世界の辺境とハードボイルド室町時代(集英社インターナショナル) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 面白すぎて一気に読んだ。
    人の本質は時代や場所が変わっても似たようなものかも。
    二人のほかの著書や、文中に紹介された本も読みたくなった。

    対談形式は好きじゃないけどこれはよかった。

  • とても勉強になりました。

    別の室町本で、著者が何故応仁の乱が起こったかわからないと書いてましたが、私はなんとなく想像ついてました。
    今回この本で私の想像が清水先生によって裏付けされました!!
    ついに専門家と同じ見解までいったか。
    ありがとうございました。

    が、室町時代に行きたくないって言われると残念と感じると言うのが意味がわからない。

    だって女性の人権なんか無いじゃないか。
    私は室町時代なんかへ行ったら、三秒で死ぬ自信がある。

  • 高野「僕は、清水さんの本を呼んで、ちょっと反省したんです。それまではソマリの掟ってすごいなと思って、感心しすぎちゃってたんですよね。現実にソマリランドでは内戦を終結させて、すごく治安のいい社会をつくっているんで、うまくいってる面にどうしても目が行きますよね」「でも、清水さんの本を読んで、全部うまくいってるはずなんてないよなって。本当はソマリランドでももっといろいろなことが起きているはずで、その中で、なんていうか、最大公約数的に落ち着いている、あるいは七、八割方は解決している、というふうになっているんだろうなって」「自分の中でクリアに整理できちゃうと、そこで思考が停止しかけるところがあるんですよ」

    高野「僕が刀狩りに興味をもったのは、戦争を集結させるための最大の問題が武装解除だからなんです。戦争が終わっても、兵隊と武器が残っちゃって、それをどうするかっていうのは今でも大問題じゃないですか」
    清水「武士は職業軍人ですし、浪人になったとしても戦うための力や技を備えている。その職業だけをいきなり奪ったからといっても、じゃあ彼らが一般社会にすぐに溶け込めるかというと、やはりそれは難しいですよね。だから、まずは武士たちの有り余るエネルギーを放出させなくてはいけないという理由で秀吉の朝鮮出兵は行われたというのが藤木さんの説です」「戦争は始めるより終わらせるほうが難しいんです」

    清水「江戸時代の初期に現れたかぶき者は戦国時代の兵士の生き残りみたいなもので、街をふらふらして愚連隊みたいな振る舞いをしていたんですが、元禄期に入ってもまだそういう連中がいて、社会問題になるんですよね」「実際に彼らはもう従軍経験なんかない世代なんですが、それでも同時代に対する反発から戦国時代風の義侠心や男気にあこがれるんですね。刀のさやに「生きすぎたりや二十五(歳)」なんて書いたりして、死に急ぎたがるんですよ。あと、かぶき者は犬を食べるんですね。中世の日本人はわりとふつうに犬を食べていて、江戸時代になると食べなくなるんですが、かぶき者はわざと食べるんです。「戦国っぽい料理だから」という理由で。みんなで犬鍋か何かを囲んでわいわい騒いで、「俺たち、ぐれてるぜ」という雰囲気を出す。「かぶく」という行為を犬食に象徴させていたんです。
     だから、五代将軍徳川綱吉が「生類憐れみの令」を出して犬を殺すことを禁じたのは、かぶき者対策だったんじゃないかとも考えられているんです。かぶき者は辻斬りや犬でためし斬りをするような連中ですから、取り締まる必要がありました。そのために綱吉はあの法令を出したんじゃないか。戦国時代は百年も前に終わったのに、何をやっているんだというのが彼のメッセージで、そのためのシンボルが犬だったんじゃないかって、近年は言われていますね」(塚本学「生類をめぐる政治」学術文庫)
    「たとえば、鳥や獣を撃ってはいけないというお触れを出して、それが守られているかどうかを調べるために、農村部で鉄砲所持検査を一律に実施したりしているんですよ。これもどうも、鳥や獣を大事にするために鉄砲の管理をするんじゃなくて、鉄砲の所持を登録制にするために、鳥や獣を理由として出してきたんじゃないかと思われるんです。秀吉もできなかった銃規制を綱吉はやっているんです」「江戸時代が世界史的に見ても稀なぐらい平和な時代だったとしたら、それは最終的に綱吉の航跡かもしれません」

    清水「僕も学生からの質問では「人はなぜ神様を信じなくなっていったのですか」というのが一番きついんです(笑)」「一つには、経験値が蓄積されていく中で、神を克服するということがありますよね。以前は、飢饉になったのは天罰だというふうに信じていたのが、こういう種のまき方をすれば作物がよく育つとか、こういう苗の植え方をすれば不作になりにくいとかいったことがわかってくるにつれて、飢饉は天罰のせいではないと考えるようになる、それまで呪術的に信じ込んでいたことは違うんだということを学習していく、というふうにしか説明できないんですよね」「人間の行為で操作できる部分が増えると、神の領域が狭まっていくんじゃないでしょうか。経験や技術でカバーできるとわかってしまった人間は、もう神の方には逆戻りしないと思うんです」
    高野「そうすると、やはり人類は普遍的に神を信じなくなり、近代化していく」
    清水「でも、また新たな神が出てきますよね。科学だって、ある種の神かもしれない。そうすると、新たなフェティシズムが生まれて、それに基づく説明がなされるようになり、それが硬直化してくると、また別の神が出てくる。そういうことじゃないかなと思うんですよ」

    清水「僕らは大規模な調査をやるときは、上からと下からでやるんですよ。教育委員会とか名刺の利く世界からアプローチするグループと、それこそ宮本常一さんみたいにふらっと村に現れて人々に溶け込んでいくグループに分かれてやると、うまくいくことが多いんです」
    高野「上からのアプローチだけだと、本当の話ってなかなか出てこないですよね」
    清水「聞いた話なんで本当かどうかわからないんですけど、宮本常一さんがある学会調査に同行することになって、その頃の農村調査って、公民館みたいな所に人を集めて集団聞き取りをするっていう方法だったらしいんですけど、宮本さんはそこへは行かずに「ちょっと外を見てきます」って言って、夕方くらいまで出かけていたそうなんです。
     それで夜になって、聞き取りの成果を報告し合っているとき、誰かから「この村はこうらしいです」みたいな報告が上がると、宮本さんが「違うんじゃないかな」と異論を挟んで、確認してみると、宮本さんのほうが正しかったっていう。公民館に集まってくる人っていうのは村の上層部の人たちで、そういう人たちからの情報は歪んでいたりすることもあるんですね。宮本さんは、村の中をふらふら歩いている間にいろいろ村人たちから聞いて、正しい情報をつかんでいた。まるで水戸黄門だっていう(笑)」
    高野「すべてお見通し(笑)。「こういうことを聞きたいんだ」と言って人を集めちゃうと、公式声明みたいな情報しか得られなかったりするんですよね」
    清水「あと、しゃべりたい人が来るんですよね」
    高野「声のでかい人ですね」

    高野「その宮本常一さんの『忘れられた日本人』の冒頭の部分に、対馬で話し合いが行われるシーンがありますよ」
    清水「はい、村人に古文書を見せてくれって頼んだけど、いつまでも話し合いをだらだらやっているという」
    高野「今後にいったときにそっくりなことを経験しました。湖に行くには許可がいるというんで、村の人たちに頼むと、延々と話をしてるんだけど、ちゃんとした議論になってないんですよね、ぜんぜん」
    清水「ああ、でもそれが大事なんでしょ」
    高野「そうそう。休み時間になると、長老に促されて軒下に連れていかれて、いくらだとかって値段を提示されて、「それは高い」って言うと、また戻って議論して。あれ、本当に似てるなって思ったんですよ」
    清水「学生によく「多数決は暴力的な手続きなんだ」って言うと、キョトンとするんですね。小学生の頃から、多数決は民主主義の基本だって習ってるから。でも、多数決は実は非民主的で、それをやってしまうことによって少数意見が切り捨てられる。
     中世の人も滅多なことでは多数決をやらないんですよね。だらだら話し合うことによって、白黒つけない。白黒つけちゃうと、少数派のメンツをつぶしちゃうことになるから。だから中を取るというか、ストレートな対立を生まないようにするというか」
    高野「みんなになじませていくという感じですよね」
    清水「根回しですよね。それってたぶん、狭い世界で生きていくための一つの知恵なんですよね。前近代社会の意思決定の仕方としては、一番ポピュラーな形かもしれないですよね」

    高野「研究者でも文章がうまい人のほうが論文を書くのにも有利っていうことは?」
    清水「それはありますね。論文は古文書のネタがあって書けるわけですけど、ネタとネタの間にポコっと抜けている部分があって、そこを埋める史料があったら説明がスムーズなんだけど今はないっていうときに、文章のうまい人は力業で、ちょっと文学的な書き方にして乗り越えちゃう(笑)」「自分の文章を読んでみても、書きながらネタが弱いなと思っていた箇所ほど、筆に気合いが入っていたりしますね。本当に自信があるときは、淡々とした文章になりますからね。自信がないときほど、「結論から言うとーー」みたいな」
    高野「声を大にして言っちゃうんですね、思わず(笑)」
    清水「たいがいそうですね。帰納的に書いていれば結論に至る文章だったら、演繹的に「結論から言うと」って書く必要はないんであって、最初に結論を述べた後で傍証をつなげようとするときは、ネタが弱かったりします」
    高野「それは本当にそうですね。僕なんかも、ネタが弱いときほど、技巧を使ってしまうんですよ。その結果、独特な展開のストーリーになったりして、それはそれでいいんですけどね。でも、材料が強いときは、ストレート一本、まっすぐ勝負で問題なし」「下手に技巧を使うと、材料のよさがわからなくなっちゃうんですよね」

    高野「最近はそんなことも考えなくなってきましたけど、僕も、一時期は、特に昔気質の人から「何をチャラチャラ書いているんだ」みたいな感じで言われたりしてたんですよ。
     でも、あるときとてもホッとしたことがあったんですよ。早稲田大学でチベットの研究をしている石濱裕美子さんという先生が、『ミャンマーの柳生一族』を読んで面白いと感じてくださったみたいで、ああいうテーマはシャレのめして笑いにまぎらせて扱うほうがいいんだとブログに書いてくださったんですよ。ネットで自分検索したら出てきたんですけど。
     そのブログ記事の中で石濱先生は、「粗暴な男が弱者を殴っている場面」の比喩を用いていて。そういう場面に遭遇した一般の人はどうするかっていうと、止めに入ったら、男に殴られるかもしれないから、見て見ぬふりをするしかないんだけど、そうするとストレスかかって良心が痛むから、最初から見ないようにする」「チベットとかミャンマーの問題もそうで、真正面から「こんな不条理が行われている」っていうふうに書くと、読者はすごくストレスを感じてしまって、その問題を永遠に直視しようとはしない。むしろライトにシャレのめしたほうが、読者はストレスを感じずに問題を理解することができる、というふうに石濱さんは書いてくださってて、僕はすごくホッとしたんですよ」

  • 現代の価値観からするとおかしい、と思われる辺境や中世の人間の行動。
    その裏には行動原理があり、それはある程度の年月をもって洗練されたということを教えてくれる。
    このように「自分が理解できない人間の行動の中にも理由がある」ということを教えてくれる良書である。
    これこそ自分の視野を広げてくれる本だ。

    受験における歴史というと、政治史が多くを占める。
    時の天皇は誰で、実質支配者は誰で、そこに対抗勢力某が現れて戦をして…などと語られることが多い。
    しかしもう少し下、民衆を見た方が歴史は面白い。
    今と違う環境で生活していた中世の人、辺境の人は何を考え、集団の中でのバランスをどのように取りながら生きていたのか。
    それを考えるにはうってつけの本である。
    文句なく星5。

  • ノンフィクションライターこと辺境作家の高橋秀行氏と歴史学者で中世が専門の清水克行氏の対談。
    これほど見事に噛み合った対談もなかなかないのではないかと言う幅の広がり具合。ただ単に辺境と中世の相違点を探すだけにとどまらず新しい地平を探索している。

  • 対談形式で読みやすい。研究者や書籍の紹介も多く、興味関心が広がる一冊。

  • ずっと読みたかった本。室町時代的・中世的な価値観が様々な観点から描かれていてとてもおもしろかた。
    ソマリア社会との対比は第一章が主で、一応全体にもあるものの、中盤以降は日本の中世社会が論じられており、若干の物足りなさはあったも。が、日本の中世世界に対する解像度はかなり上げることができ、読んでよかった。

  • 室町時代と現代のソマリアって似てるとこない?
    という日本で一体何人が共感できるんだろうという話題から始まる本書。
    世界の辺境に赴くライターと日本史の研究者という組み合わせで、庶民の生活や文化、メンタリティなどについて話していくのだけど、これが面白い
    自分は日本史にも海外のことにも詳しくないのだけど、出てくる例が興味を引くし、また意外なところでこの2人の話題が噛み合うのが楽しくて飽きることなく読み終えてしまった。

  • 教養のある人同士でしか成り立たない言葉のキャッチボールを堪能

  • ほぼ初対面で大盛り上がりして5時間しゃべり倒したことが明かされてましたが、ここまで投げたボールをしっかり受け止められた上で思わぬ角度から返球されてきたら楽しいでしょうね。刀狩りや仏教など、聞き馴染みあるものの見方が変わる指摘も大変に良かった。

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著者プロフィール

1966年、東京都八王子市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学探検部在籍時に書いた『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)をきっかけに文筆活動を開始。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」がモットー。アジア、アフリカなどの辺境地をテーマとしたノンフィクションのほか、東京を舞台にしたエッセイや小説も多数発表している。

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