- Amazon.co.jp ・電子書籍 (336ページ)
感想・レビュー・書評
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目に見える事が真実とは限らない。
人の心はその人にしかわからない。
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更紗が、叔母さんの家でのこと、文のこと、はっきり言えば良かったんだ、はじめはそう思っていたが、仮に真実を訴えたとしても、結局は理解されないのかもしれないな、、、と思うようになった。
世の中は、力があったり、多数派である方が生きやすい。逆に、生まれながらにして生き辛さを抱えている人はどうすればよいのだろう。周りは彼らをどう見ていて、そんな周りを彼らはどう思っているのだろう。そういう一つ一つが丁寧に描かれていて、胸に沁みる作品だった。救いのあるラストで、ホッとした。 -
日常に置き換えるとこういったことは常に起こっていると感じる内容でした。
事実が全てではないし、正しいわけじゃない。
それでもメディアはネタにしてお金を稼ぐ
それは生業なんだから仕方ない
一方で被害者側は被害者であることを尊重し続けて悲劇のヒロインを気取り続けていたい気持ちもある。
日常流れてくるニュースの裏をしっかりと見極めなければならない。
何が正しいとかないのかもしれないけど、
見過ごすのではなく、自分ごとに置き換えて何を感じたのかを知る必要があると知らせてくれる小説です。
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小説読むなんて珍しいですね!
同じ作家さんの「汝、星のごとく」も面白かったです。
また、同じような内容の面白さで、朝井リョウさんの「正欲」が...小説読むなんて珍しいですね!
同じ作家さんの「汝、星のごとく」も面白かったです。
また、同じような内容の面白さで、朝井リョウさんの「正欲」がおすすめです!!!2024/02/11 -
2024/02/15
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この2人にただ幸せをあげたい
彼が本当に悪だったのかどうかは、彼と彼女にしか分からない
この言葉に救われた -
著者は作中、本作のテーマを短く的確に書いている。「事実と真実は違う」と。
最近は情報の伝達速度が速くなり、それにつれて事実を認定するまでの時間も短くなっている。それは、「隠れた事実」から目を背ける姿勢でもあり、その結果、真実と事実の距離もますます乖離してゆく。
事実と真実が隔たっていることに起因して、当事者にもたらされる事態は、映画で観ることでさらによく分かった気がする。視覚的に事態を見せられることで、直感的に当事者の思いとはまったく異なる次元で事実認定されてしまうことが肌から伝わってくる気がしたからである。しかし、その内面に潜む当事者の苦悩や諦念といったものは、やはりテキストを読むことでより深まった。映画化された作品を観て、かつその原作を読むことの楽しみは、こうしたことにある。
著者が「事実と真実は違う」のだという、シンプルで深いメッセージを突きつけたとき、それがいかに恐ろしい事態であるかをあらためて振り返るとともに、そうした事例が我々が生きている「今」のそこここに存在することに驚愕する。
「常識を疑え」と言った人がいたが、人によって見えている断面が異なり、その視野においてのみ存在する「事実」はもはや多面性を持ちすぎている。そこから真実を見出すことは不可能に近い。『流浪の月』を読むとそうした「不都合な真実」があることがよく理解できる。見えている事実が人によって大きく異なる現在の状況では、常識もまた人それぞれになってしまう。常識という言葉の意味さえ、曖昧に思えてくる。
事実と真実が違うものであるというテーゼを掲げて、著者はそのテーゼが生み出す悲劇を静かな語り口で紡いでゆく。加害者たる大衆が、おのが目に見えている「事実」だけで勝手に被害者を仕立て上げ、その罪を決めつける。あらゆるメディア、とりわけネットメディアが伝達する情報のスピードは、真実を見抜いているかもしれないサイレントマジョリティの声など、瞬時にかき消すだろう。そして、「真実」に手が届くかもしれなかった人びとの目の前にある「事実」を、洪水のように押し寄せる情報が上書きしてしまう。
二人の当事者が互いに共有している「真実」は、もはや二人以外の場には跡形もない。二人に許されるのは孤立だけである。片や警察権力に確保され、片や施設に送還されてしまう。本来警察は事実を積み上げて、真実を読み解くことが任務であるはずだが、事実自体が歪んでしまっているので、事実は事実として機能しない。当事者は大いなる当惑を抱え込むこととなるが、当事者を除く「その他大勢」に囲まれてなすすべもない。
この悲劇を映画で観て、本で読み、事実という名の嘘に恐ろしさを覚えると同時に、自身も日々こうした「事実」に踊らされているかもしれないということに気づいた。
救いがあるとすれば、当事者は二人であるということだ。一人だったらつらい。二人の当事者が互いに「真実」を共有していたという「事実」がせめてもの救済である。
彼らを取り巻く者たちには、彼らととても近いところにいるにもかかわらず「真実」は見えていない。自分たちが「事実」と思い込んでいるものだけをおのが判断の依拠とする。そして、その判断こそが(彼らにとっての)「真実」だと思いこむ。こうして、「事実」はかりそめの「真実」へと姿を変える。本当の真実は、いくつものかりそめの真実に隠蔽され、誰の目にも留まらない片隅へと追いやられる。
このような我々の身近にある疑うべき「真実」を描こうとしたときに、やはり著者は叫ばずにいられなかったのではないかと思う。だから、著者は静謐な物語の中に静かなる叫びを織り込んでいる。
「事実と真実は違う」と。 -
読み終わって思うのは、この作品を更に凌駕する小説をすぐさま書いて本屋大賞を連続受賞する、ということの凄まじさ。
それくらいこの物語には衝撃を受けた。
小児性愛とかDVとか、それだけで心が重苦しくなるような辛い環境が舞台。
家族、両親の偏った愛情ゆえの苦しみ。
セックスを度外視した、他人には理解が及ばないような男女の関係。こういういわば過酷な状況に置かれた登場人物たちを実に見事に描いていく。
個人的に最高に大好きな映画「トゥルー・ロマンス」が小さく無い位置を占めていて、また久しぶりに見返したくなった。 -
世の中の普通は時として人を苦しめる。
それは何も知らぬ他者だけでなく、自らをも知らぬ間に苦しめてしまう。
本当の幸せってなんなんだろう?
私たちは正論でその人なりの幸せを奪っていないか?
そんなことを感じるストーリーでした。
更紗と文、其々が抱える背景や苦しみを秘め、男女を超えた魂と魂とが自然と互いを求め、すれ違い、再び巡り合い、傷つき、乗り越え、彼らなりに生きていこうとする。
重苦しいシーンの先に達観したふたりの世界が広がり、最後は不思議な安堵感を覚えました。
色んな生き方があっていい。
当たり前や普通で人を括ってはいけない。
寛容さや色んな角度で世界を見れたら。
多様性な生き方を尊重できる社会に。
ふたりがふたりなりの幸せを生きていって欲しい。
そう願いながら読み終えたお話しです。