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感想・レビュー・書評
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非常に示唆に富んで、かつ衝撃的な内容だった。
中国は言論統制とかあって監視社会なイメージがある。
なんとなくジョージ・オーウェルの「1984年」のような社会を想像するけど、実はオルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」に近いのだそうだ。つまりガチガチのディストピアではなく、人々は監視されつつ享楽的な生活を営んでいる。
タイトルの「幸福な監視国家」とは、「最大多数の最大幸福」の実現のため、その手段として人々の監視を行う国家のこと。
功利主義的にAI監視カメラや社会信用システムなどのテクノロジーを駆使していくためには、ハイパー・パノプティコン(万人が万人によって監視される社会を肯定し、監視するものを厳しく監視する権利を市民の権利として認めていくこと)で仕方がないという潮流がある。
でも、そもそも市民的公共性の土壌がない社会だと、どうなのだろう?監視するものを市民が厳しく監視することができないわけだ。そういう社会で功利主義がパターナリズム(強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること)と結びつくとどうなるのか?
実は、それが中国だと言う。
テクノロジーは、市民的公共性という歯止めがないため、驚くべきスピードで社会実装され、どんどん便利に快適になっていく。国民は幸福なまま、道具としての統治技術ばかりが急速に発展してゆく…
めちゃくちゃ恐ろしいじゃないですか…
さらには、日本という国だって、そんなに市民的公共性の基盤がしっかりしているわけではないですよ、無関係ではないですよ、と本書は呼びかけている。
テクノロジーの導入による社会の変化への感受性は失わないようにすること、せめてもそのことが重要だな、と。
9月14日日本経済新聞書評掲載。
(10月26日追記)
1面「中国の決済 顔認証主流に」
ー 今後、我々の生活のさまざまな場面に顔認証技術が広がるのは間違いない。利便性とプライバシー保護のバランスをどう取るか。中国では今、使い勝手が優先される。普及を急ぐ政府や企業を批判する声は少ない…詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
国家主導のネット空間やカメラなどによる国民情報の取得→監視は、個人情報が国家に筒抜けになるという恐怖感をもたらし、中国においては体制批判を壊滅させるツールとして機能する一方、治安維持などの社会の安定に資する取り組みとして功利主義的観点から、一概にネガティブではないと提言した著作。
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中国において行われている、社会信用システムやカメラ等による監視の仕組みが、月並みな1984の世界観的なディストピアではなく、民主主義、一党独裁主義問わず、技術の進展がもたらした(今後もたらす)社会のありよう・あるべき姿であるということが論旨と思われる。
第4章までが、その論旨を考える上で元となる、中国の監視に関する現状の説明で、ここまでは非常にわかりやすい。
しかし第5章と6章から、4章までの状況を踏まえた、上記のような社会に関する考察になるのだが、ここら辺になると社会科学的な表現が多くなり、類書に親しんでいないと非常にわかりにくい。
主張自体に別に違和感はない。
前半において、中国人が社会信用システムを受け入れているのも、彼らが異質なのではなく、やり方や緩い罰則のかけ方が無茶苦茶でなければ、日本においても普通に受け入れられると思う。
また、民主主義の制度疲労は日常生活の中で実感することであり、独裁主義になるのが良いとは思わないが、従来の民主主義・自由・平等という価値観からは一見受け入れがたいような監視という仕組みが、社会に効用をもたらすというのはあると思う。
しかし、やはりその監視の制度設計の仕組みが全く明らかになっておらず、国なり企業なりが、広範な合意を得ずに(合意は不可能だと思うが)、何らかの価値観を埋め込んだ監視の仕組みを実現するのには気持ち悪さを感じる。
結局、”神”なり、人間の意思が反映されない純粋な”アルゴリズム”なりによって”価値観”がコーディングされなければ、どんな仕組みでも結局、作ったもの勝ちになるのではないのだろうか。
将来の社会の方向としてもうこういった動きは止められないのだとは思うが、そういった動きに自分はどのように対応すべきで、またその将来で自分がどうなっているのか、全く予想が出来ず、読んでいて少し不安に感じた。 -
著書内で書かれていた一文で印象に残るのは、独裁国家は民主主義以上に民意に敏感である、という部分で、当たり前だが強権的に国家が民衆を監視、束縛しているわけではない。コロナ以前に書かれた著書だが、現在ゼロコロナ政策は緩和されつつある。これも政治と民意の相克の結果なのかもしれない。
中国はなにかと勘違いされやすい国である。自分たちの国とはまったく別種のシステムで動いている国かのように思われることもある。その先入観なり偏見なりは半分正しく半分は間違っており、その間違いは単純な無知からくるものも多いのだろうが、日本も含めた諸外国と監視国家中国の距離はそう遠くないように感じた。
コロナ禍以降だとすんなり納得するひとも多いと思うが、ひとびとは監視されることを求める時がある。自ら監視の強化を訴えもする。
もはや遠い昔のように思えるが、日本においてもコロナ感染者の個人情報を特定しようとしたり、感染さえしていないひとが旅行へ行っただけで全国紙に載せられバッシングされていた。しかも、その状況を特に問題視もせずに受け入れていた日本の民意が、現在の中国をはるか遠くの理解できない国かのように考えるのは無理があるように思う。 -
監視国家を一刀両断に間違っていると切り捨てるわけではなく、かといって賞賛するわけでもなく、事実ベースに論旨をまとめていることに共感。監視自体は西側諸国の人々も必要(悪?)としており、監視の仕組み自体を監視できるか がカギ。西側の民主主義は監視される側も含めて人民皆平等な権利を持つという思想であり、中国は天理をよく理解している知識人(共産党)が国を治めるという思想。共産党以外の人はそれで幸福、トロッコ問題に代表される問題が奥深い係争もTOPが判断してくれるので判断が早い(西側では時間がかかるだけで、会議は踊る)。
監視されても悪いことしなければ問題ないのが中国、悪いことの判断を間違えたらどうするんだ?というのが西側の思想ですね。正解が確定しにくい問題を皆で議論しましょうという西側と、共産党(選ばれた有識者)が解決しますという中国の差で、西側だって、結局は選ばれた人(裁判官、国会議員、大統領など)が判断するので、選ぶ自由度が広い西側と狭い中国の差になるのかな。
個人的には中国の方式は嫌なのですが、この本を読んで、監視の監視に関する程度の問題で、速さが必要なパンデミックでは中国方式のほうが良い結果になった理由も理解できたと思います。 -
中国では現在、大量に設置された膨大な数のカメラで市民を監視し、スマホの通信は当局によって検閲され、行動の全てが点数化されるといった、強力な監視社会が築かれている。西側のメディアでそれは独裁国家が市民の自由や権利を奪っているディストピアとして描かれる場合が多い。
しかし実態はどうなのか。中国人は必ずしも監視社会を否定的には捉えていない。監視を受け入れることで人々のマナーやモラルが向上し、犯罪が減って社会が快適で安全になるなら、その方が良いという受け止め方もある。本書では中国で急速に「社会実装」されている各種監視技術を紹介し、それがどんな社会を作り出しているかを見るとともに、それがなぜ進められているのか、背景となる思想を探っていく。
キーワードは「功利主義」と「パターナリズム」だ。功利主義はメリットとデメリットをドライに天秤にかける姿勢であり、パターナリズムはそれを実現するのに大きな権威に判断を委ねる姿勢と言える。今の中国はまさにそれらを選択した社会と言えるだろう。
本書が指摘するのは、それが決して共産党独裁体制の中国に特有なものではなく、同様な方法を求める雰囲気が日本や欧米の西側民主主義国の国民の間にも広まりつつあるという点だ。今後数年程度で日本がそうなるとは思えないが、例えば防犯(監視)カメラが身近に設置されるときに「プライバシーの侵害だ、けしからん」と言う人と「犯罪防止に役に立つだろう、ありがたい」と考える人で、後者の方が多くなっていくことはあり得る気がする。
中国は巨大な実験場となっている。その結果、もし監視国家が飛躍的に安全をもたらすとされたら、他国にもゆっくり浸透していくのではないだろうか。 -
監視社会化の論点について、中国で起きている現象と、哲学分野での理論とを網羅した大著だった。さらに、西欧文化(自由主義文化圏)と中国文化との対比もきちんと行っており、これが二つの世界の未来を考える上での背景として描写されるとともに、自由主義文化圏においても無縁ではないことも示している。
読めてよかった一冊。
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▼目次
・第1章 中国はユートピアか、ディストピアか
-中国の監視社会のイメージの内外の差異
-『ホモ・デウス──テクノロジーとサピエンスの未来』での議論
-SFで描かれるディストピア
-監視社会化についての近年の議論の争点
・第2章 中国IT企業はいかにデータを支配したか
-中国経済研究者・伊藤亜聖による中国のイノベーション分類
-ヒト軸のEC
-モバイル決済データ、ギグエコノミーの労働データ
-プライバシーと利便性のバランス
-AIのバイアスの問題
・第3章 中国に出現した「お行儀のいい社会」
-証明書類のデジタル化
-監視による治安向上
-社会信用システムの成り立ちと概要
-社会信用システムの役割(1)金融
-社会信用システムの役割(2)懲戒
-社会信用システムの役割(3)道徳
-テクノロジーを通じた現代の「管理社会」「監視社会」の到来をどう捉えれるか
-ローレンス・レッシグの議論とアーキテクチャ
-リバタリアン・パターナリズム
-リバタリアン・パターナリズムに対する批判
-法哲学者・大屋雄裕による議論
-監視の3段階
・第4章 民主化の熱はなぜ消えた
-中国の検閲の状況
-ネットメディアと検閲の歴史
-習近平体制誕生(2012)後
-近年登場した新しい形での言論統制
-ネット世論監視システム
-ネットの大衆化
・第5章 現代中国における「公」と「私」
-「市民社会」の日本語の意味
-「市民社会(団体)」
-中国及びアジアにおける「公共性」構築の歴史的課題
-昭和初期にあった「日本資本主義論争」
-「ルールとしての法」と「公論としての法」
-政治的権利の平等としての「民主」と、経済的平等としての「民主」
-中国社会における「民主」と「生民」
-監視社会における「公」と「民」の論点
・第6章 幸福な監視国家のゆくえ
-功利主義
-「心の二重過程理論」
-哲学者ジョシュア・グリーンによる『モラル・トライブズ』
-トロッコ問題と功利主義
-「道具的合理性とメタ合理性」(キース・E・スタノヴィッチ)
-アルゴリズム的公共性
-市民的公共性とアルゴリズム的公共性との調和
-GDPRにみる「市民社会によるアルゴリズムの制御」
-市民的公共性の弱い社会の未来図
-アルゴリズム統治と儒教・道徳の親和性
-中国社会における法に対する道徳の優位性と、アルゴリズム的統治
-レギュラトリー・サンドボックス
-近代リベラリズムの揺らぎと徳倫理復活の影響
・第7章 道具的合理性が暴走するとき
-ウイグル騒乱の経緯
-ウイグル問題のいくつかの異なる側面
-導入されている監視テクノロジー
-スマートフォン・アプリを通じた個人情報収集
-生体情報に基づくセグメント化
-新疆でのテクノロジーを用いた監視により起きていること
-ハイパー・パノプティコンが権威主義的国家で生じた場合
-政治権力集中化とデータ処理分散化の共存という未来像
-「道具的合理性の暴走」は中国以外でも起こり得る
-監視に関する問題の難しさ -
テクノロジーを用いた監視社会へと進んでいる中国の現状と問題点を解説した本。
中国で起きているテクノロジーを活用した監視社会への流れは、決して他人事ではありません。本書は中国を通して、テクノロジーと社会のこれからを考えるきっかけにもなります。 -
議論の土俵に登るまでに必要な前提が大量だったが頑張って読めた。
中国の監視社会をディストピア像に簡単に当てはめるのは危険だという点、中国でも資本主義国でも監視社会が求める先は似ているという点は衝撃だったが、著者の主張は納得できる。
資本主義圏での社会論はよく読むけど、共産圏での社会論に踏み込んだのはこれが初めてなので、学ぶことが多かった。