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- / ISBN・EAN: 4988104106605
感想・レビュー・書評
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奥さんの愛・・・・たまらん(๑´ㅂ`๑)
途中まで、これで結婚したら
泰造さんかわいそうすぎるやんと思ってたけど、
いい結末だったw詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
切ない。
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自分が死んだあとの妻の幸せを願う気持ちはわかる。
ただ、結婚相手探す発想はない。 -
三宅喜重監督、金子ありさ脚本、2016年作。織田裕二、吉田羊、原田泰造、大杉漣、高島礼子出演。
<あらすじ(ネタバレ)>
放送作家の三村修治(織田)がすい臓がんで余命半年であることを知り、妻子(彩子、陽一郎)のために新しい夫にふさわしい伊東(原田)を、知多(高島)が主催する結婚相談所の社員に扮してみつける。
しかし彩子(吉田)に引き合わせようにも事情を明かせていないため、アイドルの清瀬モモ(佐藤ありさ)とカフェでいちゃつく様子を彩子に見せるなど芝居を打つ。しかし結局彩子(吉田)に気付かれ、伊東の存在を知らせるも、延命しろ、死後の旦那を世話されるなど論外の反応。
他方で、アイドルとの密会写真が写真週刊誌に載ったため伊東からも相手にされなくなる。しかし彩子は伊東に会い、夫が死ぬまで結婚することにする芝居を打つことで合意。
余命わずかになったある日、練習名目で彩子と伊東は教会で式を挙げる様子を見て修治は、感涙しながら2人への愛情に満ちた餞けメッセージをのこすも、程なくして自宅で息をひきとる話。
<コメント>
監督や原作の意図は別として、この映画のぼくなりのテーマは「夫婦のコミュニケーション」である。
夫婦でコミュニケーションを取らなくても、相手の独善に合わせることはできるが、幸せを共有することはできない。そんな生活でいいのか?ということ。
映像の構図と音楽とは裏腹に、感情移入はできず、感動もなかった残念な作り。
その原因は、1つは修治の独善さ。
余命数ヶ月を知ったのに家族に伝えない、仕事を辞めるのも相談なし、死後の他人の幸せを規定する、浮気芝居を彩子に見せて伝えようとする傲慢さ。
まともにコミュニケーションをとろうとせず、自分の正義だけで行動する修治に、感情移入どころか、一生懸命に的外れなことをやる有様は昆虫を観察しているような気分だった。
本人としては、受け入れ難い死を楽しい未来に変換したつもりなのだろうが、事態を直視できない哀れな男でしかなかった。その逃げと弱さが結局は、彩子と伊東の芝居にいっぱい食わされ、「楽しい未来」に騙されて死んでいくことに結ばれる。
芝居を打った彩子も、その意味ではコミュニケーションはとっていないのだけど、それは修治との結婚生活で身につけた「操縦法」なのだろう。
もう1つは、脚本がチグハグなところ。
修治のキャラクター。父親の借金ではフランクに話したのに、余命や結婚のあっせんではなぜ相談しないのか。他人に腰が低いのに、家族の意思は無視。まあ誰の意見も聞かないのだろうが、なのに1人になると慟哭する。
アイドルと浮気の芝居をする必然性がない。無意味で不可解。
夫婦で深夜に言い争っている時、子どもが起きてこない。修治が倒れて病院に彩子が泊まった時も、子の存在はネグられている。
脚本が杜撰でしらける。 -
作品★★★★★
心理★★★★★
僕の妻と結婚してください。
愛がテーマ。
しかしそれは、
タイトルが示す独善的な愛のことではない。
ストーリーとしては、余命宣告された夫が、
妻と子供のために別の男性を探すという話。
すべてを「楽しい」に変換する。
夫である修治は、自分の楽しいと思うこと、
やりたいことを追求する男であり、
それをやり遂げられる男である。
「自分が描いたビジョンは、実現されるのを待っている」
と、自信があるからだ。
だって、(新しい夫との幸せが)見えちゃったんだもの。
のシーンは、切ないほどにぐっときた。
しかし彼は、最後まで、
相手の気持ちを考えることはできなかった。
現実や闇の部分と向き合うこともしなかった。
最後まで、一人で生きてしまった。
男によくあることだと思うが、
何かを生み出すことができなくなると、
生きる意味を見出せなくなる。
そんな自分のことを認めたくないし、見たくない。
相手に「そのままのあなたでいいのよ」とか言われても、
その愛情まで否定して、
女性の前から逃げ去りたい気持ちにさえなる。
何もできない無力で小さいオトコであることを、
決して認めたくないからだ。
最後まで、人前でカッコよくいたいのだ。
まったく男は弱い生き物だ。。
それなのに、この彼の人生の物語が、
余命宣告ものにありがちな重く悲しいストーリーではなく、
微笑ましい感動を呼ぶ映画となったのは、
彼の妻、彩子さんの神対応あってのものなのだと思う。
「夢を実現させて、楽しさを演出する」。
それが夫の人生だと考え直した彩子さん。
3人で残された大切な時間を、というのが本音だろう。
ところが彩子さんは、なんと、
自分の意に反しても、
それが家族にとっての幸せではないことをわかっていても、
愛する人の思い通りに生きることを、選んだのである。
そして彩子さんのすごいところは、
自己犠牲的ではなくて、
決して無理もしていない。
どこまでも、自然なのである。
それは、ひとりで成し遂げられる愛ではない。
相手をあるがまま受け入れ、そのうえで共同作業で描く、
Yes, andな愛なのだ。
愛するひとのパートナーを探すという独善的な愛情より
もっともっと壮大な愛が、
この映画の真のテーマだったのである。
それにしても、ぼくはこの映画で、
3人でデートする場面が、とても好きでした。
妻がどんなに素晴らしいかを語る修治。
ダブルデートではなく、3人デートというのは、
もしかすると愛が深まる構造なのかもしれない。
とにかく、結婚っていいな、と素直に思える映画でした。