この巻の終わりに父時頼が亡くなり、次巻よりいよいよ執権時宗の話がはじまります。
いずれは訪れるであろう蒙古襲来に向けて、時頼はできるだけのことを精力的に行います。
博多の商人謝国明・太郎の親子、松浦党の佐志房(さしふさし)、十三湊(とさみなと)を支配する安藤五郎。
外敵のことを知るには、海の民を味方につけなければならない。
対等な立場で国を守ることを約束し合う。
自分のところだけではなく、同じ国に住む同士としてのつながりを意識させたこと。
それを日本の安寧の基礎となしたところに、時頼の非凡さがあると思った。
ところで、『楊令伝』で梁山泊の取引相手のひとつであったのが日本の十三湊。
「都の藤原氏とは別系統の藤原氏の末裔である」安東氏の一族である五郎が、梁山泊のメンバーと行動を共にしているんだよね。
なので、安藤五郎が出てきたとき、ちょっとにやりとしてしまった。
ついでに地図で十三湊の位置を確認。
津軽半島の中ほどに位置する十三湊は、私が思っていたのよりはるかに北。
ここと博多をつないだのか―。すごいな。
蒙古襲来に向けて時頼がやったことはもう一つ。
自身の跡取りは、次男の時宗であることを対外的にはっきりと示したということ。
北条氏が、鎌倉幕府が、仲間割れして戦いあうことほど不毛なことはない。
揺るぎのない北条市・鎌倉幕府であることを何よりも時頼は願っていた。
しかしそれは長男の時輔を、また弟の時宗をも苦しめることになっていることは時頼にもわかっている。
出来の良い庶子である時輔に、父として、執権として時頼は言う。
「優れた弟を配下に従える将と、頼りとなる兄を身近にもつ将とでは、どちらが戦さに勝利できると思う?」
これで全てを理解できる時輔は立派だ。
少年の頃の時宗には
「そなたの目で見て、そなたの耳で聞け。そなたは執権となる身だ。たとえ親の言葉であろうと信ずるな。執権とはこの国を導く者。人に左右されては乱れの原因(もと)となる」
父について鎌倉から十三湊へ、そして博多までの旅をした時宗の素直な心が、一つ一つのセリフに込められていて、黙読しているのに子どもの時宗の声でセリフが頭に入ってくる。
これはさすがになかなかない体験で、そうか時宗少年はこのような話かたをする子なのだなと後追いで理解する。
ほほを上気させ、目をキラキラさせながら、背をぴんと伸ばし父に話しかける時宗少年が見える気がした。
- 感想投稿日 : 2018年3月21日
- 読了日 : 2018年3月21日
- 本棚登録日 : 2018年3月21日
みんなの感想をみる