再読。
蠍や蛇に咬まれながらも萎びた乳房から子供に乳を与えるチャームンダーの女神も、木口を生かすために人肉を食べた罪に苛まれる塚田をなぐさめたガストンも、病気の沼田の話し相手になり身代わりにもなった九官鳥も、美津子らから馬鹿にされ、どこからも爪弾きにされて最も卑しいものの中で生きる大津も、愛なる神なのだ。神は清潔で絶対的な正しさとして君臨するものではなく、玉ねぎのように身近にあり、醜く穢く蔑まれ、馬鹿にされている。ピエロであり、無力であり、滑稽なものなのだ。この世のすべてのもの一人ひとりが抱える、他人にはどうしようもない哀しみ。それをすべて受け入れて流れる深い河もまた、愛なる神。大津の言う汎神論的な宗教観や、善悪二元論的に分かたれない渾沌とした世界観は、西洋の基督教から見れば異端なのだろうが、サーバントリーダーシップというか、このキリスト観にこそ共感してしまう。
妻に先立たれ、その生まれ変わりを探す磯辺自身の中に妻が転生し、大津やマザーテレサの修道女の中にキリストが転生している。人々はよりよき転生を願ってガンジス河にやってくる。転生ってなんなんだろう?
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
未設定
- 感想投稿日 : 2020年3月7日
- 読了日 : 2019年2月24日
- 本棚登録日 : 2019年2月24日
みんなの感想をみる