拳の先

著者 :
  • 文藝春秋 (2016年3月10日発売)
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感想 : 59
5

「空の拳」続編(続編とはいえ、単独でも十分楽しめる)。出版社の文芸編集担当として慌ただしく過ごす空也が、久々に、かつて関わっていたボクシングジムに関わることとなる。
ボクシング雑誌担当時代はへなちょこっぷりが目に余るほどだった空也だけど、今回は前作ほどボクシングにどっぷりというわけでもなく、ワンクッション置いたところから状況を見ているためか、落ち着いてストーリーを追うことができた。新キャラとして登場した作家・蒼介。だが、一癖二癖ある面倒な人物で、ボクシングに興味を持ち始めたはいいが、イヤな予感しかしない。不快なキャラだが、ちょっと違った視点からボクシング界が見えてくる。空也と同い年の花形ボクサー・立花は着々とキャリアを積んできたが、ライト級にすさまじい強さを見せる大型新人が登場し、本作では割と早い段階から、立花に翳りが見え始める。その翳りの正体が掴めず、常に漂うもやもやした不穏な空気。その不穏さを早く取っ払いたくて必死でページをめくるが、その不気味さに読む側まで足を絡め取られた気分になる。
更に、ジムに通う小学生・ノンちゃんを取り巻く状況からも目が離せない。立花ファンで、強くなりたいと健気にトレーニングする彼だが、ひた隠しにするいじめの兆候を、見て見ぬ振りができない空也。
前作と比べると、スポーツ小説らしい爽快感は少ないかもしれない。試合の描写は臨場感に溢れてリアルだけど、どちらかというと全体を通してとにかく苦さが際立つ。キャリアを重ねていくからこそ、ぶち当たることを避けられないいくつもの壁。否応なく感じてしまう限界、己の弱さ、恐怖心。じわじわと不安の正体をあぶり出していく手法は、さすが角田さん。ボクシングがテーマではあるけど、こんな思いを誰もがしているのではないだろうか。
長く、非常にボリュームのある一冊だが、飽きることはなかった。角田さんの放つ言葉の一つ一つが、まるでパンチのように心に鋭く刺さった。非情な現実に打ちのめされる場面も多かったけど、空也の真摯さにすごく救われた気がする。強くもかっこよくもない空也かもしれないが、腕っぷしという意味ではなく、一本筋の通った心の強さを感じた。こんな風に相手を思いやり、そっと支えることができたらと思う。負のスパイラルの渦中の立花に対しても、散々自分を振り回す蒼介に対しても(書きたいことを求めたあげくの彼の行動も、何気に目が離せない)、身の振り方に悩むノンちゃんに対しても、放っておくことができないある種のお節介さを、好ましく思う。
拳の先に見えるものの重さ、儚さ、苦しさ、残酷さ。アスリートが背負うものの一端を本書で垣間見ることができた気がする。壮絶さを極めた先にはきっと、まだ見たことのない景色が広がってることだろう。自分の目指す結果が、得られたとしても得られなかったとしても。そんなことを感じさせてくれた、とても意味のある出会いだった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 角田光代
感想投稿日 : 2017年1月9日
読了日 : 2017年1月9日
本棚登録日 : 2016年12月15日

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