21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ (佐々木俊尚) [Kindle]

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  • 佐々木俊尚
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感想・レビュー・書評

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  • 常々思っていた、日本の「リベラル」と自称する連中への違和感。
    彼らのどこがリベラリストで、自由主義なのだろうと、いつも腹がたっていたわけだけれど、筆者はそれを明確に説明し、彼らの矛盾や無知によるトンデモ主義や主張を両断する。

    世間では左右両極端にいる極めてエキセントリックな層が大きな声を出す。
    しかし、当然ながら、穏健な中間層こそサイレントマジョリティであり、大多数なのだ。

  • 「風評加害」という言葉で「進歩的」な人々の欺瞞を暴いたベストセラー、林智裕氏の『「正しさ」の商人』。この本の背景にはこちらの本の著者の佐々木俊尚氏がいる。何年も前からTwitterでは広く知られる人物だ。

    Twitterでも見るべき発言が少なくないが、『「正しさ」の商人』をバックアップしていると聞いて当人の言説に触れたくなり、新作も出たというので、まずはUnlimitedで読める本書を購読した。

    こちらも理念などなく「反権力」が目的化した人々と「進歩的」な人々をバッサリと切る。

    著者は逆に、事象から普遍的なものを抽出し、本質から物を考える、というスタイルで、本書では健全な知の働きを見ることができる。

    出版されて数年で世界は激動した。そうした中で、世界は欧米の支配がなくなり、ユーラシア大陸には帝国が復活するであろうという展望は、まさに的中しつつある予言といえる。

    その一方で、後半に展開されるネットが繋ぐフラットな人のつながりが国家を解体していく、という部分は、きわめて平和な時代の論考だったという印象がある。

    ここで、国家がなぜ存続してきたのかというと、平和で豊かな時代が永遠には続かないから、ということに思い至る。国家が強制的に人を統治し、外部と戦う機能を持つのは、危機が訪れた時に「人が力を合わせて生き延びる」という姿が極限まで行きついた姿と見なすことができる。

    新型コロナウイルスの流行の際に感染を拡大させないための強制的な行動制限ができるのは国家権力があればこそ。人も、自分で考えて理論から最適な行動をとれる者は限られる。お上の意向に沿ってあまり考えずに行動して、それでうまくいくならそれが許容される。

    そして今、同じスラブ人どうしの間で戦争が起き、この結果、あまりまとまりがなかったウクライナは急速に国民国家として強い結束ができつつある。

    災害や戦争の時の機能まで考えると、人は国家を簡単には手放さない。また、危機のときの恐怖が、時には人権を軽視する権威主義的な国、いわば「帝国」さえも許容してしまうということを、今、自分らは目の当たりにしているのではと思う。

    ネットが国境を超える、というのは経済の話。経済は国境を超える。平和の中で利益をむさぼるという性質がそうさせる。しかし、人は利益だけで動くのではない。恐怖も強く人を動かし、ネットが作るフラットな社会は人の素朴な恐怖や不安を救えない。

    また、ネットの普及が民主主義よりも民族主義や権威主義的な国家の成立を推し進めるように機能することも指摘されている。国民にFacebookを無制限に広めた結果、民族主義がより高まる傾向が見られたという。ネットは素朴に使われると民主主義は容易に見失われるため、システム側でデマや陰謀論などの拡散を抑制する仕組みが必要とされる。Twitterのコミュニティノートもその試みの一つ。

    民族主義の高まりも、本書に欧州の移民が過激な民族主義に傾いていく指摘にあるように、自らがよって立つところにすがりたい心理によるのだろう。貧困や不安がある場所なら、別に移民でなくても民族主義はいつでも燃え上がる。人々の不安や恐怖を強力に鎮める効果があるのだから。

    ということで、著者の論考に災害や戦争を加えると、より今日的な結論が導かれるのではと思った。

  • 随分昔に読んだ本。
    マイノリティ憑依が、メディアの特質。
    反権力、という立ち位置だけが軸、という指摘は目から鱗だった。

  • 日本の言論空間におけるリベラルの批判。求められるのはリアリズム、しかし優しさを伴うもの。

    佐々木俊尚, 2015. 21世紀の自由論, Kindle Edi. ed. NHK出版.
    本書は、二十一世紀の世界における困難な問いかけをみなで考えるために書かれたものである。その問いかけとは、次のようなものだ。 「生存は保証されていないが、自由」と「自由ではないが、生存は保証されている」のどちらを選択する loc87

    いまもおこなわれている天皇家の儀式の多くは、明治時代に新しくつくられたものである。江戸時代までは天皇家は仏式の葬式を執りおこなっていたが、「古代の神聖な神」のイメージを創作するために儀式は神式にあらためられた。loc760

    グローバル企業は、まるで中世の帝国のように駆動する。 古代から中世にかけての帝国は、多民族・多文化を横断的につなぐ国家だった。現在の「ひとつの民族がひとつの国家」という国民国家の形態をつくったのは近代ヨーロッパであり、歴史はわずか三百年ぐらいしかない。 loc 1631

    新たな権力として勃興してきたグローバル企業は、情報がネットワーク上を自由自在に移動する新しい交易システムを支配している。おまけに中世の巨大化した帝国と異なり、国民の統治そのものには関わらず、運営も少数精鋭でおこなわれている。これは中世の帝国よりも堅固であり、近代の国民国家よりもしなやかな新しいシステムだ。そしてこのシステムは、帝国や国民国家の権力のように上から国民に命令するのではなく、環境のように下から産業や人々の生活を支え、下から世界を支配する。「見えない帝国」で loc 1648

  • 前半は現代の政治の話、後半は「優しいリアリズム」と「ネットワーク社会」の話です。
    個人的には後半の話が非常に興味深いもので、これからの人生の歩き方、というのは極端ですが、なにかヒントはあると思います。
    ただ、かなり先を見ている話で、1回で理解しきるのは難しい印象です。他の本読めばわかるかな?

  • 流し読み

  • 【由来】
    ・市内のどの図書館にもなく、Kindleで¥421なので買っちゃった。

    【ノート】
    ・あれ?佐々木さんって、こんなに独断的な論調だったっけ?という印象。「レイヤー化する世界」での主張と基調は変わってない。それについては面白い視点だと思うし、同意できる部分も大きいのだが、そうなると本書の存在意義は?タイトルにある「自由論」というのが果たしてミルを意識しているのかどうかは知らないけど、総括の仕方が独断的で根拠が弱い。観念的な表現にしても、何となくわからんでもないけど、もっときちんと説明してよ、という気がする箇所が多い(「ネット共同体は水平展開だから上下関係がない」という表現など)。

    ・帯が「佐々木俊尚の新境地!」とあるが、本書のようなおかしな書き方がデフォルトにならないよう切に願う。

  • ずっとKindleに入っていて部分、部分は読んでいたのだけど、選挙前にレゾナンスリーディングで読んでみた。
    すべて消化できたわけではないけれど、一旦読み終わったということで。

  • 『「最後に守りたいものは何なのか」を問いかけるというのは、まさにいま必要なことなのだろうと私は強く感じた。さまざまな議論やさまざまな非難の応酬、中傷、罵倒がマスコミでもネットでも、メディアの空間にはあふれている。

    しかし私たちはそういう感情的な応酬をしていく先に、いったい何を求めているというのだろうか。

    仮定の上に仮定のフレームをどんどん積み重ね、空中戦のような議論を積み重ねていったとしても、それはグラグラと崩れ落ちそうな構造物にしかならない。それは日本だけでなく、いまやヨーロッパでももっと酷いかたちで起きていることだ。』

    新しいネット社会での生き方を説く作品。
    『レイヤー化する世界 テクノロジーとの共犯関係が始まる』と基本的な論調は同じ。

    「〜からの自由」と「〜への自由」という枠組みはよく議論されるけど、「いったいあなたは何から自由になりたいんですか?」「いったいあなたはどんな自由へ向かって行きたいのですか?」を問う前に、それを問う対象のあり方をまずはよく考えていかなければならない。
    多層なレイヤーのある世界では、自由のあり方も多様なので、議論の水準を合わせないと、分かり合うことができないから。
    そんなことを考える作品。

  • うーん。感想がない。だけど参考になった。たぶんよくわかってないんだと思う。そうなのか。そうだよね。それはちがうかもなーって感じ。
    とにかく参考文献とかに乗ってる本とか読んだことないしついていけてない感はある。読書したくなった。知的好奇心

  •  時代は様々なしがらみから解放される方向に進んできて、女性や奴隷や子供の権利を認めるという足跡をみると、主体的に選択できる権利が拡大されている。今となっては性別さえも自己選択の範疇に入っていて、もっと時代が進むと、オカルトの力を借りてきっと生まれる場所や環境さえも選べるようになると思う。

     そんなふうに「純粋理性に基づく自由意志による自己決定」という自由を掲げてそれを実現しようと邁進してきた私たちの文明だけれど、結構自由になってきた結果、やっぱり自由すぎるのは大変なのではという疑問が21世紀になってでてきた。しがらみから解放された結果、やっぱりしがらみって大事じゃない?という気づきがうまれ、それはISとかドナルド・トランプとかで顕在化している。

     本書はコンテンポラリーな話題を現状追認的に分析しながら、それらのリベラルの限界を探っていて、コミュニタリアニズムの問題を指摘しながらも共同体の必要性を結論としている。けれども、これまでのようなしがらみとしての共同体ではなく、もっと軽く流動的でフワフワした共同体で、それを可能にしているのはやっぱり情報技術の発達だったりする。

     しかし、そんなフワフワした共同体に個としての人間が対応できるのかという疑問を持っている人もいて、それも結構納得できる。それは、所詮人間はリベラルになんてなれないのでは?という疑いで、やはり結構納得できる。

     共同体の感覚が薄い人間からすれば、共同体の不在からくる不安はしょうがないものだと受け入れられるけれど、居心地のいい共同体に居続けるために自分を拘束してる誰かをみると、それはちょっと違う気がして、でもそれはそれで自己選択なのかもしれないなんてふと思ったりする。

  • 前半の状況分析はさすがに鋭く的確。現状に至るまでの歴史的背景の解説も非常に納得。後半の「では今後どうなるか/どうあるべきか」で語られるフラットで多層的なネットワーク社会については正直あまりうまくイメージできない。それでも新鮮な視座を得られたことは間違いない。

  • 第1章は日本の言論の現代史の俯瞰である。「リベラル」も「保守」も「ネット右翼」も、政治哲学がなく「立ち位置」だけがある。「マイノリティー憑依」によって、どこにもいない、幻想でしかない外部に自身を置き、その安全圏から内部を批判するばかりである。だから発言にも行動にも論理的な一貫性がなく、奇妙なねじれとジレンマから逃れることができない。

    しかし、第2章に示されるように、論理的一貫性をもった選択のよりどころとなってきた「普遍」もまた、その擁護者たるヨーロッパの没落とともに失効しているという指摘は明快だ。よりどころはどこにもない、「過酷な移行期(l.1878)」に我々はいるのだという。

    今は過渡期だと誰でも簡単にいうけれども、大抵は、自分の経験とは違うことが起きているという程度のことなのだが、ここでは相当長い歴史的なパースペクティブをもって「移行期」が語られており、その不安感には共感できる。

    筆者が拠って立つべき政治哲学として提示するのは「リーン」で「優しい」「リアリズム」である。

    「リアリズム」だから、中国を牽制するための集団的自衛権は必要であり、政体は民主主義でない可能性がある、という。全体を読めば理解できるのだが、ここらの字面だけに反射的に噛み付く批判は少なくないだろうと想像される。

    「リーン」とは「長期的で巨大な計画ではなく、機動力を生かして軽快に事業を進めていくような考え方(l.1787)」で、「アジャイル」と似ているが、ロケットの発射よりは自動車の運転に似て「目的地はわからないが、交通事故を起こさない」(l.1804)という。

    「優しい」は、理路を突き詰めて付いて来られない者を切り捨てたりはしない、不安な気持ちを包摂する、というような意味である。不確定であることは辛いけれどもそこに踏みとどまって、「ものごとはたいていグレーであり、グレーであることをマネジメントすることが大切である(l.1866)」と考える。「両極端に目を奪われることなく、そのあいだの中間領域のグレーの部分を引き受けて、グレーをマネジメントすること。その際、人々の感情や不安、喜びを決して忘れないこと。これこそが優しいリアリズムである。正義を求めるのではなく、マネジメントによるバランスで情とリアルを求めることが、いま私たちの社会に求められている。(l.1894)」

    リーンで優しいリアリズムという主張には共感するところが多いのだが、硬直した不寛容なファンタジーが支配的な今日の日本においては、道は遠いというのが実感だ。グレーに耐えられないからこそ、コストを度外視して極端なコンプライアンスを要求したりするのであるから。

    それにしても目眩がするほどの離隔の大きさである。私の人生はこの移行期のうちに閉じるであろうが、その先につながる価値をいくらかでも生み出しておきたい。

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著者プロフィール

ジャーナリスト

「2022年 『楽しい!2拠点生活』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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