塩の街 (角川文庫 あ 48-3)

著者 :
  • 角川書店(角川グループパブリッシング) (2010年1月23日発売)
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【守るべきものがなくて戦ってはいけないのか?】

古今東西、思えば我々人類は、あるときは天災・災害、あるときは地球人同士、そしてあるときは地球外知的生命体との戦いの歴史を繰り返してきました。えっ?って、もちろんここで言っているのは、映画やアニメ、そして小説などの架空世界のことです。リアルであっても架空世界であっても人は自分が侵略者という認識がない限り、自らの戦いを正当化したくなるのは当然のことです。でも理由も無しに漠然と【それでも守りたい世界があるんだ!】というのは決め台詞としてはいいかもしれませんが、現実感を伴うには何かしらもっと具体的なものが必要に思います。あくまで自分の世界の中で完結させるなら【僕は、あの人に勝ちたい!】という理由もそれが少年の叫びであれば心に響いてきますが、古今東西の圧倒的大半の作品では、【愛は地球を救う】、これがもう誰もが待ち焦がれるメインテーマだと思います。でも、我々がそれら架空世界の物語に期待することは本当に『地球が救われる』ことなのでしょうか。我々はその作品に何を期待しているのでしょうか。

『東京ってこんなに遠かったんだなあ』と重いリュックを抱えて歩く遼一はついに意識を失います。『あのー大丈夫ですか?もしもし?』という声に目を覚ました遼一。小笠原真奈という少女に助けられた遼一は真奈の大家という秋庭のマンションに入れてもらいます。遼一を連れてきた真奈に不満の秋庭でしたが、『海に行きたい』という遼一の希望を叶えセダンを調達して、真奈も連れて海に向かいます。『海月って言うんだ』、そう言ってリュックを開ける遼一。そこには目一杯に詰め込まれた塩がありました。『あんたの恋人か』と問う秋庭に『最後の瞬間だけそうだったかも』と告げる遼一。そして『きれいなままで塩の柱になれるように』と、『一粒残さず ー そんな執念で、遼一は塩を撒き切った』のでした。そして、自らも海へと進む遼一。『彼女を海に溶かして、自分も海に溶ける。二人とも同じ濃度の塩の水に ー そのために彼はここへ来たのだ。彼女とひとつに溶け合うために』。そんな遼一を見届ける秋庭と真奈。それは、具合が悪くて真奈が学校を休んだ日のことでした。突如ニュースの特番が流されているのを目にした真奈。『本日午前八時半、東京湾、羽田空港沖に建設中の埋め立て用地に巨大な白い隕石らしき物体が落下』『飛来した隕石の主成分は塩化ナトリウム』『怪現象は便宜上塩害と名づけられ』、という現実感を伴わない、そのニュースが全ての始まりとなりました。『人間が塩の彫像になる』という現象により『関東圏の人口が三分の一に』『塩害を防ぐ方法は今なお全く不明』『治療方法も発見されておらず、一度塩化が始まったら手の施しようがない』という危機的状況により『たった二週間そこらで、街並みは荒れ果て、殺伐としていた』と『世界は激変した』展開に進んでしまいます。そんな中、秋庭、そして真奈は、数多の危機を潜り抜け、戦場へと向かい、地球の人類の危機に立ち向かっていきます。

SFですから、どんな設定もありだと思いますが、この作品では、隕石という地球外からのある意味での侵略による人類壊滅の危機というシチュエーションを設定しています。しかし、異星人が出てくるわけでもなく、あくまで敵は『塩化ナトリウム』というところが、ある意味新しいと感じました。何かしらの生物である方が敵味方の意識ははっきりしやすいものだと思います。どちらかと言うとこれは災害・天災ものと捉える方が違和感がないようにも思いますがそうなると読者の怒りのやり場がなくなってしまうという難しさがあります。それもあって『ここに住んでいるの食べ頃の女子高生ただ一人ってわけだ』『死ぬ前に少しでも気持ちいい目に遭ったほうが得ってもんだろ』と荒んだ街の人々を悪人に見立てて、読者の怒りのやり場を違う方向に向けていきます。ただ、個人的には、舞台を日本とした場合に『街では店という店が破壊され荒らされており』とか、『街並みは荒れ果て、殺伐としていた』というイメージはどうしても、違うかなぁという印象は受けました。心のどこかで、そんな時でもこの国はそんな国になって欲しくないという願いから出てくるものだとは思いますが、この辺りは、人によって考え方、感じ方は違ってくると思います。

一方で、荒れた街に対比してこんな表現が出てきました。『海も空も太陽も、誰かに見せるために朱に染まるのではない。綺麗な景色に意味などなく、それはただ綺麗というだけのことだ。美しいと誉めそやすのは見ている側の勝手な評価で景色は美しくあろうとして美しいわけではない』。ある意味冷静で、ある意味とても冷めた表現ですが、この作品世界の置かれた状況を考えると、そして、遼一の思いを考えるとこのシーンにとてもふさわしく、とても印象に残りました。

そして、有川さんは、この作品が生まれた背景について『好きな人を失う代わりに世界が救われるのと、世界が滅びる代わりに好きな人と最期を迎えられるのと、自分ならどっちを選ぶかなぁとただそれだけで走り出したお話でした』とあとがきに書かれています。人が塩に変わっていくという大胆な設定のこの作品。それだけを考えると、幾らSFとはいえ、入り込めない人は最後まで入り込めないと思います。でも、わたしは、この作品はそこではなくて、あくまでこれは一つの恋愛物語なのだと思いました。この作品を読み終わって感じたのは、後半部分、『塩との闘い』のあまりの物足りなさです。映画だったら、ミサイルが宙を舞い、戦闘機が大旋回を繰り返し、派手に炎が燃え上がる、その一番の山場が、ない、全くない、出てこない。でも、これは盛り上がらないのではなくて、この作品が、未知の『塩』という巨大な敵との闘いを描いたものではなく、【やらせはせん!やらせはせんぞ!】と守る対象は、あくまで愛する真奈。『愛は世界なんか救わないよ。賭けてもいい。愛なんてね、関わった当事者たちしか救わないんだよ。救われるのは当事者たちが取捨選択した結果の対象さ』という入江の言葉にある通り、世界が救われるのはあくまで結果論の世界。【守るべき人がいる】、【守るべき人を守る】、そして守り通した結末に、世界が救われたという結果論がついてきただけの世界。それは【不自然なこと】ではない。そう、これは単なる『10歳の歳の差を超えた男と少女の恋愛物語』とすれば、これは定石どおりのエンディングではないかと思います。だからこそ、定石どおりの【まだ、ぼくには帰れる所があるんだ。こんなにうれしいことはない】という感動の結末がふさわしい。ただの恋愛物語の背景に、自衛隊という巨大組織を、滅びゆく世界を、そして人類の未来をも大胆に巻き込んで描かれた壮大な世界の小ちゃな恋愛物語。押さえるところをきちんと押さえた有川さん渾身のデビュー作。見方を間違わなければとても上手くできた作品だと思いました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 有川浩さん
感想投稿日 : 2020年6月1日
読了日 : 2020年5月31日
本棚登録日 : 2020年6月1日

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コメント 1件

ぴよこさんのコメント
2020/09/20

さてさてさん、こんばんは。

いつもコメントありがとうございます。
なかなか、こちらから返せずに申し訳ありません。

レビュー興味深く拝見しました。
私は、有川浩さんの名前は知っている程度で、作品は読んだことがないですが、このデビュー作は読んでみたくなりました。
ガンダムの名台詞、全部分かったわけではないですが、引用されたものなどを拝見し、なるほどと思いました。
こちらの作品、今度チェックしてみようと思います。
レビュー、教えてくだすってありがとうございます。

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