無常という力: 「方丈記」に学ぶ心の在り方

著者 :
  • 新潮社 (2011年11月25日発売)
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東日本震災と原発事故を経て、「方丈記」を読み返すひとが増えているという。
NHKの番組を見て方丈記への興味がわき、久しぶりの文学作品として読んでみた。

国語の時間に方丈記の冒頭の部分、

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

を習ったひとも多いと思う。
子供の時の鴨長明の印章は、

「隠遁生活をする世捨て人の気難しいおじいさん」

というものだった。
でも、本書を読み返してみて、子供の時には分からなかった無常という考えが、すごく心にしみた。
大人になり後にしてきた時間が多くなったのもあるけど、やはり震災からの影響が大きい。

作者の方は福島で住職をされている。
そして、この本の冒頭部分は、「震災と原発事故後の福島から見た方丈記」という内容になっている。

方丈記を読もうと現代語訳をkindleで探していた時、この本を選ぶのに、当初抵抗があった。
震災後に読まれているという「方丈記」だけど、その本質を知る為には、「震災」というフィルタがない方が望ましいと思ったからだ。

しかし、試し読みで読んだところ、一番読みやすく、率直に書かれていた為、この書籍を手にとった。

本書の構成は

1.無常という力(震災後から見た方丈記のエッセンスの解説)
2.方丈記 現代語訳
3.方丈記 原文

となっている。
なので、著者の意見もしっかりわかるが、鴨長明の文章と原文もある。
構成としては、2,1,3の順が良さそうだけど、読み進めるにはこの順番が、やはり妥当なのだろう。


一番印象的な所は、鴨長明は出家して方丈(移動可能なぐらいの掘っ立て小屋。現代のダンボールハウス)で生活しているのだけど、悟ったひとの説教ではなかったという事。

平安末期、ちょうど、平家末期の源平争乱機。
京都は戦乱、大火災、竜巻、飢饉、大地震に連続して見まわれ、酷い有様だった。
この当時の災害の記録では、参考文献として方丈記がよく挙げられている。

鴨長明は元々貴族であったが、跡目争いから脱落し、貴族としての人生をドロップアウトして、出家し、方丈の生活に入る。

人里離れた場所で、方丈の庵で生活を始めた鴨長明が記した随筆が方丈記。

面白いのが、方丈の生活を始めた頃の様子を描いた場面が、ドヤ顔で書かれているところだった(笑)。

相次ぐ災害と流転の人生から、無常感を強く意識した彼は、

「都の人々は、こんなに儚く脆い世の中なのに、大金を積んで立派な館を建て、偉いひとの顔色を伺い、まわりを妬ましく思うなんて、なんて愚かな事だろう。この小さな方丈の中にこそ、安息と平和があるのだ。」

と語る。そのウキウキした、ちょっと自慢そうな文面は、とても愛らしい。

現代で例えるなら、会社員での人生をやめて、フリーになり、ノマドワーカーとしてスタバでライフハック系のブログを書いているような感じだ。

都での暮らしから離れていると、いろいろと人間関係が客観的に見えるようで、
(以下、僕の現代語訳)

「リア充はウザいし、独り者だと馬鹿にされるし、資産があればいろいろ心配事ばかりだし、貧乏だったら妬み事ばかりだ。」
「人に頼ると、なんかその人のものみたいに扱われるし、人を愛したら、心が束縛されてしまう。」
「もう、どうせいっちゅーねん」

とボヤキ出すw


それに比べると、自分の今の生活はなんて幸せなんだろう!何事にもとらわれない生き方は素晴らしい!

でも、最後の最後、彼はこう考える。

「いや、待てよ。無常と執着しない心を唱えていた私だけど、この方丈の生活を嬉々として語る私って、もうこの生活に「執着」しちゃっているよね?」

と急に不安になる。そして、そこで本編はぱったり終わる。



僕は今まで、自然回帰とか、反グローバリズムとかをあまり信用していなかったのは、語っている人たちが資本化とグローバリズムで得た快適さを維持しながら、ファッションで自然や地方に篭ろうというように見えたからだ。

方丈記でも都の人々の愚かしさを馬鹿にしながら、でも、鴨長明はしっかり都の人から托鉢で食べ物を得ている。

方丈記のこの唐突な終わり方について、作者は

「無常とは揺らぎ続ける事」

と語っている。

政治の世界では「変化する事」は攻撃の材料になる。
だけど、全てのものが無常であれば、ブレない事になんの意味があるのだろう?

仕事でもそうだけど、変化する事と優柔不断は違う。


作者がこの「変化する力」「揺らぐ力」を「風流」と例えた箇所ば素晴らしかった。


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<i>風流というのは、もともと「揺らぐ」という事です。
揺らぐというのは、何かことが起こった時に、毎回新鮮な気持ちでそれに対応しようという姿勢です。
「こうしよう」とあらかじめ決めてあった通りに行動することはできない。
どこかの政党のように、マニフェストに書いてあるから変えられない、なんていうのは全然揺らいでいない。
今まさに起こっている事に対して揺らぐつもりがないわけで、あれほど風流から離れている事はない。
揺るぎない信念を持つ、なんて一見褒め言葉ですが、そんなの、デクノボーと同じです。
本当は、世の中の成り立ちに合わせて揺らがないといけないのです。
今現在を見つめて、どんどん揺らげばいい。</i>

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経済と原発に関する考えでは、僕と作者の方は違う意見なのですが、この言葉はとても心にしみました。

そして、おそらく、この言葉に、方丈記のエッセンスがつまっているのでしょう。

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カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2019年1月17日
本棚登録日 : 2019年1月17日

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