一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

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  • 講談社 (2011年11月22日発売)
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<要約>
「熟議」だけが理想とされる民主主義の限界を、Googleなどのネットワークによって見えるようになった「一般意志2.0」を使ってツッコミを入れ、風通しをよくしましょう、という話。行き着く先は、個々人の世界に対する考えに折り合いをつけながら実現される社会ではない。個人の信条は、個人の領域にとどめられる社会になる。

「熟議」は人間の理性を信用して、話し合いでよりよい世の中にしていこうという考えで、それはとても大切なことである。しかし同時に、動物的反応が社会に影響を与えることも(極端なナショナリストなど)また真実で、それを押さえようとしてもムダ。各々の思想を政治的にコントロールするのは不可。

様々な思想を持つ人がバラバラのまま存在する、という状態が理想的とした人が、ローティ。相対主義者。しかし、相対主義というのは矛盾を持つもの。相対的で居なさい!と人に押し付けることが出来ないから。そして彼はこれに耐えることこそが重要だと考えた。「神の存在を信じながら、神の存在を信じない人との対話を続けること」つまり、自分と違う人との対話を諦めない。イデオロギーが違う人とでも、時々、場当たり的に「想像力」によってつながれるはず。(これは動物的反応とも言える)これが一般意志2.0の世界。

ルソーの言う「一般意志」とは、数学的な存在であり、その意志を適切に実現することが出来る者を政治の執行者とすればよいと考えたため、民主主義でも、王権でも、独裁でもよいということになる。東さんの提案では、ルソーの言った一般意志は、ネットワーク技術の発達によってかなり高精度で可視化できる。人々の欲望を無駄なく計算することが実現可能になるのでは?それを可視化し、熟議の場で利用すればよいのでは?ということ。(彼はニコニコ動画等でそれを実践している)

フロイトが言う「無意識」の発見は、革新だった。フロイトは、無意識を認めた上で、意識の上で、いかに飼いならすかを考える必要がある。これは、熟議(=意識の世界)の中で、いかに一般意志(=無意識)をコントロールするか、という考えとつながる。

<思ったこと>
「日本人は話し合いが下手だが、代わりに空気が読める」という言葉があった。ニコ動のコメントを読むこと等の例が上げられていたが、日本人らしい政治のあり方についてもう少し知りたくなった。ローティーの思想を聞いて、村上春樹の「説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ」というセリフを思い出した。「神の存在を信じながら、神の存在を信じない人との対話を続けること」この言葉には何故か無性に感動した・・・

一般意志=数学的・動物的・ベクトル的・無意識的・バラバラのまま存在・ルソー的・ロールズ的

熟議=コミュニケーション的・理性的・スカラー的・合意形成・カント的・ヘーゲル的

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2013年4月29日
読了日 : 2013年4月29日
本棚登録日 : 2013年4月29日

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