海をあげる [Kindle]

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  • 筑摩書房
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感想・レビュー・書評

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  • リアル沖縄の現状が分かる。
    水は本当に大切なものだけど、こうやって大切なものが損なわれていく…

  • 創作された小説かと思って読み始めたら、そうではないことにしばらく経ってから気がついた。最初と話の割りと冒頭に青山ゆみこさんの「人生最期のご馳走」の話が出てきたのに、なぜかその時はまだ小説だと思って読んでいて気が付かなかった。この本をつい先日読み終えたばかりだったので、話の中に出てきて偶然に驚いた。
    最初の話は夫に不倫されて離婚するまでの話。どんなに辛くても悲しくても食欲がなくても、食べるという行為は人の根源的な営みなんだなと改めて感じた。自ら料理をして食べるというのは生活を成り立たせるのは基本的だけど疎かにすることのできない大事なものだなと思った。
    他にも虐待を受けた若い女性の話や基地の話などもあり、色々考えたことはあるけれど、沖縄の人ではない私が感想を語っても何だか薄っぺらくなってしまいそうなのでここには記さない。

  • 沖縄の性被害にあっている女性や、基地問題に関するノンフィクション。
    著者の上間陽子さんは琉球大学の教育学の教授なので、実際に調査を行っているからルポではあるが、内容的には著者の日々の出来事を綴るエッセイに近い。
    沖縄の女性の性被害については『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』という別の著作もある。

    「女性の性被害」や「基地問題」は世間での認知度があまり高くない問題のひとつだと思う。
    女性の性被害については、無罪になりやすい。それは現行の制度では、同意の有無はそこまで大きな要因とはならず、被害者が「逃げようと思えば逃げられたかどうか」が有罪無罪を分ける最大のファクターであるからだ。
    父親に幼少期のころから性的虐待を受けていた女の子も、同様の理由で父親が有罪とならないケースがかつて存在した。このようなことが許されるべきではない。
    著者の上間さんは、取材を通じて知り合ったこのような被害を受ける女性たちに徹底的に寄り添う。共に涙を流し、最大限に彼女たちの意思を尊重しながら、できる限りの支援を続けておられる。

    基地問題についても、どこか日本の問題ではなく、沖縄の問題と思っている節がある。あの美しい海が土砂で汚されていくことに対する怒り、周囲の住民の安全に対する不安は図りしれない。これは日本国民全員の課題であるべき問題だ。
    上間さんはハンガーストライキで基地建設に抗議している元山仁士郎さんを心にかけて応援しておられた。

    そのことは、理解できる。

    ただ、本を読み進めるうちに、私は個人的に一縷の違和感というか、共感が難しい点があると感じた。
    それは、一連の社会問題に対して対抗する人たち(著者の上間さんやハンガーストライキの元山さん)が、どういう思いでそこに身を投じていくのかわからないところが大きいからだと思う。
    上間さんには家族がある。娘もいる。でも、普天間基地から飛び立つ戦闘機の爆音が聞こえる地域に引っ越していって、その轟音に煮え立つような怒りを感じている。

    上手く言語化できないが、論理的にこの問題を解決しようというよりも、抑圧的で一方的な現行勢力に対して、「それは間違っている!」とある種の激しい感情をぶつけていくことで、この問題に一石を投じるというやり方が自分にはあまり共感できないのかもしれない。

    活動が無駄だ、なんて切り捨てることは絶対にできない。
    現に自分は彼女の著作からその問題の一端を見せてもらって、考えることができている。ただ、しばらく逡巡しなければならない本だと感じた。

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    著作と直接関係のない話だが、社会的弱者の「助けてもらう力の弱さ」をどう考えるかが、社会の問題に関わるうえでとても大切な考え方であるような気がする。

    本書にでてくるセックスワーカーの女性は、父親に性的虐待を受けていた。トラウマ治療のための精神科への通院がはじまったが、結局続けることはできなかった。著者の上間さんも無理強いして続けさせるようなことはしない。それが彼女の意思だからだ。

    この例をみて思う。ホームレスの人や、なんらかの大きな抑圧下にあった人、貧困の中にある人は、人格的にも健全に成長しにくく、知識や能力も身に着けにくい環境にある。だから「普通はこうした方がいい」と考えられることが考えられず、「助けてもらうには謙虚になった方がいい」というソーシャルスキルも身につきにくい。つまり安直な言い方だが、マジョリティから「自業自得だ」という感情を抱かれやすいのだ。助けてあげたい、と考えられにくい。境界知能、グレーゾーンの問題にちかいものがある。

    でも、こういうところにも助けの手が届くような社会になってほしい。
    自分には一体何ができるのだろうか。

  • 著者は琉球大学教育学研究科教授。専攻は教育学、生活指導の観点から主に非行少年少女の問題を研究している。
    沖縄の持つ独特な問題をどう見るのか。沖縄で生まれ、沖縄で生活する。「沖縄の暮らしのひとつひとつ、言葉のひとつひとつがまがまがしい権力に踏みにじられる」なかで、何を思い、そしてどう生きていくのか。夫の告白によって、傷ついて、耐えられない孤独を感じるが、友人たちが何気なくサポートしてくれる沖縄の優しさ。「包丁で刺してもいいくらい」の思いを感じる。そんな時にでも食べて美味しく感じる自分に驚いたりする。しかし、食べれない自分がいる。
    子供の成長を見つめながら、自分自身も成長していることを感じる。娘は、ご飯をたっぷり食べる。食べることが好きであることに、希望を見出す。「風花のわがままぶりにはうんざりするけど、ご飯を食べているのを見ていたら、もうなんでもいいわって許せちゃう」幼い娘でありながら、生きることへのたくましさを感じる。きちんと、たべれることが何よりも幸せなんだと思う。それは、自分自身が音が聞こえなくなり、ご飯さえもたべられなくなってしまった経験があるからだ。
    「娘にごはんの作り方を教える日が来ることを楽しみに待つ。自分のためにごはんをつくることができるようになれば、どんなに悲しいことがあったときでも、なんとかそれを乗り越えられる」と著者はいう。
    若い人たちの言葉にならない、言葉にしようもない言葉をすくい上げながら、近親者の性的暴力や殴られるという暴力に耐えながら、そのことを語ることができないもどかしさ。生きることに、追い詰められている。そんな若者を包み込んでいる環境。その環境さえも、変えることができない。アメリカ兵による少女レイプという事件が起こる沖縄。そのことへの静かなる怒り、被害者が身近に存在し、あからさまに表出する地域性。
    友人の結婚式に出たときに、「僕の輝く人、僕の真心、こんなにも優しくて、こんなにもタフで世界を飛び回る。僕はずっとあなただけを待っていた」という告白に、涙が溢れる著者。
    いいところで育った祖母は、口汚く小言をいう。その小言は、矛盾している。怒りたいために怒っている祖母。それに耐えてきた母親。そして、やっぱりそんな祖母を嫌いだと思う著者。それでも、104歳まで生きたおばあちゃんに、温かい気持ちになる著者。
    爆音の空の下に暮らしながら、そこで住んでいる生き物たちが土で生き埋めされている辺野古に通いながら、沈黙させられている人の話を聞くことが必要だと思う著者。
    たくさんの声にならない小さな声を拾い集めて、沖縄の語り部になっていく。それを語り継ごうとする。「この海をひとりで抱えることはもうできない。だからあなたに海をあげる」
    読みながら、沖縄の闇、沖縄の人の中にある心の闇を、光を当てて、救い出そうとする試み。
    ノンフィクションの本屋大賞をとっただけある自分を含めてのルポルタージュ。その海の一部でも受け取りたいと思った。

  • ひろゆきさんの座り込みに対する炎上の一件で、沖縄問題についてほとんど知らなかったので読んでみた。
    基地についてのことというよりも、沖縄に住んでいる人たちのリアルについて書かれていたルポ。
    単に沖縄綺麗でいいねという軽い気持ちしか持っていなかったけれど、実態はこんなにも苦しい人々が存在していることに驚いた。
    もちろん、日本の安全保障の観点から単純に反対できるものではないけれど、こういう人たちの犠牲のもとに今の自分がある。そんな恵まれた環境にいるんだと改めて感じ、その分社会に還元できるように頑張りたいと思った。

  • 良い本だった。とても。
    できるだけ多くの人に読んでもらいたい本だ。

    でも感想を書くのは難しい。
    何を書いても的を外すような、どこか無責任であるような、そうしたうしろめたさを感じずに、この本について書くことは、少なくともいまの私には不可能だから。

    たとえばこの本を読んでいる最中、私は何度もウクライナで行われている戦争について思いを馳せた。
    私は多くの情報に触れては、失われていく命や壊されていく生活や、理不尽な暴力に悲しみや怒りを感じている。
    しかし具体的に何か行動をとったのかと言われれば、何もしてはいない。むしろ何もできることはないのではないかと呆然としてしまう。

    所詮対岸の火事なのだろう?
    結局ひと事なのだろう?
    もしそう言われてしまうと返す言葉がない。
    でも戦争の報に胸を痛めていることは事実なのだ。事実なのにうしろめたい。
    そんな私はどうすればいいのだろう。
    どうすることが正解なのだろう。

    小学生のころ灰谷健次郎の『太陽の子』を読んで、「ちむぐりさ」という言葉を知った。
    それ以来、沖縄の問題を知るたびに、この「ちむぐりさ」を思い出す。
    私には分からない、想像することさえ困難な沖縄の方々の思いを、たぶんこの言葉に託しているんだと思う。

    この秋、沖縄を訪れる予定がある(こうした時代だから実現するかは不透明だけれど)。私は、その時少しでも「ちむぐりさ」に触れることはできるのだろうか。

  • 何で『海をあげる』何だろう?
    そう思いながら読みましたが、素晴らしい終わり方でした。
    そして、あとがきでまた、その深い意味が語られ、より一層、感動が深くなりました。

    世の中にはあとがきから最初に読む癖のある方が一定数いらっしゃいますが、是非、最初から順番に読んでほしい本です。

    ぶっちゃけ、このタイトルでは読書欲をそそられなかったのですが、オススメされたので気が進まなかったところを読み始めました。

    全体としては重いテーマを扱っているのですが、最初の読み始めのところはセンセーショナルな話題で始まり、グイグイと惹きつけられます。

    そして最後まで読むと、このタイトルがこう効いてくるのか、だからタイトルとしてベストな選択だったんだな、と腑に落ちるはずです。

    ここに本の感想を書く習慣からは久しく遠ざかっていましたが、声を大にして誰かにオススメしたい本に出合ったので、何年かぶりにここに来てしまいました。
    読もうかどうか迷っているところなら、是非、お読みください。

  • 「聞く耳を持つものの前でしか言葉は紡がれないということなのだ」あとがきより(p188)

    タイトルが秀逸。「あげる」の後ろ側の重み。

  • 2024.3.23. ギフト券で入手。

  • 沖縄出身の教育学者・上間陽子さんのエッセイ。
    文章は一文が短く読みやすく、美しかった。

    沖縄の、基地からの騒音や水質汚染に脅かされる生活、戦争を生き抜いた祖父母や、貧困や性犯罪に押しやられる若い女性の話。

    悲しみも慈しみも綴られていて、読みながら泣いてしまった。

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著者プロフィール

1972年、沖縄県生まれ。琉球大学教育学研究科教授。生活指導の観点から主に非行少年少女の問題を研究。著作に『海をあげる』(筑摩書房)、『裸足で逃げる』(太田出版)、共著に『地元を生きる』(ナカニシヤ出版)など。

「2021年 『言葉を失ったあとで』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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