- Amazon.co.jp ・電子書籍 (116ページ)
感想・レビュー・書評
-
宗教とは一種の洗脳であるという言葉が腑に落ちました。
そして、歩くために歩く、仏陀の生きるために生きよ、という言葉の解釈も、納得でした。
死や生という事や人生だけでなく、宇宙という大きいところから俯瞰して見る事で今どう生きるかに繋がっていきます。
苫米地氏の視点、俯瞰、抽象度を上げる思考がより深く理解できて面白い本でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「情報的縁起」
あなたの果たした機能の航跡が、後世の人たちに影響を与え、あなたの果たした機能そのものが生き続けるということ
だそうです。
死ぬことの恐怖は
自分の存在が消えてしまうこと
自分が忘れ去られるということ
物質的に消えることと精神的に消えることの2つかなと思います。
僕は物質的に消えることは運命なんでその時が来たら仕方ないのかなと思います。
ただ自分が何もなし得ないままに消えるのは嫌やと思ってました。
そういう意味で今子供達がそれなりに大きくなってくれて娘も医者のたまごになりあとは息子が社会に役立つ道を示してくれたら一つの区切りがつくのかなと思います。
あとは自分が仕事で何を残せるかかなと思います。
自分がやった仕事が後に続く人に役立つならそれは一つの生きる目的の達成なんかなと思います。
さあこれから何ができるかもう一踏ん張り頑張ろうと思います。 -
仏教の開祖であるはずの釈迦、しかし仏典で当たり前にいわれている「地獄や極楽という死後の世界」や「輪廻転生という生まれ変わり」を彼は否定していたという指摘から始まります。インドから中国経由で日本に入ってくる長い過程で各国独自のアレンジが施されたようですが、変えるにもほどがありますよね。
そして、本書の目的である「死を恐れないためには」という回答はあとがきに現れます。
「生きている主体、あなたがあなたの宇宙の主人公です。そして過去も未来も妄想であるなら、あなたに与えられた今この一瞬を意識し、生きていることを実感し、精一杯生きること。それが死への恐怖や悩みを忘れさせ、人生を輝かせる唯一の方法なのです」(大意)
さらに、私なりに解釈を広げれば「生まれなければ死はありえない。生きていれば、死はあせらなくてもやってくるもの。それなら、今の生を精一杯楽しみましょう」
みたいな感じかな。 -
前提としてこの本では
「死後の世界(宗教)は妄想である」としている。小説と同じように楽しむのは自由だし共感するのも自由。
また、死は粒子レベルでは残るし宇宙という物質的には変わらないけど、自我はなくなる。
という考えで書かれています。
私を含め多くの日本人と同じ価値観が前提です。
そして、死の恐怖は大きく2つ。
「自分という存在が消えること」「存在の価値がこの世から消えること」
前者は考えても仕方がない。生きている今を考えるべき。
後者は生きている今こそ貴方という形がある最後なのだから価値ある機能を見つけるべきだし、成せれば存在の価値がなくなることはない。
まとめるとこんな話でした。
自分はタナトフォビアです。それでこの本をとりました。
死が怖くて考えている人は、そんなことはもう考えているのです。わかっているのです。それでも怖い。
もう自分で達していた結論と同じで、読んで得るものはありませんでした。
死が起きる可能性が低い、または死なない可能性もあるならば、考えても仕方がないと生きられる。けれど、そうではないから考えてしまうし、むしろ無になる前にその恐怖を抱けるうちに考えたい。 -
一人一宇宙で客観宇宙は妄想。
妄想がなければ自我もないわけで。 -
死と生。自我と宇宙。
その考えについて納得できる答えがあった。
客観的にとらえていて、宗教全般の矛盾にも書かれている。
全ての内容に面白い。 -
よかった。宗教の勉強にもなった