嫌われる勇気

  • ダイヤモンド社 (2013年12月12日発売)
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2013年出版ということだが、未だに売れ続けている大ベストセラー。
悩める青年と、アドラー心理学を説く哲人との対談形式になっていてとても読みやすい。
読んでいて抱く疑問や反駁を青年が即座に代弁してくれるのが最高に気持ちいいし、最後まで諦めずについていくことができる。

アドラーは心理学者だけれど、その思想はとても哲学に近いものがあった。あるいはキリスト教にも。
「私の心理学はすべての人のものだ」とアドラーが言う通り、これまで読んできた本にもいくらか似たエッセンスを感じるものがあったなぁと思った。「夜と霧」や「塩狩峠」なんか特に。

自分の中でアドラー心理学を完全に咀嚼することはまだ難しいので、以下引用を書き残しておく。折々読み返すこと。

【トラウマは、存在しない】
アドラーが「経験それ自体」ではなく、「経験に与える意味」によって自らを決定する、と語っているところに注目してください。たとえば大きな災害に見舞われたとか、幼いころに虐待を受けたといった出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロだとは言いません。影響は強くあります。しかし大切なのは、それによってなにかが決定されるわけではない、ということです。われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。

【あなたの不幸は、あなた自身が選んだもの】
あなたは人生のどこかの段階で、「不幸であること」を選ばれた。それは、あなたが不幸な境遇に生まれたからでも、不幸な状況に陥ったからでもありません。「不幸であること」がご自身にとっての「善」だと判断した、ということなのです。

【人は常に「変わらない」という決心をしている】
アドラー心理学は、勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ、"勇気"がたりない。いうなれば、「幸せになる勇気」が足りていないのです。

【自慢する人は、劣等感を感じている】
強い劣等感に苦しみながらも、努力や成長といった健全な手段によって補償する勇気がない。かといって、「AだからBできない」という劣等コンプレックスでも我慢できない。「できない自分」を受け入れられない。そうなると人は、もっと安直な手段によって補償しよう、と考えます(優越コンプレックス)。

【非を認めることは「負け」じゃない】
怒りっぽい人は、気が短いのではなく、怒り以外の有用なコミュニケーションツールがあることを知らないのです。だからこそ、「ついカッとなって」などといった言葉が出てきてしまう。怒りを頼りにコミュニケーションしてしまう。われわれには、言葉があります。言葉によってコミュニケーションをとることができます。言葉の力を、論理の言葉を信じるのです。

【「人生の嘘」から目を逸らすな】
アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の嘘」と呼びました。

【「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない】
ニヒリズムではありません。むしろ逆です。他者からの承認を求め、他者からの評価ばかり気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。
そして、覚えておいてください。もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。

【対人関係の悩みを一気に解消する方法】
まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか。冷静に線引きをするのです。
そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。これは具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。

【ほんとうの自由とはなにか】
カントの「傾向性」とは、本能的な欲望、衝動的な欲望ということです。では、そうした傾向性のおもむくまま、すなわち欲望や衝動のおもむくまま生きること、坂道を転がる石のように生きることが「自由」なのかというと、それは違います。そんな生き方は欲望や衝動の奴隷でしかない。ほんとうの自由とは、転がる自分を下から押し上げていくような態度なのです。

「嫌われたくない」と願うのはわたしの課題かもしれませんが、「わたしのことを嫌うかどうか」は他者の課題です。わたしをよく思わない人がいたとしても、そこに介入することはできません。無論、先に紹介したことわざでいうなら「馬を水辺に連れていく」ところまでの努力はするでしょう。しかし、そこで水を呑むか呑まないかは、その人の課題なのです。

【あなたは世界の中心ではない】
自分の人生における主人公は「わたし」である。ここまでの認識に問題はありません。しかし「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです。

あなたもわたしも世界の中心にいるわけではない。自分の足で立ち、自分の足で対人関係のタスクに踏み出さなければならない。「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人になにを与えられるか?」を考えなければならない。それが共同体へのコミットです。

【自分には価値があると思えるために】
人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。これがアドラー心理学の答えになります。

【若者は大人よりも前を歩いている】
しかしこのとき、たとえ家族から「ありがとう」の言葉が聞けなかったとしても、食器を片づけながら「わたしは家族の役に立てている」と考えてほしいのです。他者がわたしになにをしてくれるかではなく、わたしが他者になにをできるかを考え、実践していきたいのです。

他者を「敵」だと見なしたままおこなう貢献は、もしかすると偽善につながるのかもしれません。しかし、他者が「仲間」であるのなら。いかなる貢献も偽善にはならないはずです。あなたがずっと偽善という言葉にこだわっているのは、まだ共同体感覚を理解できていないからです。

【「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てよ】
われわれはもっと「いま、ここ」だけを真剣に生きるべきなのです。過去が見えるような気がしたり、未来が予測できるような気がしてしまうのは、あなたが「いま、ここ」を真剣に生きておらず、うすらぼんやりした光の中に生きている証です。
人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与えようとしている。過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。

【人生最大の嘘】
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。
あなたはこれまで。「いま、ここ」から目を背け、ありもしない過去と未来ばかりに光を当ててこられた。自分の人生に、かけがえのない刹那に、大いなる嘘をついてこられた。

【無意味な人生に「意味」を与えよ】
アドラーのいう「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」とは、まさにそういうことです。人生一般には意味などない。しかし、あなたはその人生に意味を与えることができる。あなたの人生に意味を与えられるのは、他ならぬあなただけなのだ。と。

あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ身失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。

つまり、「わたし」が変われば「世界」が変わってしまう。世界とは、他の誰かが変えてくれるのではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない、ということです。アドラー心理学を知ったわたしの目に映る世界は、もはやかつての世界ではありません。

もう一度、アドラーの言葉を贈りましょう。「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 自己啓発
感想投稿日 : 2020年7月15日
読了日 : 2020年7月13日
本棚登録日 : 2020年7月13日

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