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感想・レビュー・書評
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著者はマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」を全く新しい観点から読み、ウェーバーに対する私たちの先入観を壊してくれる。つまり資本主義の発展はキリスト教信仰(プロテスタントの職業禁欲倫理)だけではなく、合理的組織(法人である会社制度)を生んだことにあると彼は読み解いていたにも関わらず、組織について、そして資本主義の精神についても、彼自身の理解もその段階では限界があったため中途半端な説明にとどまらざるを得ず、それを20世紀の社会学者ルーマンが「コミュニケーションのシステム」として、経営学者H・A・サイモンの「経営行動」でいう意思決定の連鎖との思想との繋ぎを果たしたとの説明である。非常に明確な説明であり、経営学との関連も理解し易く大塚久雄のウェーバー理解が古色蒼然としていたことを、初めて感じさせられることになった。
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そもそもウェーバーのプロ倫に手をつけずじまいでありながら、なにか得るものがあればと。
ルーマンの名やオートポイエーシスという語句は、西垣通の著作で見たあれかと思いながら、門外漢的に読み進めはしたものの、ある程度は新書としての手軽さがあるはずながら、社会学の興りとして、こういった言説が繰り広げられた(からこそ学問として成立し始めた)のかと時代性と学問性の距離を思う。
選書といったレーベルの、専門書手前の書籍群において、最近は社会学の領野が知的関心を満たすに適しているなと感じていたが、その学術の裾野にたつ大学生レベルであっても、研究としての形を追いかけるにはやはり好事家のえり好みのようなものでは踏み進むには難渋な道があるのだと思い知らされる。 -
社会学全般についての説明ではない。ウェーバーの「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」をどのように読んでいくかについての解説である。その根拠として、ウェーバーが自分の親せきが営んでいた会社組織、昔の京都の西陣織問屋のような組織で、織り手と買い手を結びつけ、大量生産を行う会社ではなく、買い手の求めに細かく応じた少数高級路線の商品生産仲介会社の経営で成功した人を具体的に説明したということであった。そこには、プロテスタントの倫理ということで、カトリックと異なる倫理があり、単に精神的な問題ではないということであった。しかし、合理的組織についての研究としては途中のものであり、それがルーマンに引き継がれていくという説明であった。
ウェーバーの著作を読んで学習しようとする学生にとっては必読の書であろう。 -
社会学とは何か
そう聞かれて明確な答えが出せない私自身にとって、社会学が現在に至るまでどのように歩んできたのかがわかる内容であった。
いい意味で社会学の捉え方が変わった