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感想・レビュー・書評
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印象に残った内容
・戦時中、米軍が日本語学習をインテリジェンスと結び付けていたのに対し、日本軍はそれができないかなった
・東條英機を始めとする日本軍トップは英語未学習でドイツ語学習者だったため、ナチスドイツに傾倒して英米の実力を見誤った(ポツダム宣言を受諾しなかった)
・日本語の英語学習一辺倒で周辺諸国言語への関心が低いことが日本人の世界の捉え方を歪めている
・戦後、米国は日本を占領・支援しながら、新米感情を日本人に植え付ける戦略を取り、それはある程成功した(特に共産主義に影響されないため)
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日本の英語教育はとかく会話が弱く、文法と読解に偏重しているといわれてきた。筆者はその理由を、英語を異文化コミニュケーションの手段というより新しい技術と知識輸入の手段としてみたところに置いている。
そんなこともあってか英国を規範とし、仮想敵国を米国とした海軍は必然的に英語を重要視するが、フランスまたはドイツを規範とし、仮想敵国をロシアとした陸軍は英語を軽視した。
意外だったのは特に海軍、軍属となった若い人たちにも英語教育を施していたことだ。そして、陸軍も”外国語”を軽視していたわけではなく、独仏露語は重視しており、英語を軽視していただけだった。 -
余り扱われない陸海軍での外国語教育に関する貴重な資料および考察は示唆に富んでいる。太平洋戦争前からすでに日本語を研究していたアメリカ軍はすでに日本の外務省の電文を解読することさえできていた一方、日本の陸軍ではドイツ語やロシア語ばかりが重宝されていた。東条英機をはじめとする中枢にいた人物の多くが英語を学んでいなかったというのは驚きだった。海軍では確かに英語教育が行われていたが、裏を返せば一辺倒であり中国をはじめとしたアジア系の各国語は教育されなかった。江戸時代から始まるその歴史的背景を追いながら敗戦を辿ることで、国家戦略としての外国語教育がみえてくる。戦後から今日に至るまでは一転して英語が圧倒的な人気を誇っているが、グローバル社会で求められる相互理解の素地としては多様な言語への教育が重要であると締め括られる。