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感想・レビュー・書評
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「理想と現実のギャップに苦悩する一人の女性の姿」
もともと興味があったのは、都知事選挙前後に話題になった同著者の『女帝 小池百合子』だったのですが、SNSなどで大量に流れた書評や感想などから読んだ気になってしまったことで興味が薄れていたところ、書店で前述の書籍のヒットを受けて隣接して並べられていた本書を偶然目にしました。小津安二郎の映画を中心に鑑賞することが多く、早い時期に隠棲し公の場に姿を現さなくなったことでミステリアスなイメージも強い大女優である原節子の生涯に、話題作を著わした著書がどのように取り組んだかが気になり、文庫本であることの気軽さも手伝って、読んでみることにしました。
本書は、1920年に生まれた原節子、本名・会田昌江が2015年に95歳で亡くなるまでを、巻末に列挙された大量の参考文献を中心とした調査によって、時系列に辿ったものです。前提として、著者の原節子への眼差しは、基本的に好意的なものといえます。
そのなかで著者がもっとも強く伝えようとする原節子の生涯は、大人の独立した意志をもつ女性を演じたいと常に願いながらも、「現実には良妻賢母の枠の中に押し込められ」、加齢にともなって諦観に至るとともに早くも引退を決断する悲しい過程です。そこにあるのは華々しい活躍で語り継がれる歴史的な大女優ではなく、自身の運命に抗しながらも、周囲から求められるものとのギャップに苦悩する、一人の女性の姿でした。
以降は、前述以外で大きな特色と思われるものを箇条書きで書き残します。
・生家は生糸問屋を営む裕福な家庭だったが、節子の幼少期に不況の煽りを受けて家計が苦しくなった。豊かだった頃の教育熱心な家庭環境だったことが節子の品位ある人柄を形成するとともに、貧しいなかで育つとともに女優となったあとも一家の収入源だったため、派手な生活を好まない堅実で質素な生き方に大きく影響した。
・姉の光代の夫である映画監督の義兄・熊谷久虎に誘われ、一家が貧しかったことを主な理由として、十四歳で女優になることを決断した。その後も生涯、一般的には評価が高くないとされる熊谷に強い信頼を寄せており、節子を映画界に引き入れた熊谷の、彼女の生涯への影響力は良くも悪くも絶大なものだった。熊谷は節子に次いで言及される機会の多い人物であり、熊谷に焦点を当てたことも本書の特徴のひとつ。
・節子の生涯をたどることで、戦前から戦後にかけての映画界の様子も伝わる。デビュー当時は女優が賤しいイメージを持たれていたこともそのひとつであり、映画全盛期を経て引退する際には、テレビの普及もあって映画界が衰退する過程も描かれる。小津安二郎を中心に、節子と関係の深い著名な映画監督や同時代を生きた大女優たちも登場し、一部では各人の関係性や映画に対するスタンスの違いについても触れられる。
・節子にとっての恋愛は生涯でたった一度だったこと、そしてその相手が誰であったかについて明示している。その関連も含めて、一般に噂されることの多かった、小津安二郎や義兄・熊谷との関係がいかなるものであったかについても言及される。
・後輩女優たちへの面倒見も非常によく、数多くの新人女優たちが彼女に憧れていた。貧しい過程で育ち、家計を担っていたこともあって、その暮らしぶりは質素であり、女優でありながら派手な生活は好まず、撮影所への電車移動や家事や買い出しなども当たり前にこなしていた。また、水着撮影や歌唱を拒むなど、生意気と言われながらも自身の女優としての信念を貫く強い意志を持っていた。
・42歳で銀幕から姿を消して以降の彼女がどのように暮らしていたかについては、「つくられる神話」と題して全十三章のうちの最終章・一章を割いている。漏れ伝わる情報からは、鎌倉の熊谷夫妻一家の離れに移り住んで以降、一切の取材を拒み続け、まるで喪に服し続けるように質素そのものの生活を送っていたことが伝わる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
謎に包まれた美女・大女優の生まれた日から95歳で逝去するまでの人生を詳細に報告。成績優秀で級長も務めたほどなのが、女学校を中退して女優になったのは別に憧れがあったわけではなく、経済的に困窮に追い込まれた家の経済状況から働かざるを得ないと考えたこと、これがまず驚きだった。
4人の姉、2人の兄に囲まれて大事に育てられたが、特に次姉・光代とその夫・映画監督熊谷久虎の多大なる影響は絶大で、なんと彼らの死後も、その息子久昭夫妻によって後半生の約50年に及ぶ隠遁生活の防波堤となったという。節子がなぜそのような晩年を送ることになったのかについても、この本を読んで理解できたように感じる。42歳で引退したが、引退宣言をしたわけではない。細川ガラシャを演じたいという希望を持ち続けながら叶えられず、自分の納得のいかないタイプの女性を演じさせられた日々。小津安二郎作品との関係を直ぐに思いつくが、彼女の中では小津作品は好きではなかった!黒澤、成瀬、その他多くの監督たちの作品で輝きを放ったが、監督たちの思惑の違いが興味深かった。黒澤は「羅生門」で起用したかったが、義兄が「永遠の処女」のイメージが壊れるとして反対して実現しなかったという。興味深い話だ。10代のデビュー後に日独合作映画「新しき土」で主役を演じて、ドイツ訪問しゲッペルス、マレーネ・ディートリッヒにも会ったという歴史には驚き。 -
『女帝 小池百合子』が面白かったのでこちらも読んでみた。日本映画界を嫌っていた昭和の大女優の一本芯の通った生き方がすがすがしい。彼女の懸念通り日本映画はアクション・ギャング映画の粗製乱造に走り衰退してゆく。信念を持つものと持たぬものの差がここにあるように思う。
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オーソドックスだが、広範かつ丹念な調査に依拠した評伝。映画雑誌やメディアに発表された「原節子」署名のテクストを彼女の「声」としてよいかはかなり微妙なところだけれど、彼女自身が「そうありたい自分」をフィルムの中で表現できなかったこと、小津映画は決して自分にとっての「代表作」ではない、と考えていたことを改めて浮上させた、重要な仕事だと思う。
「原節子」は、彼女の家族によって作られ、家族のために演じられ、最後は彼女自身を守る強固な「繭」のようなものとしてありつづけた。まるでカメレオンのように終生変わることを厭わなかった李香蘭=山口淑子とは、その意味でも対極的であることは間違いない。