レヴィ=ストロ-ス入門 (ちくま新書 265)

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  • 筑摩書房 (2000年10月19日発売)
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小田亮著「レヴィ=ストロース入門(ちくまプリマ―新書)」(筑摩書房)
2000年10月20日発行

2021.10.5読了
レヴィ=ストロース(1908-2009)は1962年にその著書「野生の思考」において、実存主義者ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)を批判した。その五年後、ポスト構造主義を代表するジャック・デリタ(1930-2004)はその著書「グラマトロジーについて」において、レヴィ=ストロース批判を行った。サルトルもデリタも哲学者であるが、レヴィ=ストロースは文化人類学者であって哲学者ではない。レヴィ=ストロースはなぜサルトルを批判し、そして、デリタはなぜレヴィ=ストロースを批判したのか。ここ(第1章)を理解できれば、本書の真髄を理解できたと言って言い過ぎではあるまい。

 西洋哲学はこれまでずっと「主体」の呪いに囚われてきた。デカルト(1596-1650)から始まり、ニーチェ(1844-1900)によって本質主義・同一性の哲学が転覆させられるまで、「西洋=普遍」であることを前提としてきた。

西洋哲学者が西洋文明という一つの社会だけを考察し続けた結果、西洋人は非西洋の諸社会や西洋内部の田舎や下層階級を文明化する使命があるという幻想に囚われ、多くの「未開」社会を植民地化してきた。その際の思想的支柱となったのが、「共同体からの解放」という物語である。

 しかし、この物語は、実際には様々な交通や開放性、異種混淆性を持っている共同体を、「閉鎖的で均質的な共同体」という概念に押し込んで、解放や開発の名のもとに均してしまうことを正当化する恐ろしい副作用がある。

 もともと哲学を専攻していたレヴィ=ストロースは、一つの社会だけを考察し続ける哲学を放棄して、人類学者へと向かった。ユダヤ人でもあったレヴィ=ストロースは、第二次世界大戦時にアメリカへ亡命していたことがあり、ジェノサイドの当事者でもあった。そうした経験も非西洋に向かわせた一因だったのかもしれない。

 レヴィ=ストロースが試みたのは、非西洋の諸社会の視点に立って、西洋社会を覆っていた「主体」の呪いを解くことであった。その呪いを解く方法として構造主義があり、その説明は「親族の基本構造」「神話論理」の読解を通して、第2章以降詳しく触れられている。レヴィ=ストロース自身は哲学的思考を基礎付けようとしたことはないと言っているが、一方で、「野生の思考」や「真正さの基準」という概念も提示している。そして、本書の狙いは、まさにこの「野生の思考」と「真正さの基準」を明らかにすることであった。

 したがって、本書は入門書でありながらやや難しい。橋爪大三郎著「はじめての構造主義」の方が易しい。後者は構造主義という方法論のみに焦点をあてているからであろう。  

 しかし、「レヴィ=ストロース」の入門書としてはやはり「野生の思考」に触れないわけにはいかないのであって、難しさとしては、渡辺公三著「レヴィ=ストロース-構造」と橋爪大三郎著「はじめての構造主義」との中間くらいだろうか。

 本書は、今まであまり取り上げられることのなかった「真正さの基準」を鍵概念として取り扱い、そこで働く「野生の思考」こそ現代において重要なものなのだと唱えている。そこをうまく説明できればいいのだが、残念ながらまだ自分の言葉で説明できない。ただ、一つだけ言うとしたら、共同体に多様性を認めるレヴィ=ストロースの考え方が好きだということだ。

URL:https://id.ndl.go.jp/bib/000003010375

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 38 風俗習慣,民俗学,民族学
感想投稿日 : 2021年10月9日
読了日 : 2021年10月5日
本棚登録日 : 2021年10月3日

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