吉本隆明を読み解くための思考や思想を説く本ではなく、どちらかというと、村瀬学の思想を補強するためにうまく吉本隆明を使っているように読めた。
また、聞き手の佐藤幹夫という人も、自分の考える方向に誘導するようなところがあり、どうも公平中立な吉本隆明論には読めない。
なんとなく後出しじゃんけんのような。
興味深かったのは視線の話。
「垂直からの世界視線」は身の丈の視線。
「上から見る目」は空間的な高みを表わしているだけではなく、「時間を見渡す目」でもある。
1階から2階、2階から3階と、費やされた時間を上から一望できるというイメージで。
だから権力者は上から下を見渡したがる。
“若い人たちがひっきりなしに発信したりするのは「目の高さ」からのケータイなんです。けれども、もう一つ、それを「上」から見て、逆探知する目があることも考えなくてはならないわけです。それはとても危険で、ちょっと「上」にいる連中がそれを使って、悪どいことをしようとすればいくらでもできるようになる。というのも、「上」から見ることのできる権力機構からしたら、発信の中身はすべてお見通しになってしまうからです。”
“映像の操作でいくらでも無関心な若者は、「立ち上がる」ようにしむけられると思います。”
映像の操作、つまり共同幻想によって作られた敵に向かう自分を簡単に作り出していくことになる。
これらの文章を吉本隆明は戦争に駆り出された若者をイメージして書いたのかもしれないけれど、私はテロに走る人々を想起してしまった。
そうならないためには、身の丈の視線を忘れず、なおかつ上から見る目を感じ続けること。
煽られて自分を見失うことがないように。
- 感想投稿日 : 2016年12月14日
- 読了日 : 2016年12月14日
- 本棚登録日 : 2016年12月14日
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