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感想・レビュー・書評
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いい作品だった。偏見って気がつかないうちにあるのだろうな。
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LGBTQの本棚から
第47回「弟の夫 -後編-」
44回目に引き続きご紹介するのは
『弟の夫』(田亀源五郎)です。
この本は全四巻の漫画で、題名の通り
「ある日、弟の"夫"が主人公の弥一(やいち)の元へやってくる」
ことからはじまり、弟の夫(マイク)が日本に滞在した3週間を描いています。
今回のポイントは
・カミングアウトと家族関係
・自分の中の偏見
・差別の見えない日本
です。
まず「カミングアウトで変わる家族関係」
2巻のマイクのセリフに
『ゲイというだけで
学校でいじめられる子ども 、家を追い出される子ども、そういうことあります』
というのがあります。
ここらへんは日本ではわかりにくいですが、宗教上の理由で死刑になる国もあるくらいですから、家を追い出されることも、特別珍しくはないんですよね。
そうしたら、当然子どもは家族に自分のセクシャリティを隠すでしょう。
そうして心の底から、家族を、家を、安心できる居場所とすることができなければ、安定して成長するのは難しい……。
自分への嫌悪感や、隠し事をしている罪悪感に苛まれている可能性も高いです。
家族へのカミングアウトの話を聞くと、その多くが成人前後や、もっと経ってからだ、ということがわかります。
自立できる歳になって万が一家族に縁を切られても生きていけるだけの力や、他の居場所を確保してからカミングアウトするからなのだと思います。
カミングアウトされた側は、相手が急に変わってしまったと思うことがあるようですが、変わったのは相手ではなく‘‘あなた’’のほうです。
当事者はずっと!
そうだったんですから。
だからもし、家族にカミングアウトされたらいきなり否定せず、少し自分に時間をあげて、考えて欲しい。
カミングアウトした家族のそこに至るまでの葛藤や、自分の思いを伝えた勇気を汲んであげてほしいと思います。
弥一氏は高校生のときに双子の弟にカミングアウトされ、どうしていいかわからずにそのまま疎遠になってしまいました。
弟はやがてカナダへ渡り、名実ともに姿を消します。
子どものときには仲が良かったわけですから、心のなかに悲しい塊を抱えながらも弥一氏は日々の暮らしに忙殺され、弟のことは忘れていました……。
ある日、でっかい、気立てのいい白人の大男がやって来て、ぼくはかなちゃんのおじさんですよ~、というまで……。
写真を見たら弟は白いタキシードを着て、マイクと結婚式まであげていた……。
そうしてそこには幸福そうに笑っている弟が……。
病気になって死んだけど、いつか一緒に日本へ、といっていたから自分はきたのだ、とマイクはいいます。
恋人の暮らしていた町を見たいから、と……。
自分たちはなにも知らされていなかった……。
弟も悲しかったけど、兄のほうも弟を無くしてつらかったのです。
これは、日本の‘‘普通の男’’であった弥一氏が、自分と向き合い、自分の差別と偏見を洗いだし、昇華し、さらにほかの人の差別と偏見に立ち向かっていく(ヘンな人といて娘さんが苛められたりしたら、という担任教師に、苛めるほうを諭せ、という弥一氏はカッコいいです)物語なのです。
そうしてそうすることでようやく彼は弟を取り戻し、自分でも意識していなかった心の痛みを癒したのです。
偏見のない、娘さんの素直な言動も力になりました。
その
「自分の中の偏見」……。
1巻で弥一は、娘の夏菜が言った
『マイクとリョージさん(弟) どっちが旦那さんでどっちが奥さんだったの?』
という純粋な問いを通して、自分も同じような疑問を持っていたけれど、自分の問いは
『単に夫とか妻とかいったことだけじゃなくて、どっちが男役だの女役だのそんなことまで意味していて…』
『普通ならそんな
他所の夫婦のセックスのことなんて、考えたりもしないだろうに…!』
↓
『つまり俺は
結婚とかカップルとかいうものを、無意識のうちに男と女という関係を基準に考えていたってことだ…』
と気づきます。
弥一氏のように客観的に自分を分析できるのってすごいことで、普通はなかなかできません。彼ははかなり、頭のいい人です。
でも、直面しなければ、頭がいい人でもこのレベルなんだな、ということでもあります。
それと
「他所の夫婦のセックスのことなんて…」
のあたりは僕としてはかなり共感できるところで、同性愛者と聞くとすぐセックスに結びつけたり、その辺りの話を聞いてくる人が少なからずいるんですが
『その質問、同じようにほぼ初対面の異性愛の人にもしてんの?』
と思います。
普通日本の一般常識としては、そんなプライベートなことを聞くのはとんでもない無作法で、まずやらないことですよね?
でも相手が同性愛者ならそれを聞いてもいい、と思うのは、そのことで相手を下に見るから……なのではないでしょうか?
この相手にはぶしつけに無作法に振る舞ってもいい、と思うのって、下に見てるってことですよね?
最後は『差別の "見えない" 日本』
さっきの 他所夫婦の〜 の話にも言えるのですが、異性愛者には"常識"的にしないようなことを同性愛者には平気でしてもいい、という空気というか当たり前の環境があるのが日本です(日本に限ったわけではないですけど)。
AちゃんがBくんに恋をしたとして、Aちゃんを差別したり偏見の目で見たりはしないですよね。
でもCくんがBくんに恋をすると、それを茶化したり、否定したり、時には暴力的な行為をしてもいい……となぜかなるのです。
こういうことを言うと
「同性愛者なんだからしょうがないだろう、嫌なら異性愛者になればいい」
なんて言う人がいるのがまた怖い……。
しかも冗談じゃなく本気で言ってるんですよ?
そうしてだいたい
「生産性が…」
「生物の本能が…」
「自然界からして不自然……」
なんて答えが返ってきます。
なぜかみんな判で押したように同じことを言うんですよね。
そのたびに
「あなたは恋をした時、誰かを愛した時に生産性に基づいて行動しているんですか?」
「生物の本能に従わなければならないなら、人間のしてることは多くが無駄なことじゃないですか?」
「自然界からして不自然なのは人間という考え方もありますよね?」
などと返したくなりますが、そうするとだいたい怒るか自分の持論を延々と押しつけてくるかだけなので、しませんが。
そう言う意見を持つことを悪いとは言いませんが、その意見は本当に自分の意見なのか?世間の "常識" だからと鵜呑みにしているだけじゃないのか?
思考を停止させていないで、一度自分の頭で考えて、それからもう一度自分の考えとして欲しい……。
せっかく生物として進化した脳をもっているんですからね。
さて紹介した3点には共通点があります。
それは "常識・当たり前" とされてきた考えが原因となって起きることだ、ということです。
というか、セクマイ問題の多くはこれに行き着きます。
アウティング(勝手に人のセクシャリティを他人に伝えること)とか…。
つまりはその社会が持っている考え方、を変える必要があることがあるわけです(これが案外ころっと変わったりするのは驚きです)。
数十年前と違って、本も映画もドラマも漫画もその他いろいろな情報源がある今
「知識がない」
からといって、他の人々を傷つけていい理由にはならないでしょう。
大人は能動的に知識を得、子どもたちには大人が率先して情報を提供する必要があると思います。
いつもこの結論になってしまいますが、セクマイだけじゃなく、多くの人が生きやすい社会というのは、相手の生き方を受け入れる多様性です。
その知識を仕入れる先として、この『弟の夫』をぜひ読んで見て欲しいです。
2018年05月07日 -
同性愛や同性婚について考えさせられる物語。とても感動した。月並みなことばでしか言いあらわせられないことが恥ずかしいが、人を愛することの大切さを感じた。作者田亀源五郎氏の傑作。心があたたかくなる。