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- / ISBN・EAN: 4988111250100
感想・レビュー・書評
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舞台は50年代のニューヨーク、ケイト・ブランシェット演じるセレブでおしゃれで強い女性キャロルと、ルーニー・マーラ演じる若く純粋なテレーズが出会い、恋に落ちる物語。
ルーニー・マーラは年齢不詳で不思議で、とにかくかわいい。最初はデパートの店員から、カメラマンを志す思いを強くして、最後はキャリアを得ていく。キャロルへの思いは、憧れのような存在なのか、恋心なのか、最初はよくわからないけど、キャロルとの二人での旅を経て、徐々にはっきりとロマンティックなものに。
二人のベッドシーン、なによりケイト・ブランシェットの背中が凄い。あえてそういう演出のために加工した?と思えるくらい、彼女の背中は美しく、逞しい。
キャロルは美しく、自立していて、強く見えるけれど、やっぱりまだまだ女性の生きづらい時代で、自由ではなかった。まして、レズビアンであることを知られ、”治療”という名のセラピーまで受けさせられてた、それだけ世間の「妻」や「母」の姿に適合を求められ、苦しんだ。母としての娘への愛と、自分を失わずに生きようとする姿勢が両立されないのはとても痛ましい。
その苦しい生き方を見ながら、一度は引き離されたテレーズが、最後に再びキャロルのもとに戻る選択は、幸福なのかはわからないけど。それでも正直に生きようとする姿は美しいし、静かだけれど抗えない熱があるのだと思う。
音楽もよいし、旅の風景や街並みも雰囲気ある映画。でも何よりケイト・ブランシェット、本作も圧倒的存在感。あんだけ綺麗でゴージャスで、でも車を運転してモーテルを転々とするような姿が様になる女性いるんだろうか。
一方のルーニー・マーラの透明感は本当にドラゴン・タトゥーの眉なしリスベットなのか、毎度疑ってしまう。。
寒い冬に、引きこもって見るべき映画です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
このシーズンにぴったりの話。
年齢も境遇も違う2人が惹かれ合い、それぞれの人生を変えて行く。
妖艶なケイト・ブランシェット、初々しいルーニー・マーラ、二人とも本当に美しい。
話はゆっくりと進み、二人が少しずつ距離を縮めてゆく様を丁寧に描く。
後半に入り幸福な時間が訪れた直後に話は急展開し、この映画がただのラブストーリーではなく、アイデンティティの話であることがわかる。
「自分らしく生きる」、よく使われる言葉だがそれは一体どういうことか。
自身を貫こうとすれば当然周囲との軋轢が生まれ、自分も周りも傷つき、大切なものを失うこともある。
性の問題に限らず、自分の根幹を構成するものを曲げるかどうかという視点に立てば、この映画の言わんとすることは特別なことではなく、自分にも当てはまる部分があるのではないか。
違和感を持ちながらも周囲に合わせて上手く生きることができたら、どんなに楽か。でもそうして自分の心を殺してまで生きる意味はあるのか。
物悲しい旋律のテーマ曲が何度も流れるが、あんなに切ないメロディーが、場面に応じて哀しくも喜ばしくも聴こえるのが不思議だった。
特に二人が結ばれる場面とラストシーンでは、旋律の揺れが二人の感情のうねりと重なっているようだった。
古き良きアメリカのファッションやラジオ音楽が、まだ保守的な時代であったことを思わせる。
時代は変わり、人びとの考え方も変わってゆく。
異端とされることも時が経てば普通になるかもしれない。
誰もが自分を偽らずに生きて行けますように。
クリスマスだ。
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女性同士のアガペーを描いた美しき作品。主演の二人とも大好きな俳優さんなので、観たが、作品自体も最高だった。衣装とか装飾とかストーリーも、美術も、女優二人の美しさも、全てが最高だった。買うやつ。
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とびきり美しい映画だった。
キャロル役のケイト・ブランシェットも、テレーズ役のルーニー・マーラも、目だけの演技でも引き込まれる。
古き良きアメリカが感じられたし、二人の心がとにかくすてき。観て良かった。
2019.05.10 -
ランチすら自分で決められないと言っていたテレーズが、最後のシーンでキャロルの誘いを一度断ってそれから自分で決めて彼女の元へ向かったのだ、ということに後から気がついた。
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1952年、ニューヨーク。高級百貨店でアルバイトしているテレーズ(ルーニー・マーラ)は、クリスマスで賑わう売り場でその人を見た。
鮮やかな金髪、艶めいた赤い唇、真っ白な肌、ゆったりとした毛皮のコート、その人もテレーズを見た。
その人の名は、キャロル(ケイト・ブランシェット)。
しかし美しさに隠されたキャロルの本当の姿とは、貞淑な専業主婦で飾りものの妻であることを強制された不幸な結婚、同性愛者であることを隠さなければならない偽りの人生、何より大切な娘を夫に奪われようとしていた。
それを知ったテレーズのキャロルに対する憧れは、思いもよらぬ感情に変わっていく。
原作は、「太陽がいっぱい」のパトリシア・ハイスミス。
かつて同性の親友と関係を持ち、それが原因で夫と離婚訴訟中だが娘と暮らすために同性愛者であることを隠さなければならないキャロルとランチの注文すら自分で決められず本当の恋を知らないテレーズが、ひとめぼれして惹かれ合いお互いの愛を遠回りしながら育むストーリーを、テレーズがキャロルに励まされ写真の道に進むことを本気で思い始めたり、キャロルの手ほどきで鮮やかな化粧やファッションに目覚めるテレーズの変化と成長、前途あるテレーズのために自分が身を引くべきか本当の自分で生きるために大事なものを捨てるのか悩むキャロルの葛藤を絡めて丁寧に描いた傑作ラブストーリー映画です。
1950年代のファッションやインテリアや音楽が映画を鮮やかに彩り、鮮やかで誇り高いキャロルそのもののケイト・ブランシェットと自分の本心が分からずおもちゃの汽車と愛用のカメラに夢を託しながらキャロルを愛する中で艶やかに強く成長するテレーズを繊細に演じたルーニー・マーラの特にお互いの想いを込めた目の演技などの抑制された演技と魅力、ラストの本当の自分で愛する人と生きるために大事な決断をするキャロルとテレーズに、自分の本心を大事に生きて行こうと励まされたステキなラブストーリーです。
日本でも、渋谷区で同性パートナー証明書が認められた今だから、見て欲しい傑作ラブストーリー映画です。 -
同性と恋に落ちることなんて「誰にでもあると思わない?」というセリフがこの映画の質の高さを物語っているのではないか。ジェンダーだとかLGBTだとかそういうのを超えた深い理解と経験が、作り手にあるような気がした。二人とも美しいし、語りすぎない魅力もある。ラストの二人の表情がなんとも言えず良い。