うわさとは何か
松田美佐著(中大教授、社会心理学)
2014年4月25日発行
中公新書
●ハワイへハネムーンに行った新婚夫婦の奥さんが、あるブティックの試着室に入ったまま出てこない。旦那が見ると奥さんが居ない。店の人もそんな人は知らないと言う。結局、探したが行方不明に。その後、情報を元に中近東の国に行くと、手足を切られた奥さんが見せ物として働かされていたことが分かった。
●米国での話。ナンパした女性とベッドイン。目覚めると彼女はおらず、鏡に口紅で「Welcom to AIDS World」と書かれていた。
こんな話を、昔、聞きました。最初の話は10代のころか、大学生のころか、よく思い出せませんが、聞いたときは疑いもなく信じました。
二つ目は80年代後半から90年代前半までだろうと想像できますが、週刊誌かなにかに書いてあったように思います。これも「米国ではそんなこともあるのか」と疑う余地もありませんでした。
どちらも、なぜこんな“うわさ”が広まったのか、その背景が書かれています。前者は日本では80年代初めから広まったそうですが、元ネタは1969年5月中旬からフランスのオルレアンで流れ始めたうわさ。試着室で消える女性、その店は6軒あり、名指しされたが、1軒を除いてユダヤ人経営。反ユダヤ意識と結びついて広まった。
日本で広まった80年代初頭は、78年に成田が開港しパック旅行が増えた時期、女子大生が増えた時期、という背景があるとのこと。
後者のうわさは、エイズの前、ベトナム戦争の時にも性病で同じようなうわさがあった。
そういえば私も、エイズが世間を騒がせる前、業界人からこんな話を聞いたことがある。テレビ朝日のプロデューサーがベトナムに取材に行き、現地で“買った”ら病気になり、帰りの飛行機に乗っている時にはすでに男性器が溶けてなくなっている状態だった。嫁さんに、黙って別れてくれと言った。そんな話でした。この本を読むと、それを一瞬でも信じてしまった自分が可笑しくなります。まだまだその時代、ベトナムに関する情報や知識が圧倒的に少なかったんでしょう。それが信じた原因かと思います。
この他、口裂け女の話、タクシーの乗客が消える話(元ネタは外国のヒッチハイカー)、マッカーサーのお母さんは日本人(この噂は知らなかった)、学校の怪談、なんて懐かしい話がいっぱい出てきます。
なお、トイレットペーパー騒ぎは千里中央の大丸ピーコックが始まりだと、社会心理学専攻の私は習いましたし、今も一般的にはそう言われていますが、その前に奈良でトイレットペーパー不足があり、千里に飛び火し、千里の件が報道されたことで全国に広まったとのこと。さすがに社会心理学の先生の本だけに詳しい。
しかし、著者は社会心理学者なので、その元ネタを解説するのが仕事ではありません。なぜこのような噂が広まったのかを解説してくれています。著者が一番言いたいのは、懐かしいこうした「口による伝達」で広まった噂の時代と違って、今はインターネットであっという間に広まっていく時代だということ。その中で、我々はどのような点に気を付けなければいけないかを提案しています。
数日前に紹介した荻上チキ氏の「東日本大震災の流言・デマ」からも事例を引用、紹介しています。
1973、電車の中での女子高生の会話がもとで、愛知県の豊川信用金庫で取り付け騒ぎがありました(社会心理学で必ず勉強する有名な事件)。これはいろいろな要素が重なって成立していった事件。
2003年、佐賀銀行に取り付け騒ぎが起きて500億円が引き出される騒ぎに。これはある女性(書類送検された)が携帯メールしたのが始まりだったとのこと。軽い気持ちで知り合いにだけ報せたつもりが、ネットの記録性(複製が容易)のため、知らないところへ拡散してしまい、犯罪人になってしまった、そんな事態にもなるわけです。
そして、ネット時代の恐ろしさ、そのキーワードが「カスケード」。小さな滝、わかれ滝、という意味で、ネット上で集団がガッとある方向に突き進んでしまう分かれ道みたいなことを言うらしい。ネット上では考えが似た者同士が集まりやすく、根拠のない話でも賛同者がいるとそれが信頼性になり、いつのまにか事実のように思ってしまい、エスカレートしていく。巨大な勢力が世界を動かしているという「陰謀説」は、そうした流れで出てきた一つの例だという。
ネットしか信じない、マスコミは信じない、大企業も政府ももちろん信じない、という人たち。しかし、元ネタはマスコミ情報であることが多く、自分たちの議論の信頼性を高めるために求める「ソース」も、マスコミ情報や企業、政府の公式発表であると信用される。そんな矛盾したネット上のやりとりは佐藤優氏のいう「反知性主義」にもつながりかねないし、危険でもあることを痛感できる本でした。
単なる評論ではなく、社会心理学的な分析本です。