会話を哲学する~コミュニケーションとマニピュレーション~ (光文社新書) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • Audibleにて。
    会話は情報の受け渡しであるという従来の見方=バケツリレー式会話観の問題点を指摘し、会話はコミュニケーションとマニピュレーションの2つから成るという見方を提示している。
    著者によれば、従来の会話に関する哲学は、哲学者自らが作成した“理想的な”会話に基づくことが多く、市井の実態と乖離することがあったという。そこで、本書ではマンガや小説などのフィクション作品の会話を取り上げて考察しているというのが大きな特徴となっている。
    哲学らしく、言い回しは慣れていないと冗長で読みづらそうな面があるのは否めなかったが、Audibleで聞くとあまり気にならなかった。

    本書で考察されているような、言葉で明示されていないのに情報や意図や心情が伝わるというのは、人間はどうやって獲得するのだろう。日本語だけでなく他の言語にも共通する現象なのだろうか。…たぶん言語に依存しない気がするけれど、だとすると言語によらない会話の共通した機能があるということで、それってなんだかすごい気がする。

    本書において、コミュニケーションとは会話の参加者間での「約束事の形成」であり、マニピュレーションはその会話によって話し手が受け手に与えようとしている影響のこととされている。会話では、これらが主音声と副音声のように折り重なって受け手に伝えられるという見方を提唱している。(マニピュレーションという語は否定的な意味合いで使われることが多いようだが、本書では必ずしもそういうニュアンスとも限らない。)
    こういった会話観に基づいて、「相手が知っていることをわざわざ話す」「相手に伝わらないことを知りながら話す」といった、単に情報のやり取りという会話観では説明の難しいフィクションの場面を考察している。この考察は、本書の会話観が無くてもなんとなく分かるものではあるが、コミュニケーションとマニピュレーションという捉え方を通して、言語化することができている。

    特に終盤の、マニピュレーションによって非難したり差別したり、といったものが印象深かった。コミュニケーションとして明示的には言わないが、マニピュレーションとしては伝わるようなものは、本書に挙げられているように複雑な心の機微を伝えたりといった側面もあるが、いわゆる「言外に言う」といったかたちで相手への非難などに用いられることがある。言質をとれないので、しばしば受け手側の捉え方の問題と矮小化されがちである。
    本書でもこういったことへの具体的な対応とか対抗策が示されるところまではいっていなかったが、マニピュレーションを会話の要素としてみる会話観は、「言外に言う」ことを言語化し、単に受け手だけの問題ではないことを示すので、何かしらの端緒となるのではと思った。

    本書は著者が講義で話した内容をもとにしているらしい。著者お気に入りのフィクション作品の紹介といった側面が全体の5%くらい含まれていた気がするが、それも含めて楽しめた。自分も読んだことのある作品に基づいて考察されていると頭に入りやすくて良かった。

  • コミュニケーションの哲学的考察。コミュニケーションは、相手との「約束事」 を形成するための道具。マニュピュレーションはコミュニケーションを用いた「約束事」を形成することなく、心理的に相手を誘導すること。本書を読んで、ハラスメント関係の問題が、コミュニケーションレベルではなくマニュピュレーションレベルで理解、判断される必要を感じた。知識は自分を守る盾になる!

  • 面白い試みと思いました。
    フィクション作品の会話なので1人の主観が考えて出した会話であるという背景はあるものの、自分の読んでいた作品が出てくる懐かしい感覚と、なんとなく感じていても言語化していないものを言語化される感覚がとても面白かったです。
    会話する主体を確立、独立した個人と考え会話を契約として捉えるって感じなのですかね。個人は多元的で、矛盾を抱えていて、何も生まないじゃれあいのような会話がほとんどだと思うのですが。ただ、例示された会話は確かにと納得感を持って読めました。
    マニピュレーションについての終盤の記載は、よくある話ですし気持ちはなんとなくわかるのですが、筆者の言う結果についての解釈可能性が広すぎて危うさを感じました。受け取る側の力を強めると発信者側を罰するという対応があるなかで、前者はなんとなく諦められがちとも。
    後者は行きすぎると昨今のキャンセルカルチャーになっていくように今の状況を見ているとおもうわけです。

  • こういったフィクショナルな作品を取り上げながら学説を説いてく著作は、知らない作品にも興味を惹かれるきっかけとなるので楽しい。
    特に本作は巷にあふれる「コミュニケーション」のあり方を、フィクションという限定された土壌の上でこそ分析の訴状に上げやすい状態で取り上げることで、「なるほど実生活上でもこうすればよりスムーズなのか」という実学的な気づきとまでは言わなくとも、普段の生活で意識されないコミュニケーションの不可思議に思いを馳せるきっかけになる。

  • 会話を大きく「コミュニケーション(約束事の形成)」と「マニピュレーション(指向性の付与)」に分け、漫画や小説、映画の1シーンを題材に解説していく本。

    前半では「分かりきったことを言う」「伝わらない事が分かりながらも言う」など、一見考えると無駄ともいえるコミュニケーションがなぜ行われるか?について解説する。例として挙げているようなフィクションの1シーンほどきれいな形にはならないだろうが、部分的に当てはまるケースは各々の中にあるのではないだろうか。コミュニケーションという「約束事の形成(これは必ずしも守ることが必須ではない)」をもとに人々がどのような関係性を築いていくのか、かなり種類に富んでいて面白い。

    後半では本心を言葉の中に潜ませたり、他人を操ろうとするマニピュレーションについての解説に移る。ただこちらはコミュニケーションと違いいかにも漫画・映画特有の表現が多く、現実との繋げ辛さがある。正確には後書きなどで現実の例も挙げているのだが、あまりピンとこなかった。あとこれはあくまで個人的にだが、あまりにもマニピュレーションを現実に当てはめようとするあまりに自分が糾弾したいことに対する扇動になっていやしないかと不安感や不快感も感じた。(これを書くことすらも著者としては『マニュピレーション』に入ってしまうのだろうか?)

    コミュニケーションに関しては賛同する部分が多いものの、マニピュレーションに関してはかなり危うい内容だなと感じた1冊。

  • 帯に惹かれて興味を持った。表面的なコミュニケーションと、相手に影響を与えるマニピュレーションについて勉強になった。難しいことではなく、日常的に意図してやっていることもあるので、意識して考えてみると面白いなと感じた。

  • 会話を「コミュニケーション」(話し手と聞き手とのあいだの「約束事」を構築する営み)と、「マニピュレーション」(話し手が聞き手の心理や行動を操ろうとするもの)に峻別した上で、漫画や文学など具体的な会話シーンを取り上げながら分かりやすく解説してくれている。特に考えさせられたのは、コミュニケーションとマニピュレーションの間の責任の所在に関する議論だった。「コミュニケーション」としての会話を話し手と聞き手の双方の約束事だと捉えると、その約束事に関しての言説的責任を問えばいい。一方、「マニピュレーション」では、話し手からはそもそも明示的に言語化がされないが聞き手に対しては「力」が生じているため、話し手は「そんなこと言っていない」「そんな意図はなかった」「そう感じたのであれば申し訳ない」と白を切る・責任を聞き手に転嫁することができてしまう。このようなマニピュレーションにおいては、コミュニケーションのときと同様の言説的責任だけでなく、発言によってもたらされる結果の善悪の観点から倫理的責任を問うべきだというのが著者の主張だ。差別的な言説など、「意味の占有」が生じているような暴力的なコミュケーションにおいては、倫理的責任を問うことの必要性を痛感した。一方で、話し手が無意識にマニピュレーション的な結果を生んでしまう場面も少なくないように思う。このような場合は、話し手にとってそうした結果をもたらす可能性を想像する力・エンパシーが欠如していたことが原因なのだろうが、このような倫理的責任を問うことを社会実装するためには、「多様性」をその語句の中に留めておくのではなく、個別具体のものとして一人ひとりが認識するなど、多くの補助線が必要なようにも感じた。

  • 会話をどのようにしているかを、様々なフィクションのいち場面をもとに具体的に解説していて面白かった

  • おもしろすぎ

  • ・この本で定義されたコミュニケーションとマニピュレーションは、AIのプロンプトエンジニアリングに関係しているかも?
    ・悪意のあるマニピュレーションにどう対抗すればいいか、ということは書かれてない。知りたい。

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著者プロフィール

1985年、神奈川県生まれ。2013年、京都大学大学院文学研究科博士課程指導認定退学。2015年、博士(文学)。現在、大阪大学大学院人文学研究科講師。著書に『話し手の意味の心理性と公共性』『グライス 理性の哲学』、共著に『シリーズ新・心の哲学1 認知篇』、共訳書にブランダム『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』がある。

「2022年 『言葉の展望台』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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