あなたと原爆~オーウェル評論集~ (光文社古典新訳文庫) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 二十世紀が戦争の世紀だったことが改めて感じられる。また人種でも民族でも政治的主義でもとにかくどこかに自分を明確に紐付けておく意識が強い時代だったことも。全体主義の恐ろしさだけでなく、一見善とされているようなものにも切り込んでゆくオーウェルの視点が発見だった。「一九八四年」があまりに有名だがそこに至るまでオーウェルが何を経験し、見て、考えてきたのかがつながる気がして、一九八四年を読み直したくもなった。考えすぎて目が回るような評論の中に「一杯の美味しい紅茶」が、ティーブレイクのようでほっとする。よい本だった。

  • ・「象を撃つ」は印象に残った。英語版でも読んでみたい。他の評論も読んでみたい。

    位置No. 264
    復讐というのは自分が力を持たないときに、自分が力を持たないがゆえに、したいと思う行為のことだ。だから、自分にはしたくてもその力がないのだという感覚がなくなった瞬間、その欲望も消えてなくなってしまうものなのだ。

    位置No. 318
    それは、スポーツというのは憎悪の原因であり、このような訪問がイギリスとソヴィエトの関係にもたらす何らかの効果があるとするならば、それは関係を以前より多少なりとも悪化させるばかりだろう、ということだ。

    位置No. 346
    国際レベルでは、スポーツとは率直に言って擬似戦争だ。しかし重要なのは選手の姿勢ではなく、むしろ観客の態度である。そしてその観客の背後にある、こういったばかばかしい競争で怒りの炎を燃やして、走ったり跳ねたりボールを蹴ることが国家の美徳の証明であると、短期間であっても信じさせてしまう国家の態度こそが問題なのだ。

    位置No. 1216
    スペイン共和派の各組織間の権力闘争は、不幸な昔日の出来事であり、今となっては思い出したいとは思わない。なのにそれを話題に持ち出すのは、ひとえに次のことを言いたいからだ。政府側から発信された内政に関する情報は一切、あるいはごく僅かな情報を除いて、信用してはいけない。その情報源がなんであれ、すべて自分の組織のためのプロパガンダであり、つまりはうそであるから。内戦の大まかな真実はごく単純に説明できる。スペインのブルジョア階級が労働運動を粉砕する好機と捉え、ナチスその他世界中の反動勢力の助けを借りて実行に移したのだ。それ以上のことは、今後も明確に証明されることはないだろう。

    位置No. 1278
    全体主義が破壊するのは、人間というのはみな同じ種類の動物であるという暗黙の了解を含んだ、こういう合意の共通基盤とでも言うべきものなのだ。

    位置No. 1402
    スターリンの外交政策は、よく言われているように悪魔のように抜け目ないのではなく、単に 日和見主義で馬鹿なのだと、将来的には認識されるようになると私は確信している。

    位置No. 2185
    反ユダヤ主義の特徴の一つは、おそらくは事実ではありえないような話を信じてしまう能力を持っていることである。一九四二年にロンドンで起こった奇妙な事件がその好例だ。近くで爆弾が炸裂したのに恐れをなして逃げた群衆が、大挙して地下鉄駅の入り口に押し寄せ、その結果百人以上が押し 潰されて亡くなった。ところがその日のうちにロンドン中で「ユダヤ人の仕業だ」という噂が繰り返されたのだ。人々がこういうことを信じてしまうようであれば、そんな人たちと議論しても、成果があまり望めないのは明らかだろう。唯一役に立ちそうなアプローチは、彼らが他の問題に関してはまともな判断を維持できるのに、特定の一つの問題に関してのみ、馬鹿げたうそですら信じ込んでしまうのは なぜか、それを探ってみることだ。

    位置No. 2337
    現代文明には何か、精神的ビタミンのようなものが欠けていて、その結果我々はみな、不思議なことに、ある人種やある国全体が善良であるとか邪悪であると信じてしまう精神的異常に、多かれ少なかれ 罹りやすくなっているのだ。現代の知識人なら誰でもよい、自分の心中を詳細に正直に検討してみるなら、ナショナリスティックな忠誠心やなんらかの憎悪が存在することに気づくはずである。きっとそれは厄介なものだ。誰もがそういったナショナリスティックな忠誠心や憎悪に心情的に引き寄せられることがあるというのが事実であり、その事実をそのまま冷静に見てこそ知識人という立場でいられるのだ。

    位置No. 2922
    心理的な根源まで探るなら「愛着を捨て去ること」の主要な動機とは生きることの苦しみから逃れたいという欲望であり、なかでも取り分け、性的なものであれ性的ではないものであれ、いずれにせよ困難な、愛から逃れたいという欲望に行きつくことだろう、という確信が私にはある。

    位置No. 3073
    ナショナリズムを批判し、反ユダヤ主義を批判することは容易い。ある程度の知性のある人間ならば、建前上それが軽率に耽溺してはならない思想だということは了解していよう。だが、だからと言って自分はナショナリストにはなりえない、反ユダヤ主義者にはなりえない、という場所から出発してこれを批判するのでは不十分だとオーウェルは説く。自分だけは安全な場所にいて、あくまで他の人々の中で起こっている現象だという態度では本質をつかめない。むしろ自分の中にもナショナリストや反ユダヤ主義者になる可能性があるのだ、という認識から始めなければ推察できない。他者を自分と切り離して批判するのは簡単である。だが、思想の異なる者を他者として切り離してしまう限り、その行動はどこまで行っても理解不可能で、二項対立的な「悪」の位置として高所から批判することしかできない。しかし、オーウェルが指摘しているのは、ナショナリズム的な党派心はいかなる人の中にでもあるのであり、何かのきっかけがあればそれが表出することがある、まずはその認識を持って自分もナショナリストになってしまう可能性があることを理解しなければならない、というこ
    とだ。あるいは「反ユダヤ主義」に惹かれてしまう可能性が自分にもある、と認めることから始めなくてはならないということなのだ。 そしてオーウェルは、そういった心性を取り除くことができるのかどうかはわからないが、それに抗って戦うのは「本質的に 倫理的な 試み」だと言っている。われわれが試されるのはこの「倫理」を堅持しうるかどうかだ。

  • 難しい部分はかなり飛ばしてしまった。
    歴史やその周辺の知識がない私にはレベル高すぎた。

    ただ、第一次世界大戦や第二次世界大戦を生きた人の体験から語られる話としてとても生々しく響いてきたのは事実。
    日本って被爆国だし、自分の祖父母世代は東京大空襲を経験してるし、日本人から語られる戦争の話ってどうしてもどこか“被害者意識”がある。
    そして、昔の話をするとき人はだいたい誇張してしまうもの。
    だからこそ、被害者という立場を取らず、冷静に戦争について論じるオーウェルの見方は興味深かった。

    『絞首刑』は死刑というものの怖さについて考え直したし、
    『象を撃つ』は、タイトル通り象を撃つ話なのだけど、そこに至るまでの過程の心理描写がえぐかった。

  • ジョージ・オーウェルは学生の頃に読んだことがある。1984年と動物農場を読んだ。また「象を撃つ」も読んだと思う。

    今読んでみると、実に面白いと思う。
    植民地支配も冷戦も一応過去のものになった今だからこそ、ジョージ・オーウェルの言っていることは大変地に足のついた知性のあることであるように思う。

    植民地も冷戦も(当時のリアルタイム状況に比べれば)過去のものと言えるだけに、歴史の後付け公爵ができるので楽だが、最後のガンジーに対する評論はまだまだリアルタイムで、面白かった。引き継ぎ事項って感じがする。

  • 名前は聞いたことはあるが、読んだことのなかったジョージ・オーウェル。しかしUK系のロックを聴いていると時々出てくるキーワードでもあり、トランプ政権になってからも「1984」が売れる等、今後も名を残す著者の本を、そろそろ読もうと思っていたところ、2019年に出版された、この本をみつけた
    この本は、訳者がこの時代に読んでほしいと選んだ、オーウェルが1930~1945年頃に書いたエッセイ集だ。すでに評論集が出ているので、それとは違う観点で纏められている。これ等は純粋に当時のイギリス、欧州がどうだったのかを知ることが出来るなど、オーウェルという観点を抜きにしても興味深いし、「おいしい一杯のお茶(紅茶について11の鉄則を延々と語る」や「スポーツ精神(国代表で争うスポーツは銃撃戦のない戦争にすぎないとディスる)」などでは、オーウェルがどれだけ「小難しいインテリ系のイギリス人」なのかを知ることが出来る

    正直、エッセイのテーマがばらつき過ぎているという感もある。最初にオーウェルの本を手に取り、どういった時代で、オーウェルがどういった人物だったかを端的に知るには良いと思うが、有名なエッセイ(像を撃つ)は他の編集本とも重複するので、その点でも、オーウェルを読み深めていく人には向かない気もする

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著者プロフィール

1903-50 インド・ベンガル生まれ。インド高等文官である父は、アヘンの栽培と販売に従事していた。1歳のときにイギリスに帰国。18歳で今度はビルマに渡る。37年、スペイン内戦に義勇兵として参加。その体験を基に『カタロニア讃歌』を記す。45年『動物農場』を発表。その後、全体主義的ディストピアの世界を描いた『1984年』の執筆に取り掛かる。50年、ロンドンにて死去。

「2018年 『アニマル・ファーム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ジョージ・オーウェルの作品

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