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感想・レビュー・書評
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飛行機の中で読んだ。言葉を失った。正直、武漢頑張れも福島頑張れも吹っ飛んだ。これはチェルノブイリ事故を語る本ではない。復興が進んだロシアやウクライナではなく媒体も取り上げないあの後黒い雨が降ったベラルーシ。あの時、何も知らされず復旧作業にあたって死んでいった兵士や作業員の家族、その後もそこに住まざるを得ない人たちの声を集めたドキュメンタリーである。文字も読めない農民たちは状況を理解しない。貧しい者たちは疎開もできない。アフガンの戦禍を逃れた難民たちが来れる場所はここしかない。その街で暮らすなら汚染されたその街の農産物を食べるしかない。復興に関わったすべての人が発症し死んでいく。身体中が膨れ上がって黒ずんで。事故後もクラスメイトが日に日に死んでいく学校に通う子供たちの考えていること。自分が奇形であることを知らずに病院にいる子どもとその親。大災害なら過ぎれば終わる。感染病なら予防やワクチンがある。しかしこの事故は、その瞬間からその後も人を殺め続ける。対策も打てないまま何が起きるかわからない不安と諦めの中で人々が暮らしている。そして核の防御壁にヒビが入り放射能は10年後も漏れ続けている。ここに神はいない。
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広島の原爆は、小学校の修学旅行がきっかけで学校でも勉強したはずだけど、これを見て放射能について何もわかっていなかったと思いました。
本書のように、大きな事柄を理解するにはまず個人の小さな視点から、書いてあると入っていきやすいし興味も湧くのだと実感し、私が小学校時代もそんな勉強がよかったのではないかと思いました。
放射能の恐ろしさ以上に、国家レベルになると個人は切り捨てられることが恐ろしかった。
メディアや政府からの情報は鵜呑みにしてはいけないと思ったし、自分から情報を得て、判断していかなければいけない。
福島の原発事故もメディア頼りで、何も勉強しなかったことを反省しました。この本で「原発のうそ」の本を読み、さらに放射能についての理解が深まりました。
本書は、自分の頭で考えることの重要さに気付かされた本で、周りの人にも勧めたいと強く思いました。 -
著者は『戦争は女の顔をしていない』でも知られ、2015年にベラルーシではじめてノーベル賞受賞者となったジャーナリストのスベトラーナ・アレクシエービッチです。
膨大な数のインタビューから、現在のウクライナ最北部で起こったチェルノブイリ原発のベラルーシにおける被害の真相を明るみに出そうとします。住人、作業員、兵士、子供たち、自主帰還者(サマショール)、放浪者、医者、科学者、共産党員など、多種多様な立場にある老若男女の声を引き出すことで、この大惨事が何だったのかを読み手に投げかけます。
とくに冒頭と末尾に配された「孤独な人間の声」で、消防士の夫を亡くした妻と、事故対応のために招集された組立工の夫を亡くした妻によって証言される、愛する夫が放射線の影響で変わり果てた姿になり苦しみ死んでいく様には胸を締め付けられ、放射能被爆による人体への影響に戦慄させられます。
本書を通して著者は自身の意見や分析を表明することはなく証言者たちの声を汲み取ることに徹しています。にもかかわらずこの事故への人々の記憶を残さなければいけないという強い気持ちを感じます。
印象に残る箇所は多くあります。いくつかの断片を書き出します。
「パパ、あたしね、生きていたい。まだちっちゃいんだもの」
「私たちを放っておいてください」
「ここからは追い出されずに済むからですよ」
「3年が過ぎたころ、ひとりふたりと発病しました」
「医者はなにも触ろうとしなかった」
「話してもいいと言われたとしても、誰に話せただろう」
「この子が実験用のカエルやウサギになってもいい、ただ生き延びてほしい」
「あそこで英雄にはお目にかかりませんでした」
「原子炉本体のうえでは消防士たちがやわらかい燃料を踏みつけていた」
「お前さんらだって上から命令されたら従うしかないだろ?」
「ここでは幸せそうな妊婦さんを見ません」
「子供は死産でした。指も二本たりなかった」
「牛乳ではありません。放射性廃棄物です」
「当時、私が原発にたいして抱いていたイメージは牧歌的なものです」
「人間は私が思っていた以上に悪者だったんです」
「私は昔の人間なんです。犯罪者ではない」
「娘の友だちの待望の赤ちゃんは口が耳までさけ、耳がありませんでした」
「ここの子どもたちは笑わないんです」
「命の価値から見れば、スズメの涙の割増金」
「カメラは取り上げられました」
「国家が最優先され、人名の価値はゼロに等しいのです」
「この子たちは子どもは埋めないでしょう。遺伝子にキズがついている」
「ママ、がまんできない。殺してくれたほうがいいわ」
「死ぬのはこわくないわ。ながーく眠っていて、ぜったいに目が覚めないのよね」
「アンドレイは自分のベルトで首を吊って死にました」
また「話はできるよ、生きている者とも死んだ者とも」と題された、自主帰還してネコと暮らすジナイーダさんによる素朴な語りに胸を打たれました。