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感想・レビュー・書評
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宇品の船舶司令部は、陸軍にありながら船舶を有して運行管理を行ったある意味特殊部隊であった。既存の常識を打ち破った上陸用舟艇、強襲揚陸艦を世界で初めて開発し、敵前強襲上陸を世界に先駆けて行ったのは、まさに当時の最高の頭脳を結集した陸軍の賜物であっただろう。無謀な輸送にも立ち向かい、散っていった軍属の人たちのために動く、圧巻は原爆の被災者救護を独断で行ったこと。優秀かつ民間人も見捨てない軍人も多数いた日本、なぜあの無謀な戦争に突入していったのだろうか?
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(2022/241)広島が原爆投下目標に挙げられた理由の一つである重要な軍事施設。宇品にあった「陸軍」船舶司令部という、一瞬錯誤かと思える名称。海に囲まれた日本が外に出るための兵站・物資や人員の輸送を統括する部署。そこの司令官や参謀達が残した手記などを頼りに、先の大戦を船舶の視点を中心に記す。改めて先の大戦が客観的に如何に無謀であったかを思い知る。毎年8月には戦争関連の本を読むことにしているが、本書はかなりの上位に入る。
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本書は日本陸軍の船舶司令部に属した3人の司令官が主人公です。「陸軍になぜ船舶司令部が?」と思われると思いますが、陸軍が海を渡って装備を輸送・揚陸(陸におろす事)するにあたり、海軍は非協力的でした。その原因は両軍のルーツが薩摩、長州の藩閥にあったためです。
そこで陸軍は自ら輸送用船舶を保有、運用するようになります。本書前半の主人公田尻昌次は輸送の重要性を認識していた数少ない軍人でした。船舶司令部発足当初は漁船や手漕ぎの木船を民間から徴用しますが、戦車や重砲など、装備の大型化を予見していた田尻は、大型高速の輸送船の必要性を早くから指摘しており、保有を推進しました。さらに、必要な時に、適切な順序で装備を輸送するための輸送計画、積み込み順序、など兵站の計画立案についても専門部署を立ち上げています。その成果は、日中戦争初期のスムーズな上陸作戦の成功という成果をもたらします。ところが、対米開戦の方針を耳にした田尻は、輸送・補給という観点からはとても戦線を維持できないと判断、軍上層部に自らの進退をかけて意見具申します。アメリカとの国力の差をリアルに指摘したその意見書は、軍上層部の不興を買い、田尻は対米開戦を待たずに軍を去ることになります。
対米開戦後は、田尻の薫陶を受けた司令官が当初は補給を維持しますが、田尻が去ったあとの軍内部では精神論、楽観論による補給軽視(輸送船の被害想定の過少評価、輸送船防御の軽視など)の姿勢から、田尻の予見通り満足な物資補給がままならず、戦線の崩壊に突き進みます。本書後半、ガダルカナル島での敗北以降の内容は、読んでいて「この状況を戦前に正確に予見していた人物を更迭し、その上でここまで現実を見ずに戦争を継続したのか」と再認識させられました。
本書に登場する陸軍船舶司令部は、広島県の宇品に設けられ、海軍の呉とそん色のない大規模な軍事港湾となっていたのですが、呉と比較すると知名度が低いのは”陸軍の”船舶関連部署という特殊な位置づけだったからとも思います。日陰に隠れていた、緒戦の陰の功労者である部署を詳細に取りあげた内容充実のノンフィクションでした。 -
日清戦争をきっかけに広島県宇品の設置された陸軍船舶部隊とは、何を行う部署なのか。あのチャーチルが敢行した第一次世界大戦のガリポリ上陸作戦失敗に学び、試行錯誤を重ね、造り上げた帝国陸軍の敵前上陸の要諦は何か。世界のどこの国も敵前での上陸作戦を成功させていない時代に、兵員を敵前上陸させる多くの作戦(マレー上陸作戦等)をなぜ成功させることができたのか、等々。更に1945年8月6日のあの朝、原爆投下に直面した在宇品の佐伯司令官は、なぜ即時に燃え盛る市街地に多数の救援部隊を投入する決断できたのか等を含め、知られざる広島県宇品の物語を掘り起こした作者に☆四つであります。
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恥ずかしながら、宇品について何も知らなかったので、大変勉強になった。また、陸軍組織の硬直性や現場軽視は予想通りであったが、参謀や将校は飛行機で自在に移動していたことが、海運の軽視に繋がったというのは頷ける話だった。
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力作