最愛の子 [DVD]

監督 : ピーター・チャン 
出演 : ヴィッキー・チャオ  トン・ダーウェイ  ハオ・レイ  チャン・イー  キティ・チャン 
  • Happinet(SB)(D)
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4907953067912

感想・レビュー・書評

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  • 親愛的/DEAREST
    2014年 中国・香港 130分
    監督:ピーター・チャン
    出演:ヴィッキー・チャオ/ホアン・ボー/ハオ・レイ/トン・ダーウェイ/チャン・イー
    http://bitters.co.jp/saiainoko/

    離婚して男手ひとつで3歳の息子ポンポンを育てているティエン。ポンポンの母である元妻はすでに再婚しており週に一度ポンポンに会いにくる。そんなある日、近所の子供と遊びに出かけたポンポンが突然行方不明に。3年後、鄙びた農村で誘拐犯の妻に育てられていた(犯人はすでに死亡)ポンポンが見つかる。両親は喜ぶが、子供は実の親の顔を覚えておらず、愛情を注いでくれた育ての母を恋しがって泣くばかりで・・・。

    日本でも『八日目の蝉』という映画(小説)がありましたが、たとえ誘拐されたとはいえ、きちんと愛情をもって育てられた子供はそれなりに幸せで、実親の元へ連れ戻されても逆に懐くことができなかったりする。もちろん誘拐は犯罪だし許されることではないけれど、八日目の蝉なら永作博美が演じた犯人、この映画では夫がさらってきた子をそうと知らず(自分が不妊症のため夫が別の女に生ませた子だと信じて)慈しみ育てていた犯人の妻を、当の子供も観客も、まっすぐに憎むことができないのが辛い。生みの親か育ての親かというのは、『そして父になる』のような不可抗力の取り違えならまだしも、誘拐という犯罪が明白である以上「育ての親」に返すことなどできるはずもなく。誘拐された子供が虐待されたり殺されたりしていた可能性に比べれば大事に育てられていたことは救いだろうけど、それでも必死で捜索し続けた両親の数年にわたる苦悩は相当なもの。実親たちが抱く、誘拐犯の妻に対する複雑な気持ちは計り知れない。しかし子供たちを本当に愛している誘拐犯の妻が、引き離されても一目会いたくて必死になる姿も健気で、とにかく登場人物全員が可哀想、誰の肩を持てばいいかわからず観客は板挟みになってしまう。

    この映画は実話を元にしており、中国では子供の誘拐(身代金ではなく売買目的の)が珍しくないらしい。まず序盤で姿を消した幼児を探す両親、これが日本ならまず近場の子供の行きそうな界隈を走り回ると思うのだけれど、この映画の親たちは結構早い段階で駅、長距離列車のホームを探す。つまり可能性として誘拐→遠方に連れ去られる確率が非常に高いと認識されているということ。その事実にまずちょっと驚く。さらに、行方不明になった子供を探すために街頭やネットを使って情報提供を呼びかける親たちを騙すために、偽物の子供を用意して懸賞金を騙し取ろうとする輩が次々現れることにも驚いた。それでも万一の可能性を期待して情報を求める親たちの必死の姿に胸が痛むと同時に、浮彫になってくる中国の貧困の現状。励まし合う誘拐被害者の親たちの会のメンバーもそれぞれ複雑な事情を抱えていて、一人っ子政策の弊害で、誘拐・失踪したままの子供の死亡を認めなければ二人目の出産は許されないなど、中国ならではの事情も垣間見えた。

    映画は単純な親子愛の話におさまらず、周辺人物たちの苦悩も丁寧に拾い、重層的なヒューマンドラマになっている。こうあるのが正解、という明確な結論は出ないけれど、ラストで誘拐犯の妻にある事実が発覚し、それがまた複雑な余韻を残す。泣き崩れる彼女の喜びと悔しさの入り混じったやりきれない感情。ヴィッキー・チャオは熱演だった。

  • これの元になった話を世界仰天ニュースか何かで観て泣いたのを覚えている。
    その時は、息子を誘拐した側とされた側の交流なんかを美談として描いていたけど、実際この作品を観てからエンディングのシーンを観ると、遣る瀬無さでどうしようも無い気分になってしまった。

    中国の社会問題である、「子供の人身売買」「一人っ子政策による弊害」「農村部と都会との生活落差」などで苦しむ人々について見つめて問題提起しながらも、サスペンス要素もしっかりとあり、見応えのある作品だった。

    始まりから息子を誘拐されたらティエンたちの苦しみが、緊迫感のたるカメラワークで思わず息を止めてしまう。

    ポンポンが見つかるまでの両親の悲壮感や、見つかってからポンポンがなかなか懐かない苦しみも辛いが、同じように息子を誘拐されたハンさん夫婦が妻の妊娠によって味わう、苦しみも切なかった。

    比較的都会であるティエン達の街、深圳と、誘拐したポンポンが3年間育った中国北部の田舎の生活レベルの対比が、ティエンたちの訴える法の元による常識と、リーの訴える育ての母としての感情論の不一致を表していた。

    日本に住む私からみれば、理由はなんであれ子供に会わせろーって叫ぶ誘拐した側であるリーの訴えは非常識だし、クレイジーのように感じられるのだけど、ストーリーのスポットが、息子を誘拐されたティエン、実の子では無いポンポンを育てたリー。そしてリーの弁護士と順に描かれる事により、それぞれの感情に寄り添えるよう、当事者に敬意を持って監督が丁寧に描いていた。

    ストーリーの始まりでティエンが、路地の中で色んなお店がの電気コードがグチャグチャに絡み合っていて自分の店のコードが探せず、「赤い印をこの前つけといたのに!」と呟く。

    血縁だってそうだ。血ははっきりとした家族の繋がりの証明になるものなのに、外からの見た目でははっきりとした証拠なんてない。
    ティエンが探した絡み合った電気コードみたいに、何か印をつけておかなければ見失ってしまうような儚いものなのだ。

    邦画の「八日目の蝉」を思い出してしまうのだけど、あちらは誘拐した側の目線だけであり、あくまでもフィクションなのでうまくまとまっているが、実話はそんなに綺麗にはいかない。
    だから今もこの事件に関わる皆が、なにかしらの苦しみを抱えているのかもしれないと思うとなんだか言葉が見つからない。

    一番の被害者は妹のジーファンなんじゃないだろうかと思う。
    ってうか中国って道に捨てられた子供の拾って育てるのは法律的にありなの?

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