史実に映画で復讐するという「イングロリアス・バスターズ」「ジャンゴ繋がれざる者」では、フィクションの力を信じられた。
「イングロ」では渦巻く差別への憎しみがあったから。「ジャンゴ」にはヒーローがいたから。勧善懲悪ともいえる。
それに比べて本作では、悪人ばかり。誰にも肩入れできないし、誰の言葉も信じられない。
フィクションへの信用もできず、作中の嘘は宙吊りのまま。
フィクション論としては一歩先に進んだともいえるし、だからこそすっきりしないともいえる。
漫☆画太郎ばりのスラップスティックな吐血、どつき、など唇の端を歪めて笑うような場面はあったが、後味は最悪だ。
女性への優しさはない。女性が秘めている優しさも存在しない。
黒人は気のいい人ではない。陽気でもない。
カウボーイは素朴ではなく、英国人は紳士じゃない。
殺しに躊躇いもない。
つまり映画内で暗黙裡に共有されているルールがすべて破壊されているからだ。
密室の殺人事件、とか、誰が生き残る、とかわかりやすい宣伝文句は、仕方なくつけられたものに過ぎず、
ただただ疑いと裏切りと暴力が続き、関係性は突如陰惨に崩壊する。
残酷絵巻というのがいいかと。
作中でも語られる通り、北部での奴隷解放、南部での黒人メキシコ人差別にまつわる認識は、南北戦争が終結しても終わらない。
今現在でもまったく終わりが見えていないアメリカの縮図でもある。
「荒野の用心棒」よりは「遊星からの物体X」。
本場の劇場でロードショーを鑑賞したわけではないので、リッチな映画体験というわけにはいかないが、
一時間たっぷり使って北部南部のにらみ合い、一時間たっぷり使って疑り合い、その積み重ねが急展開を齎す、という鑑賞は、内容的に十分にリッチだった。
巻き戻しという「パルプ・フィクション」的仕掛けもあり、疑り合いという「レザボア・ドッグス」的仕掛けもあるので、彼の総まとめといえなくもないが、
それにしてはシニカル過ぎてカタルシスがない。
お馬鹿で楽しくてお洒落な映画を作れない現状が、アメリカ映画のいま、なのかもしれないが。
願わくはタランティーノにはもっと陽気であってほしい。