- Amazon.co.jp ・電子書籍 (157ページ)
感想・レビュー・書評
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「むらさきのスカートの女」という変わった人物を観察する「わたし」の視点で書かれていく。
物語がすすむにつれて「わたし」の異常性が目立ちはじめ、「わたし」と読者の視点が乖離し、読者は距離感を図りかねて不安定さを感じさせられる。
最終的には「むらさき」←「わたし(黄色いのカーディガンの女)」←「読者」←・・・という構造が見えてくる。
人は存外じぶん異常性には気づかないものですから、ね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読みやすいが、あまり心に残らない作品。軽く楽しめる娯楽。
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とてもサクサク読めます。
むらさきより黄色いが……。 -
紫がヤバいと思ったらむしろ黄色がヤバい…と思ったらやっぱり紫がヤバい…けど黄色はもっとヤベエ!!!
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今村夏子「むらさきのスカートの女」
今日読了した本。
久しぶりに一気読みして、心から面白いと思えるような純文学の作品に出会えた。
第161回芥川賞受賞作。
「何も起こらないのに面白いとTikTokで話題沸騰!」と帯にあるけど
この話、主人公は二人いるんじゃないかな。
「むらさきのスカートの女」と、それを観察する「わたし」自身。
むらさきのスカートの女は、紆余曲折ありながらある程度普通に生活して最後にあることを理由に去っていくけど
わたしの内面は最初から最後までめちゃくちゃに破綻している。
「わたし」が望むものは、何なのか?って帯で書かれているけど、普通なら「彼女が望むものは、何なのか?」と、むらさきのスカートの女が主体になるはず。
主体のぶっ壊れ方があまり見たことないほどえぐいし、こんな不安定な語り手見たことない。それゆえに、なんかスゲェものに出くわした、と感じさせるのかなあ。
こんな病んでいてイカれてる作品(褒め言葉です)に出会ったのは中村文則さん以来と個人的に思うほどの衝撃体験。
本屋ではエンタメばっか売れて、華々しいなんとか大賞関係もほぼほぼエンターテイメントばっかりで、純文学なんてオワコンなんだろか?純文学の意味や価値って何だろ?とわかんなくなってる時に読了した一冊。
純文学をなめんじゃねえぞ。そう言いたくなった。 -
ぎぇ、何この面白い本。2時間でさくっと読めるのに面白いし先が読めない。ずっと先が読めなかった
読み終わってすぐ友達に勧めた。私は一体なんの女になるだろう。何故か私はこのエンドに恍惚する。幸せしかみえない
文庫本の受賞記念エッセイもオススメ。今村さんの次回作もお待ちしてます -
なんというか予定調和な終わり方だった。その終わり方が新鮮ということかもしれない。