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感想・レビュー・書評
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ドイツのそれは著名な児童書です。読んでいなかったのか、それとも完全に忘れてしまったのか。
娘が在住なので、「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」とあわせて読みました。
いろいろなことを考えながら読みました。
ゆとりについて。
人間らしい暮らしとはどのような暮らしなのか。
児童書ではありますが、「時間」というちょっと難しい(?)テーマが選ばれています。
時間は取り返すことはできません。
でも、「節約」することはできます。
「節約」は効率化から得られるもの。それはかの有名な「カイゼン」と同じものととらえていいのでしょうか。
効率化を極めることで、ゆとりがなくなってしまっていないでしょうか。
ゆとりのない生活と引き換えに、得られるものはなんでしょう。
時間を削るということは人生を削るということ、それは人間らしさを失っていることかもしれないですね。
子どもたちにとって、ゆとりのある家庭/社会/国で育つ、育まれることはその後の人生に大きな影響を与えるはずです。それが日本なのか、ドイツなのか。過去なのか、現代なのか。
昔は貧乏で、さらに不便でした。今は便利になりました。でも自然とゆとり、さらに人間性は失われているかもしれません・・・
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親から子、さらにその子、といった世代ごとに半分になっている(1, 1/2, 1/4,..)と言われるもの、を思い出しました。
食事の支度に要する時間です。
昔は朝早く起きて、水汲み、まき割り、飯炊きからでした。時間がかかりました。
今はどうでしょう。冷凍食品、レンジでチン。
嘘みたいに時間がかからなくなりました。
昔は大変だったけれど、きっと子供は(いまより)笑顔で走り回っていたのでは? と思いました。
メールやインターネットもあります。便利だけどなんだかな~
会社に24時間縛られてしまっていません?
スペインでは定時後に従業員に上司がメールすると違法になるとか・・・(い~な~)
やっぱり、便利になりすぎてゆとりがなくなっているかも~詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とある街の円形劇場跡に住みついた小さな女の子、モモ。モモに話を聞いてもらうと、不思議ともめごとが解決したり、素晴らしいアイディアが浮かんだり、街の人は幸せな気持ちになる。
ところが灰色の男たちが街にやってくると、人びとはモモのもとを訪れないでわき目もふらず働くようになってしまう。灰色の男たちは人間の時間を盗んで生きている「時間どろぼう」だったのだ。彼らにとって邪魔な存在となったモモは、盗まれた時間を取り戻すために時間の国へと向かう。
小学生の時に初めて読んでから、何度となく読み返した本。1974年の作品なのに何度読んでも古びない、というより、灰色の男たちに占拠された街の様子がどんどん現代社会に近づいているのではないか、と感じる。
そういえば、昔は手書きだった書類も今はパソコンで作成し、メールであっという間に送信できる。確実に作業時間が短くなっているはずなのに、手書きの時代に比べて時間に余裕ができたとは到底思えない。知らず知らずのうちに、私たちは灰色の男たちに時間を盗まれているのかもしれない。
たまにこの本を読み返し、自分の時間が盗まれていないか、自分にとって大切な時間の過ごし方は何なのか、考える時間を持とう。 -
現代の人間の欲が生み出した「時間泥棒」たちと対峙するある少女の話。時間とは何か?生きるとは何か?忙しさで大切なものを見失っている現代人に、人間の根元的な在り方について警鐘を鳴らしている。冒険ファンタジーの児童小説だが、大人にも十分読みごたえがある作品。そして、大人になる前の子供たちにもぜひ読んでほしい。
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本棚にずっと置いていたモモ。
コロナで自粛中で、本屋に行けなかったので、本棚を見直していると、発見。
まさにこの自粛期間に読むのに、ぴったりな本。
時間とは何か?を考えさせられた。
現代社会で、忙しさと引き換えに、心を犠牲にしていないだろうか?
生きるとは、限られた時間を過ごすこと。
その時間を奪われてないだろうか?
大人になると、あっという間に過ぎてしまう時間。
子どものように、感動する、わくわくする時間をもっと増やしたい。
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今まで読んだ事がなかったので 初めて読みました。
ネバーエンディングストーリーのように すごい空想が広がっていっていますね。
現代社会への 投げかけのような内容ですね。
時間は大切だけど こういうふうに 追っかけられる生活ではなく 楽しみながら 送りたいですね。 -
Kindle Unlimitedで読了
この高名な本を、私は一度も読んだことがなかった。『モモ』なんて、よくわからない女の子の名前だし。みんながみんな、おとなになっても『モモ』『モモ』というから。かえって読む気にならなかった。NHKの『100分de名著』に取り上げられたから、ふっと評判につられて、番組を観た。それでも、「そんなにいい本なのかしら?」と、まだ思っていて。本だけは、読んでみなけりゃわからないし、と思って、DLだけしてあった。その程度のきっかけで、読んでみた。
確かに、名作だし、今読んでもたくさん示唆に富んだ作品だと思う。だけど、これを読んで、子供はどう感じるのだろう。そこが、私にはどうしても想像ができない。
私は、この本は、とてもうつくしいけれど、なんて哀しいお話なのだろうと思う。おそらく、何かに優れていて、忙しい大人。成功した人ほど、この本にぐっとくるだろう。逆に、私のように大した成功もなく、日々を心配事と、それを乗り切ったり、なだめて同道したりの、とぼとぼとした歩みを続ける、ちっぽけな大人もまた、ぐっとくるだろう。
いい人だったら、まっとうな暮らしができるのならいい。優しく人の話を聴き、心を寄り添わせられることで、生きていけるならいい。でも、私たちは残念だけど、それだけでは生きていけない。心の片隅に、モモの友達を求めるみたいに、私たちは生きている。そうして、大事な人や優しい人を求めながら、同時に灰色の男たちをも住まわせなくては、現実をきりぬけていくことはできない。
モモのような才能があっても、親がいなくて身元もわからず、一人だったら。どんなにいい子でも、この社会に居場所はない。誰かの親切は、相手の気が変わればそこで種切れ。もとからあてにするものでもない。頑張るか、力尽きて散るかしか、ないのだ。
時間がたくさんあるうちに、本当にやりたいことからやった方がいいし、他人との心のつながりに、喜びを見つけられるうちに、愛しておいた方がいい。私達のそばに、マイスター・ホラはいないし、モモもいない。だから、自分でなんとかしなくちゃ。
現実の中では、いつか全てが終わる。だからあなたがいま、誰かを好きだったり、仲間がいるのが幸せだったり何かやりたかったり、出来そうだったり、居場所があれば。一日一日、楽しかったと思うように生きて欲しい。
つらい日も、あるかもしれないけれど。
花は咲くし、朝は来るし、季節は巡る。
笑い合うのが、まだ幸せに感じるうちは。
頑張ってみて欲しい。
あなたの花が、まだやさしく風に揺れていますように。
あしたを待ち望む気持ちが、ありますように。 -
カバレットの脚本家だったと知り、読み返すと納得感伝わる30年ぶりの邂逅。栞として挟まる大学生協の割引券とも再会した(笑)。
エンデは兵役を拒否し、レジスタンスに身を投じ、あのシュヴァルツヴァルトの森を夜間80km徒歩で逃走とwikiで知り、更にびっくり。
<その他の書籍紹介>
https://jtaniguchi.com/tag/%e6%9b%b8%e7%b1%8d%e7%b4%b9%e4%bb%8b/ -
ミヒャエル・エンデの有名な寓話。
時間を節約するためには、能率化して、無駄な話などしないで、お金のために働く。そうするとどんどん時間が余るはずなのに、どんどん忙しくなっていき、もっと能率化しなくてはいけない。貧しい人を助けたり、金払いが悪い客に長居させることは、意味がない。時間の無駄だからだ。人間関係も意味がない。
時間泥棒は巧妙に、時間を盗んでいく。街の人達は、楽になるために、能率化したはずだったのに、どんどん苦しくなっていく。モモだけがおかしいことに気付き、時間を奪われた人たちに知らせようとするが、人々は忙し過ぎて、話を聞く時間もない。モモはどうするだろうか。
近所の商店街は個人商店が消え、次々とチェーン店やコンビニになっている。安いし、美味しいし便利だし夜中までやっているし、休みないし… 残念なんて言うまい。
せめて、自分の好きな店には足繁く通う。お金を落とす。閉店決まってから行っても遅いのだから。
なんの感想だろうか?
自然の中での暮らしイコール人間らしい暮らし。
自然対文明 みたいな『北の国から』のような対立構造が以前の日本にはあったが、今は無いよ。
だって、これからの日本の田舎が都会になることなんて無いのだから。ちゃんと住み分け出来てる。田舎が良ければ田舎で暮らせる。
それを求める人には日本は最高なのだ。
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『普遍の真理を描いたもはや予言書』
世界各国で読み継がれる名著。原書は1973年にドイツで刊行。児童文学やメルヘンロマンというジャンルですが、時間のない忙しい現代人に響く作品です。
灰色の男たちと呼ばれる時間泥棒たちに大人たちは時間を奪われてしまい、効率化や生産性を求めすぎた結果、子供との時間や余暇を楽しむ時間を気付かぬうちに失ってしまった世界を描くファンタジー作品。
50年前に書かれたとは思えない内容で、現代社会を風刺したほぼ予言書。ゆとりや余裕を楽しむ気持ちがないとモモの世界になってしまうのでしょう。"時間"という普遍の真理を描いた名作です。