鎌倉に遊びに行く機会があったので、慌ててkoboに突っ込んで読んでみた。
ようやくこれで前期三部作を一通り読めたことになる。
××××が あらわれた!
そうすけは にげだした!
しかし まわりこまれてしまった!
……そんな感じ。
敵の名前は「やすい」ではなく、「うんめい」とか「じんせい」とか、そういうものだろう。漱石の描く、悩める男性には、他人とぶつかり合おうというエネルギーが根本的に欠如していると思う。ひとつ殴り合いのケンカでもすれば、意外と解決することだってあるかもしれないのに。
しかし宗助は逃げ出したせいで、かえって苦しめられることになったのではないか。
降って湧いたような宗助の鎌倉参禅は、漱石の病状悪化によって劇的なクライマックスを避けざるを得なかったからだとか早く終わらせなければならなくなったからだとかいう話を聞いたことがあるが、私はこれで「良かった」と思う。もちろん宗助の行動として正しかったという意味ではない。作品として良かった、ということだ。
かつての親友同士は再会の機を逸し、そして二度と出会うこともないだろう。鎌倉から帰った後の宗助の孤独感がすさまじい。もはや、御米にも彼の孤独は分かち合えまい。
宗助は、やがて『こころ』の先生に繋がっていくように見えた。その末路は書くまでもない。
そして、弟の小六にも、なぜか同じ運命を透視してしまう不思議。
円覚寺の門は立派でした。紅葉が綺麗でした。