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感想・レビュー・書評
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そんなにディストピア感は無かったような…
自分より幸せそうに思えた -
1984年と比較すると、暗闇の中迫りくる恐怖というよりかは、あっけらかんとした明るい世界の中に、ドラッグを使用したかのような混沌とした波が押し寄せるような印象を抱いた。同じディストピア世界を描いたものでも、描き方や設定によってかなり印象が変わるのだなと思った。
出生前から徹底的に階級社会を叩き込まれた人類。普通に考えれば恐ろしい光景であるが、誰もが自分の身分に満足し(させられ)、不満なく人生を送っている。それの何が悪いのだろうか?と少しでも考えてしまった自分が怖い。 -
「すばらしい新世界」読んだ。スルスル読めたし夢中になって止まらなかった。
凄い。クライマックスの統制管と野蛮人の問答が物凄い。
そしてその後に続く「著者による新版への前書き」がさらに凄い。書かれたのが半世紀前くらい?なのに予言が現実に近づいている。ゾクリとする。
私の頭じゃ反論の余地がない。完璧に作られた「すばらしい新世界」
絶望的な現代ではこの世界を夢見ても何ら不思議じゃない。物凄い説得力だ。
書き終えて15年経って新版を出す際に書き直すならば、と書かれている部分も興味深い。最後の野蛮人の選択肢を増やすという点。
統制管はおそらく著者の投影(行いは別として考え方とか)で野蛮人は象徴なのかなと考えたんだが、野蛮人はそうでなければヤバすぎるでしょう。普通の会話すらシェイクスピアからの引用で話すなんてウザキモすぎる。新世界では遺物とされている過去や芸術や人間個人の能力を象徴しているんかな -
たとえどんなに安定していて、平和で、誰もが幸せで、そしてその世界に誰も不満を持っていなくて、疑うことすらない(というか、できない)……、という世界だったとしても、さすがにこの世界は嫌だよ。……と思うのは、わたしがこの世界にいないからでしかない。結局、「外側から見ているからこそいえること」っていうのは、フィクションに限らず、いくらでもある。そんなことを思った。ところでわたしにもソーマください。
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ディストピア小説だけれど、登場人物のジョン、ヘルムホルツ、バーナード以外の民にとってはユートピアな世界として描かれていた。
このユートピア世界を形成するために必要不可欠ないくつかの要素が面白かった。
例えば「孵化・条件づけセンター」「睡眠教育」「ソーマの休日」「αβγδεで分けられる階級制度」など。
またSFだと思って読んでいても、フロイトやパブロフを引用した心理学的内容や、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』に描かれている有名な「大審問官」の場面を下書きにしたというモンドとジョンの間の白熱した議論の内容によって、このユートピア世界は本当に実現可能なのかもしれないと思ってしまう。
個人的にジョンがしばしばシェイクスピア作品の引用をしてくるのが笑ってしまった。シェイクスピア作品はジョンにとってのバイブルになっている。 -
人としての幸福、管理社会全体としての幸福とは何かというお話。自分は皆と同じである(中の外くらいである)コトに幸せを感じるので、この未来でも幸せに生きていける気がする…
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1932年に書かれたとは思えない。訳が新しいからか。
60~70年代の海外ドラマの色合いが思いうかぶ。
奥様は魔女とかOSS157とか。
ディストピアなの?と思って読み進んだけどやっぱりディストピアだった。
ハクスリーの「パスカル」を読みたい。が翻訳したって。ストラヴィンスキーと友達だったって? -
古典ということで読めてよかった。
元々は『幸福な監視国家中国』での引用から。過去に書かれたSFのうち、系譜が多く、そして実際に実現しようとしているのは、『1984』ではなく『素晴らしい新世界』の方向である、と指摘していた。
条件付けについてはかなり人為的・介入的であり、この点は疑問が強い。自由主義を否定するにしても、このような未来は来ないと思う。そもそもとして「安定性」を追及することは共同体の死を意味するため、この2点(人為的介入による社会階層の形成と、安定性という社会目的)において、このような未来は来ないだろう。
このうち前者、社会階層の形成の問題は、基底には、労働を誰かしらが担わなければならない、という問題があったのだと思う。
本書は巻末に掲載された「前書き」がおもしろかった。未来予測として非常に普遍的な内容の思える。
幸福の実現のためのアプローチとして、4つの条件を挙げている。
このうち第4条件が労働に関するところで、本書はこれを社会階層の介入的形成により実現したが、実際には、機械が置き換えていくかもしれない。
そして目的を「安定性」ではなく「多様性と変化」に置き換えれば、現実的な未来予測になる気がした。このあたりはよく吟味したい。 -
思考を画一化され過去を忘れた未来で、人々はみな幸福に暮らす。
この世界では嫌なことはない。人々は一人ではなくみんなものである。そしていくつかの層に分けられた人々はそれぞれの役割を与えられ、それを全うし生きていく。(その中でも自意識を拡張させようとする人たちは出てくるのだが)
ユートピアに連れてこられた野蛮人ジョンは思考せずして幸福となるユートピアを嫌悪し、哲学し、不幸であることを選ぶ。
そしての苦痛こそ哲学こそが彼を生かし、現代を生きる私たちを生かしているのか自由であれるのかを痛感せざるを得ない。
野蛮人ジョンが自分の感じることをシェイクスピアから引用し言葉として活用できる様は、いかにシェイクスピアが人間をうまく描いてきたのかと感動すらあった。これを機にシェイクスピアを読むべきなきもした。
なんと言っても第3章の後半部の視点が目まぐるしく入れ替わりセリフが展開される文章がかなり迫力がある。まさしくハイライト。
どこまでいってもこんな世界はありえない!この人間のいる世界は喜劇でしかない!そんな批評性を持たせた読みやすいディストピア小説でした。