JR上野駅公園口 (河出文庫) [Kindle]

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  • 河出書房新社
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感想・レビュー・書評

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  • 2020年、全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞した作品だとニュースで知り、当時スグ図書館で予約。順番待ちでようやく手元に来ました。

    上野のホームレス。
    そこにいるのに、見ないようにする人。

    全く興味なく、知ろうともしなかった
    物語、その背景。

    読む前と後では、世界の色が変わりました。
    東京オリンピック。
    東北。
    出稼ぎ。 

    ズルリ、と誰でも堕ちそうな、貧困。
    教養として、読んでよかった。

  • 柳美里さんの著作を読むのは実に20年ぶり。出産後、実家にて深夜授乳の日々に、表紙の赤子との2ショットにひかれて、あの『命』を読んだのだった。たしか続編も手に取ったものの、どろっとした感じがピンとこずリタイヤ。その後、ネットで児童虐待疑惑?騒動?を目にして、さらにげんなりして遠ざかっていた。けれど、震災後の活動には心動かされるものがあったし、全米図書賞受賞と来ればやはり気になる。苦手意識や先入観をいったん脇におき、読んでみようと思いたった。
    この1作だけでは何とも言えないけど、柳さんは「耳を傾ける」「声を聞く」作家なんじゃないかな。公園での名も知らぬ女性たちの会話と、けっして交わらない主人公の人生が、吹く風にポリフォニックに溶けていくような語りが印象的だ。
    天皇家のあれこれと自分の人生の節目を重ねて昔語りをするの、私の母もよくやっていたなあ。加えて、主人公の息子が亡くなるのが偶然にも今のわが子と同じ年齢だったり(←ここはほんと辛かった。だが、その後もさらに辛い展開がいくつも待っていて、小説としてさすがにどうなのかなと思ってしまった。もちろん、誰の人生にでも起こりうる可能性がゼロじゃないのはわかった上で…)、きわめてパーソナルな部分と、東日本大震災の記憶含め日本に生きる者なら誰もが共有する普遍的な部分、両方を刺激される。そして、終盤の2020年オリパラ東京招致決定。まさに開催中の今読むと、物語からスルスルと線が延び出て現実と結び付くかのようだ。それにしても、予測のさらに上を行くこんな未来が待っていたなんて。物語の救いのなさと、心許ない現実のはざまで、なすべきこと目を向けるべきものを見失いそうで足がすくむ。

  • 震災10年、TOKYO2020の年に読むべき本。
    昭和天皇と同じ年に生まれた南相馬市出身の上野公園のホームレスの物語。

  • 読んだことがするすると抜けていって、同じところを何度も繰り返し読む、という典型的な活字嫌いのひとの読み方になってしまった。

    いつも読みやすい文体のものを選り好みして読書をしていたせいもあり、かなり読みづらさを感じてしまった。
    時代が章毎とかではなく、ふいに行ったり来たりして、混乱したし、みぞおちを鳩尾、ソメイヨシノを染井吉野などと、必要以上(?)に漢字で表記していたりして私には合いませんでした。

    本の帯って大体大袈裟なくらいに「いかにその本が素晴らしいか」が書かれているけれど、期待し過ぎてしまったかもしれない。帯に翻弄された。

  • 柳美里の「じっと手を見る」がじわじわとおもしろかったので同じ著者の本を読み始めた。
    前時代が前や後ろに行ってわからなくなる。格差を語っているのだとはわかる。
    途中で息子の死、妻の死、そしてきっと津波で孫娘もなくしたのかもしれないことがわかる。だらだらと長い状況描写はまとまりがなく今一つ。

  •  全米図書賞(翻訳部門)受賞。アメリカで最も権威のある文学賞のひとつらしい。
    翻訳者がよほど優秀なのか、こんな難解な話をよく受賞にまで持っていったものだ。
    時間と場所があっちへ飛びこっちへ飛び、しかも浄土真宗の仏法や上野の森美術館で開催されている「ルドゥーテのバラ図譜」の詳細を挟み込んだりして、頭がこんがらがる。福島の方言はどうやって表現したのだろう。

     福島県相馬市から出稼ぎのために上京し、息子を亡くして故郷へもどって妻と暮らし始めたが、父母と妻を立て続けに亡くしてまた上京。ホームレスになって上野公園で暮らすことになる。終戦を告げる天皇の玉音放送、皇太子のご結婚そして出産と、まばゆいばかりの皇室の存在を、救いようのない自分の運のなさと対比して書いている。終盤に書かれている「山狩り」。皇室の方々が上野の美術館を訪問されることが決定すると、ホームレスは公園から一掃され、公園内を移動することは禁じられる。汚いものは目に触れさせないという宮内庁の配慮、まるでゴミ扱い。JR上野駅のプラットホームで話は終わるが、この後主人公は山手線に身を投げるんだろうか。

  • 上野駅は小さな頃から生活圏だったので、情景がすぐに浮かんだ。
    でも、読み終わって不確かな部分がいくつもあったので、ネットで時系列など確認したり、自分の読解力のなさを痛感した。

    主人公は福島の相馬地区から上野に出てきた平成天皇と同じ歳の男性。

    小さな頃からホームレスはよく目にした。
    ホームのゴミ箱を漁っている人も、当たり前にいた。
    でもそれは、自分が住んでいた常磐線沿線の他の駅でも見慣れた光景だった。
    ある日、別の沿線に引っ越して、ホームレスが全然いないことに驚き、単に少し田舎になったからなのだなと思ったが、東北とはちょっと違う方面になったからなのかな?
    かといって相変わらず上野駅に行く機会は減らなかった。
    だが、社会人になって気づいたらいつの間にかホームレスがいなくなっていて驚いたことを覚えている。
    山狩というものが行われていたとは…。

    上野駅には出稼ぎできた相馬地方の人が多いそうだ。
    相馬地方と言っても、元々住んでいた人と加賀越中と呼ばれる富山の砺波市あたりからの移民とがいて、後者の人たちが色々差別を受け、出稼ぎに出ざるを得ないということだったらしい。
    宗教上の違いからでも馬鹿にされ(真宗なんて京都方面じゃあ誇らしく思っている人も多いのに、おかしな話だ。ちなみにうちは禅宗だ)、家族のためにあくせく働いて子供はいつの間にか社会人になり、両親も妻も長男にも先立たれ位牌持ちもいなくなり、再び上京。
    で結局また家無しになってしまい(孫が面倒を見てくれていたのに家を飛び出してしまった)、飛び降り自殺(なぜ、常磐線じゃなくて山手線なのか)。
    ここからは主人公が亡くなってからの話だが、その後震災が起こり結局残っていたはずの家も親族もなくしてしまう。
    第一、上野駅には上信越地方からの人もたくさん出入りしているはずなのに、なぜ東北地方の人ばかりそういうことになるのか?
    なぜ?がたくさん残る作品だった。
    そして、なぜか幼い頃の悪い思い出を色々と思い出してしまった。
    主人公の運が悪いと言えばそれまでかもしれないけど、じゃあ、自分は運がいいかと言われれば、まあ色々考える。

    ブラジルのワールドカップで出稼ぎ労働者がクローズアップされたが、日本も東京オリンピックの陰に、さまざまな人がいたということを忘れてはいけない。

    天皇制が全ての原因とは思えないけど。

    これは意見が分かれるな。
    難しい。

  • 読み終わり、深い息を吐いた。また一ページ目に戻ると、心がバラバラに千切れていきそうな、途方もない悲しさと寂しさが襲ってきた。

    福島の相馬から、1度目は出稼ぎの為上京し、2度目は家族を失ってまた上京し、ホームレスになってしまったある1人の男の物語。
    2回の東京オリンピック、原発事故、全編の軸となる「天皇制」の強固な存在。逆説的に浮かび上がる「市井の人々の顔の見えなさ」(水溜りのようにしか見えない、と表現されていて、あの津波の光景と重なるように描かれる)。
    更にそこからさえも零れ落ちる主人公。
    本当は、ちゃんと家族も居たし、孫も、愛犬だって居た。

    地方に住まう人々の安価な労働力に支えられた一度目の東京オリンピックと、「復興」を掲げたはずだったTOKYO2020。
    そこに見える空白、本当の、生きた人間の「不在」を、眼前にこれでもかと突きつける。
    作中にしつこいくらいに挿入される、所謂「市井の人々」の他愛無い会話と風景描写にはじめは読みにくさを感じて進まなかったのだが、これこそそこから排除されている主人公の心情そのものだとわかって、またどんどん辛くなっていく。

    「ただ、慣れることができなかっただけだ。どんな仕事にだって慣れることができたが、人生にだけは慣れることができなかった。人生の苦しみも、悲しみにも、、喜びにも、、」

    自らを排除する天皇制の呪縛と、そこから逃れられない運命。

    通勤時、ホームレスの人を毎日見る。
    空き缶を自転車に山ほど積んでいるメガネの人。
    バス停のそば、寝袋で眠る人。
    ズタズタのズボンを引きずって歩き回る人。
    ビッグイシューを売る人。。

    この本を読んでからだと、自転車でそれらの人々を通り過ぎたり、たまにビッグイシューを買ったりする度に、目に映る一人一人が、ぜんぶ本当に一人一人なんだと、当たり前のことを痛感してクラクラしてしまう。
    こんなふうに気持ちがずっと遠くへ行くのが、本を読む行為の意味なんだとも強く思う。
    とても苦しい気持ちになるけれど、読んで本当に良かった作品。

  • 私が20代半ばくらいですから、約20年前の出来事です。
    札幌ススキノのクラブで踊り明かして、タクシーに乗り込みました。
    ところが、財布の中を見ると、小銭しかない。
    慌ててタクシーを降りました。
    自宅までは5㎞ほど。
    酔っていたため歩いて帰る自信がなく、札幌駅で始発を待つことにしました。
    真夜中のことです。
    駅構内への入り口は全てシャッターが下ろされ、ベンチで休むことにしました。
    9月か10月ごろだったと記憶しています。
    上着の前を掻き合わせ、時間が過ぎるのを待ちました。
    と、近くのベンチに男が座っていました。
    無精ひげを伸ばしたレオナルド熊のような風貌。
    年齢は50歳前後だったでしょう。
    私は酔っていた勢いもあり、話し掛けてみました。
    聞けばホームレスだそう。
    かつては石垣島で働いていましたが、わけあってホームレスとなり、徐々に北上して札幌へ流れ着いたのだと、そんな話をしていました。
    東京や大阪などと比べ、札幌のホームレスは「残飯を漁ることはあまりしない」「ホームレス同士、ほとんど干渉しない」などの特徴を教えてくれたことが、今でも記憶に残っています。
    駅利用者の飲み残した飲料を、ジュース類、コーヒー類など種類別のペットボトルに詰めて飲んでいるとも。
    「良かったら飲みますか?」
    と男に勧められましたが、さすがに断りました。
    周りにも、たしか2、3人ほどホームレスがいましたが、話はしませんでした。
    夜が明け、入り口のシャッターが開くと、「暖を取ろう」と言って男がぼくを構内へ誘いました。
    ぼくは始発が出るまで、男と話し込みました。
    男の話を聞くにつれ、ぼくは「自分が将来ホームレスにならない保証は全くない」と感じるようになりました。
    それは、今でも変わりません。
    ですから、本書を、それこそ身につまされるような思いで読みました。
    前置きがずいぶん長くなりましたが、主人公は上野公園に住まうホームレスの男です。
    昭和8年、福島県相馬郡八沢村(現・南相馬市)生まれ。
    結婚して所帯を持ちましたが、出稼ぎのため上野駅へ降り立ちます。
    一度は故郷へと戻りますが、再び上京し、ホームレスとなりました。
    物語は、現在の男の視点から過去を振り返り、高度成長の光と影を見つめていくものとなります。
    重要なカギを握るのは、天皇陛下でしょう。
    主人公の故郷には、昭和22年8月に昭和天皇が戦後巡幸しています。
    駅前では、2万5千人もの群衆が奉迎しました。
    「天皇陛下、万歳!」を叫ぶ群衆の中に、主人公もいたのです。
    時は下って現在。
    上野公園では、行幸啓直前に「山狩り」と呼ばれる特別清掃が行われます。
    ホームレスが、住まいとする「コヤ」とともに半ば強制的に退去させられるのです。
    日本社会のいびつさを象徴するような慣習とは言えないでしょうか。
    一方で、ホームレスの主人公をまるでそこに居ないものと見なし、他愛もない会話に興じる人たちも登場します。
    「擦れ違う時は誰もが目を背けるが、大勢の人間に見張られているのが、ホームレスなのだ。」(137ページ)という指摘は、けだし慧眼ではないでしょうか。
    私たちの生活の依って立つ基盤は、全く強固なものではありません。
    それは、このコロナ禍でも身に沁みて感じた次第です。
    レトリックではなく、ホームレスは、明日の私たちかもしれないのです。
    札幌駅で会ったホームレスは、寒くなる前に南へ向かうつもりだと話していました。
    あの後、どうなったのか。
    もちろん、知る由もありません。

  • 少しのボタンの掛け違いや、さらに世界の様々な変動で人生ってどうなるか最期までわからんと思う。いつ自分の足元の大地が崩れて奈落に落ちてしまうのか、そんな危機感は特に最近、大勢の人が感じていることではないやろうか。 いつか美輪明宏さんが「私はいつだって弱い人たちの味方」とおっしゃっているのをTVで見たことがある。むちゃくちゃかっこいいと思った。この小説はとても悲しい内容だけれど、弱者に寄り添って書いた小説だというのはびんびん感じた。ありがとう。詩的な表現もむっちゃ素敵だった。

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著者プロフィール

柳美里(ゆう・みり) 小説家・劇作家。1968年、神奈川県出身。高校中退後、劇団「東京キッドブラザース」に入団。女優、演出助手を経て、1987年、演劇ユニット「青春五月党」を結成。1993年、『魚の祭』で、第37回岸田國士戯曲賞を受賞。1994年、初の小説作品「石に泳ぐ魚」を「新潮」に発表。1996年、『フルハウス』で、第18回野間文芸新人賞、第24回泉鏡花文学賞を受賞。1997年、「家族シネマ」で、第116回芥川賞を受賞。著書多数。2015年から福島県南相馬市に居住。2018年4月、南相馬市小高区の自宅で本屋「フルハウス」をオープン。同年9月には、自宅敷地内の「La MaMa ODAKA」で「青春五月党」の復活公演を実施。

「2020年 『南相馬メドレー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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