、歯がゆい気持ちになる。作中ニーデが送られる女子収容所やそこで行われていた事は裏付けが取れている事実と言うことにも衝撃を受ける。
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今回も殺人があった過去の時間軸と捜査をする現代の時間軸が並行して物語が進んでいく。
どちらも真相に迫るにつれハラハラするけど、今回はまさかの最後の急転にびっくり!
実際にあった収容施設をモデルにしていることもあり、当事者に思いを馳せると辛い…。北欧って人権概念ちゃんとしてそうなイメージあったから衝撃だった。
そして歴代ワースト1位になり得る胸糞キャラが。(ほんとこいつ呪われろ、って思った)
あと、カールとアサド無理しすぎだよー!命がいくつあっても足りねえぜ! -
特捜部Qはコペンハーゲン警察に新設された、未解決事件を専門に捜査する部署です。今回Qが追う事件は、40年前にナイトクラブで起こった、マダム失踪事件。捜査では既に5人が同時に行方不明になっていると言います。カール・マーク警部補は重大事件の匂いを嗅ぎつけ調査を開始しますが、真相を追ううちに、恐ろしい過去を持つ老婆と新進気鋭の政党員が浮かび上がってくる・・・・・・というストーリー。
通算で4作目となる特捜部Qシリーズ。相変わらずのアサドとローズとカールの相性は抜群で、またしてもスリリングな読み物を楽しむことができました。今作に登場する2つの事件は、非常に興味深く、どこか不穏な感じを漂わせるものでした。カールたちが解決しようとしている最初の事件は、数十年も前に起こった複数人の謎の失踪事件で、最終的に犠牲者たちは黒幕のとある思想に結びつけられることになります。さらにこの事件のせいで、もう一つの事件が浮かび上がります。黒幕には、人種差別主義と優勢思想に根付く政治的・社会的なテーマが絡んでいて、全体的に重苦しいものとなっています。
この小説は、現代社会の問題や歴史的な背景を巧みに織り込んだ作品です。作者は、デンマークやヨーロッパの文化や政治を細かく描写し、読者にリアルな世界観を感じさせます。また、登場人物たちの心理や感情も丁寧に描かれており、特にカールやアサドやローズの関係性は魅力的です。彼らはそれぞれに個性や過去を持ちながらも、共通の目的で協力し合い、時には衝突しながらも成長していきます。彼らの掛け合いやユーモアも本作の見どころの一つです。
本作は、スピード感あふれる展開と驚きの展開で読者を飽きさせません。事件の真相や黒幕の正体は最後まで予測できないものであり、読後感も非常に強烈です。作者は、読者の期待を裏切らないだけでなく、それ以上の感動や衝撃を与えることができる優れた作家だと思います。
私は、素晴らしいキャラクター、そしてたくさんの緊張感をとても好きになり、早く次回作を手に入れたいと思いました。特捜部Qシリーズは、ミステリー好きにはたまらない作品であり、一度読み始めたら止まらないでしょう。この作品を読んで、デンマークの社会や歴史に興味を持つ人も多いと思います。私は、この作品を心からおすすめします。 -
引き続き、オーディブルはユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q:カルテ番号64・上巻』を聞き始める。早川書房から聞きたい作品が続々とオーディブル化されているので、次は別の本に行くつもりだったが、なぜかアサドとカールのその後が気になってしまって、気づいたときにはこちらを選択していた。カールにはさんざんイライラさせられてるというのに……。沼とはこのことか。
オーディブルはユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q:カルテ番号64・上巻』の続き。
カールが10代のころに事故死した叔父の件で、事故当時カールといっしょにいたはずの息子(カールにとっての従兄)ロニーが酒に酔って「自分が父親を殺した」と自慢したらしい。「カールも現場に居合わせた」とも。その話をネタに、娼館を経営していた妹を殺された元警官バクがカールに協力を求めてきた。こいつはいったいどういうわけだ?
オーディブルはユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q:カルテ番号64・上巻』の続き。
88歳のクアト・ヴァズ率いる極右政党「明確なる一線」は優生思想と劣等人種の断種を隠そうともしないゲスな連中の集まりで、「密かなる闘争」と称して違法中絶、不妊手術をくり返してきた。
「しかし、わが党の綱領はかの時代のナチズムや今日のネオナチとは違い、差別や不公平や非人間的な活動に何ひとつ結びつくものではありません。その逆です。われわれはただ、ある程度価値のある人生を自発的に送れる見込みがない者をいたずらに生かしておくべきではないと言っているのです。そこには一線を引く必要がある。誰でも彼でも強制的に入院させ、治療を受けさせればいいというものではない。家族に与える苦悩にも、国家が負担することになる費用にも、制限を設ける必要がある。いまの政治家は何にでも口を出しますが、その結果がどうなるかまではまったくわかっていないのでは?」
その「価値ある人生」とやらは、誰がどう見極めるのか。高齢者医療の負担を強いられる現役世代からすれば、世の中に害悪を広めて悪びれるところのない、あんたたちこそ、「価値ある人生を送る見込みがない老人」とみなされるかもしれないのに。この手の欺瞞を口にするやからはすべからく「自分たちはそこに含まれない」と勝手に思い込んでいるが、そんなことはない。たいてい、そのままそっくりブーメランとなって返ってくるわけで、それを本気で憂えているなら、まず自分たちが実践して見せろよ、と言うだけで片付けられる。
かつて、クアト・ヴァズらに強制的に不妊手術を受けさせられたニーダの復讐が始まる。
ローセが執着していた未解決事件、コペンハーゲンで失踪した娼館のマダム、リタ・ニルスンは自殺したとされていたが、そうではないことは明らかだった。そして、そのリタは、スプロ―島の施設で、ニーデといっしょに暮らしていた。スプロ―島の6人の関係者、クアト・ヴァズ、リタ・ニルスン、ギデ・チャールズ、テーイ・ヘアマンスン、ヴィゴ・モーウンスン、フィリップ・ナアヴィーは、1987年にニーダから誘いの手紙を受け取ることになる。
オーディブルはユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q:カルテ番号64・上巻』の続き。
『ミレニアム』のスウェーデンといい。この作品のデンマークといい、移民に寛容だと思われがちな北欧で極右勢力がエンタメ小説のテーマになるほど、移民排斥とレイシストは欧州人にとって身近な問題なのだろう。現代の進化論にもとづけば、優秀な子孫だけを残す試みは、環境の激変によって種の絶滅を招く可能性が高く、陰電子プールをできるだけ多様に保っておくことが、生命の生き残り戦略の、いまのところ唯一の正解だということはわかりきったことなのだけど、優生思想をふりかざす人たちは、働かないアリや二八の法則(パレートの法則)のことを知らないか、意図的に無視しているのか。どちらにしても、現実を現実として受け止めるだけの度量がない人たちだといわざるを得ない。
ローセとアサドは、風邪をひいて寝込んだカールに変わって、リタ・ニルスンとまったく同時期に忽然と姿を消した5人のうち、2人の共通点を発見した。ギデ・チャールズとリタ・ニルスンはまったく同じ時期にスプロー島の差別主義者が運営する収容施設に滞在していたのだ。医者と患者として。
オーディブルはユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q:カルテ番号64・上巻』の続き。
同僚のアンカーが射殺され、ハーディが全身不随に陥ったアマー島の現場地下から掘り出されたバラバラ死体の身元が判明した。ジャマイカ人ピート・ポズウェル29歳。死体のポケットの中から、アンカーとカールの指紋がついたコインが、ご丁寧にラップに包んで入っており、さらに念入りなことに、事件当夜、ピートとアンカーとカールが会う約束になっていたという匿名の電話まであったらしい。カールはピートなんて男は知らないと言い張るが、その3人が肩を組んで写ってる写真まで出てきた。これはいったいどういうことか。誰かがカールをハメようとしているのはわかるが、カールが彼を知っていたという素振りさえ見せないのはなぜなのか。
父親の事故死をきっかけに、いくつもの人格を言ったり来たりするようになったローセ。ユアサは実の妹で、ほかに妹が2人いて、ローサはその誰にでもなりうるらしい。アサドはアサドで、デンマークという国に貸しがあるほどのナゾの経歴(機密情報と引き換えにデンマークに亡命した? あるいは、現在もその諜報活動を継続中?)の持ち主だし。このうえ、カールまでがウソ(記憶喪失?)をついているとしたら、読者はいったい誰の発言を信用したらいいのか。
オーディブルはユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q:カルテ番号64・上巻』が今朝でおしまい。
同じ日に失踪?死亡?した4人のうち、弁護士のフィリップ・ナアヴィーの妻の口から、カールとアサドは「密かなる陰謀」と呼ばれる秘密結社の存在をつかみ、ナアヴィーと「明確なる一線」のクアト・ヴァズの関係や「ヘアマンスン事件」という名も知ることとなった。そのことはすぐにクアト・ヴァズにも報告され、この先、カールは操作妨害を受けることになる。
オーディブルはユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q:カルテ番号64・下巻』を今朝から聞き始める。
カールたちはついにニーデにたどりつく。失踪事件の加害者であり、女性蔑視+強制避妊手術の被害者でもあるニーデとどう折り合いをつけるのか。それにしても、ニーデはなぜ1日に6人もの人間を片付けられると思ったのか。想定外の事態なんていくらでも起きそうなのに、5分単位で時間を区切って計画を詰め込んだのはなぜなのか。はじめての殺人ならなおのこと、もっとバッファを見ておく必要があっただろうに。
オーディブルはユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q:カルテ番号64・下巻』を今朝から聞き始める。
特捜部Qの切れ味の悪さのおもな原因はカールだが、極右政党「明確なる一線」のクアト・ヴァズも、切れ味の悪さではカールに輪をかけて抜けたところがあり、どうにもしまりの悪さばかりが目につく。カールの自宅に放火を試みるも失敗し、夜中の警察本部に資料を奪いに行くもアサドに出くわして撤退、カールとアサドが乗った車にトラックでぶつかるも、2人はとくに怪我もなく切り抜ける。こんなゆるい組織で、いままでよくぞ秘密を守り通してこられたものだ。やってることは最低最悪のレイシストなのに、敵(カールたち)を追い詰める迫力に欠けるため、たいして怖さを感じない。
オーディブルはユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q:カルテ番号64・下巻』の続き。
クアト・ヴァズの家に単身侵入を試みたアサドは逆に捉えられ、「密かなる闘争」の隠れ処置室に監禁されるが、命がけで小屋に火をつけるというアサドの機転と、アサドを心配してやってきたカールとローサに救い出される。アサドは「密かなる闘争」の名簿とカルテ番号64を肌身離さず持っていた。ことの顛末を知ったクアト・ヴァズの捨て身の反撃が始まる。
オーディブルはユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q:カルテ番号64・下巻』は今朝でおしまい。
失踪事件の加害者である前に、人権侵害の被害者でもあったニーデに罪を償わせるのは過酷すぎると思ったのは作者も同じだった。死者のテーブルの招かれざる客だったカールを、ニーデは連れていってくれなかった。 -
吐き気がする
胃がむかむかする
なんなんだこいつら
さらにこれが実際にあったことであること
今日(2010年)に至るまで、国からの賠償も謝罪も行われていないことであること
13年経った今でも変わっていないのだろうか? -
ドラマ版を先に見てしまったが、メインテーマは同じだが、小説は全く異なる作品として楽しめた。
優生思想の定義は、頭が良いいわゆる優秀な人からしたら、知能こそが優遇されるべきなのだろうが、その一方で体力や健康が優れている人、精神力が強かったり、愛情がすごく深かったりと人により優劣の差は様々。
物差しをどこに置くかでいかようにも評価は変わるし、私の劣るところを補ってくれるのが私以外の人なのであり、その微妙な塩梅こそが人生、そしてこの世界なのだと気づかせてくれた作品。