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感想・レビュー・書評
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福岡正信は、日本において自然農法の創始者である。その系譜の中に、奇跡のリンゴの木村秋則も繋がる。
福岡正信は、25歳の時に、急性肺炎をおこし、隔離された。その時に自分の信じていたものはなんだったろうと悩み、絶体絶命の感情に追い込まれた。その5月15日の朝に電撃に打たれたように覚醒した。「この世には何もないじゃないか」という言葉が降臨した。
まるで、空海が室戸岬の御厨人窟で口に明星が飛び込んできて、24歳の時に悟りを開いたような経験に見える。そこにあったのは空と海で、空海と名乗った。ふーむ。
奇跡のリンゴの木村秋則も、この本を繰り返し読んだという。そして、同じようなシーンがある。あまりにもリンゴの無農薬栽培がうまくいかないので、裏山に言って死のうとした時に、自然に花をつけている木を見て、なんだ自然でいいのだと言って、奇跡のリンゴの自然農法が始まった。
空海、福岡正信、木村秋則は悟りを開いたのだ。
農業を始めた頃の若き頃に読んだ時に、こりゃ、宗教だねで終わった。そして、様々な経験をして、再度読んで見た。だいぶ見方が変わった。
福岡正信は、物語を作るのがうまい。「何もない。一切が虚像であり、幻」だった。そこで、「無の哲学」に目覚める。無こそすべて、無為、無心、人知・人為は一切が無用、無価値、無意味であること。無こそが広大無辺の有だった。そこで、自分の生活を見直すために農業を始める。
自然農法の4大原則、①不耕起(無耕転)②無肥料③無農薬④無除草だった。そして、緑肥草生米麦混直播栽培、あるいは米麦連続不耕起直播という手法を開発した。
確かに、何もしないが、タネを蒔くという行為はせざるを得ないようだ。さらに種子を粘土団子にして蒔くという手法だった。何にもしないというわけではない。
もし何もしないという米や麦を作るには、脱粒する品種を使えばいいのだが、収穫はできないなぁ。
とにかく、堂々と科学を否定するとのたまう。
「人間の食とは何か」「日本人は何を食うべきか」という考察は優れている。
人間は、生きるためには、デンプンとたんぱく質と脂肪分があればいい。これは、西洋の栄養学的な立場から見た食物で、人間の本当の食物とは何かがわかっていない。そこで、自然食と言われるようになった。自然農法で作られた野菜は、味があり、香りが高く、美味しい、そして体にいいという。
「日本の水田からは、最高のカロリーをあげれるのは、米麦だ。一番収量が高く、栄養価も高く、一番作りやすい」野菜も、味が違うのは、チッソ、リン酸、カリが変形したものが、そのものの味になっている。それは、単なる加工業者だ。
冬場のナスやキューリは温室で作るが、ビニールやガラスで紫外線が通らないから美味しくない。結局は、太陽光線でなければならない。
自然の土から作られた農作物と化学肥料から作られた農作物は違う。
キリストが、人間はパンのみによって生きるにあらずと言ったのは、肉体的な動物でなくて、精神的な動物だということではなく、地上に生まれ、生きている現実を直視せよという言葉だという。
どうも、言っていることが、抽象的で、そして、自然食がいいと誘導する。編集力が実にたくみである。ストーリーテイラーである。
読んで見て、気がついた。農業と自然が分離しているのだ。結局、人間は自然の一部と言いながら、人間のなすことは、無だとしている。ところが、自然は有である。有を考察せず、人間の行為だけを無と裁断する。
1反で10俵収穫できていることを自慢する。意外と無と言いながら、10俵を自慢することに、無と言っていたこと嘘っぽくなる。別に、10俵でなくてもいいのだ。生きていける分だけ収穫すれば。
福岡正信の農法を真似て、誰も同じようなことができないと言っている。つまり、再現性がないのだ。そして、10俵収穫できたのも、なぜできたのか?それは自然農法だからで終わっている。
奇跡のリンゴの木村秋則もなぜ奇跡のリンゴができたのか、説明できない。
自然農法を慕ってくる若者たちは、水をくんだり、雑草を切ったりして、あまりにも仕事が多いので、逃げ出してしまうという話が出てくる。なぜ、何もしなくていいのに、仕事が多いのだろう?
福岡正信は、逃げ道を作っている。それは、堂々と科学を否定していると言っていることだ。
自然農法を科学的に考察する必要がないのだ。だから、思想家や哲学者を批判始める。つまり、農家でなく、思想家になっていく。木村秋則も「宇宙の采配」と言ったりする。
つまり、植物は窒素、リン、カリが栄養素で成長していくことは、事実で、科学である。それを化学肥料使うことを否定しても、当然自然農法の土に化学肥料を与えなくても、草やワラが堆肥となり栄養分となる。
福岡正信は、堆肥を否定するが、地鶏、アヒルの糞は否定しない。必要において、鶏糞をサンプルすることを支持している。ふーむ。科学を否定しているので、なぜそうなるのか、そのことを化学的に考察しない。自然農法だからといっているだけだ。植物検疫所にいたから、化学的知識はあるはずだ。
しかし、化学的なことは、現実は地球の有の世界にあるにも関わらず、無と言い切ってしまうから、引っ込みがつかない。神は存在しないという証明も、存在している証明もできないという。
そして、キリストの話を持ち出してくる。化学的な物質は、自然の中にもあるにも関わらず、自然だからで、存在を否定する。ふーむ。有たる自然を科学的に分析し、科学的根拠がないから、再現性がないのである。とにかく、科学で説明できないことは、まだたくさんある。土壌にある難容性りんがどのように、植物が利用するのか?土壌微生物がどのように、働いているのか?
現在は、かなり、解明されてきているが、わからないことが多い。
結局、愛媛という気候温暖な土地が、福岡正信の自然農法を育んだのだ。有たる自然を無にできないのだ。それは、何ら農業に革命を起こしているわけでもない。自然農法も科学によって解明されていくだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
朝日新聞Globeでアメリカの不耕起農法を特集していたのを見て、そのルーツが著者の「わら一本の革命」にあることを知った。
この本では、まるで自然農法=不耕起栽培が突然天からの著者に降ってきた思想で、実際にそれを実行してそれまでと同等、またはそれ以上の収穫をするのだが、少し「哲学・思想」に傾倒すぎ。初版が出た1975年頃ならともかく、いや当時もそうだろうけど、非科学的な記述が多すぎるのはきになるところではある。しかし、それを補って余りある自然農法の具体的方法とその成果。具体的と言ってもコメ、麦についてのみ。
そういえば「奇跡のリンゴ」の著者もこの本に影響されたのだった。