原題は「セヴァストポリの戦い」らしい。
作中終盤の戦いの名前。
前年にクリント・イーストウッド監督「アメリカン・スナイパー」があったからつけられた邦題だが、生まれは帝政ロシア帝国ウクライナ地方で、ソ連軍の狙撃手として活躍したというから、邦題はやや誤解を生みそうだと感じた。
2021年末に逢坂冬馬「同志少女よ、敵を撃て」で知り、興味を持っていた映画だが、2022年4月現在複雑な気持ちで見ざるを得ない。
戦争映画というよりは、伝記映画。
とはいえドラマチックに描かれていて、そのドラマチックという点が、作品の品位を下げているように感じた。
序盤はいい。
リュダがどんな人だったか、当時のウクライナ地方がどんな雰囲気だったか。
オデッサで海水浴するシーンがあるが、この海って黒海なんだな、とか。
中盤の戦闘シーンも、新しい映画だけあって、クッキリ戦場が描かれ、凄みを感じた。
特に大砲が塹壕にずり落ちてくることで生じる混乱とか、新鮮に感じた。
思い返せば序盤、色が鮮やかで、モノクロで思い描きがちな世界大戦直前を、カラーでビビッドに映像化した上で、戦場は明度を落として灰色と茶色と血の赤、というカラーコーディネートがよかったのだと思う。
が、中盤から終盤にかけて、悪い意味でまんまプロモーションビデオっぽい音楽と映像が急に差し挟まれてから、「まるで戦場ラブワゴン」と悪意的に言ってしまいたくなるような「ラブラブ」と「乗り換え」が行われる。
ここ、伝記映画というには怪しい、過度な脚色が行われていると思うのだが……。
もちろん「同志少女よ、敵を撃て」で主張された「生き甲斐」に関わる事柄、さらにスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」でも多分に出てくる「戦地の恋」は、極限下での人の営為としてあることなので無碍にはしないが、
それにしてはPVっぽすぎるので、任務の過酷さを抜いてラブラブしているなーしかも友人の不幸もタネにしてラブラブするんだなーという、嫌な感じすら覚えてしまった。
ハリウッド式プロパガンダという嫌なフレーズすら浮かんでしまった。
そのあたりが惜しい。
考えてみれば前半がいいなと感じたのは、主演女優の表情が好きということに尽きるのかもしれない。
ユリア・ペレシルドというお名前。
キャリー・マリガン、エミリー・ワトソンに少し似ている顔。
パヴリチェンコの興味掻き立て度合いというなら、教官になった上で重要な場面で重要なことを言う「同志少女よ、敵を撃て」のほうが、本作を包含して、上かもしれない。