思い出のとき修理します (集英社文庫)

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  • 集英社 (2012年9月20日発売)
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あなたの『思い出』は壊れていますか?

 (*˙ᵕ˙*)え?

人は誰にも『思い出』があります。それは、幼き日に家族と過ごした『思い出』かもしれません。それは、中学時代の初恋の甘い『思い出』であるかもしれません。そして、長い時代を生き抜いた人の頭に蘇る走馬灯のような『思い出』の数々かもしれません。

時が経つにつれ、そんな大切な『思い出』もどんどん淡くなっていきます。何かきっかけがないと思い出せない記憶の中に埋もれてしまうものもあるかもしれません。しかし、そんな中にあっても誰にでも何かしら強く深く脳裏に刻まれて決して忘れることができない『思い出』もあると思います。それは幸せの絶頂にあった時代のことである場合もあると思います。その一方で悔しい思い、悲しい思いも決して消えることのない『思い出』だと思います。

さてここに、『悲しかった思い出を、楽しかったことにしたい』と『思い出』を修理することに光を当てる物語があります。全編にわたってノスタルジックな雰囲気に包まれるこの作品。そんな物語に『機械式時計』が良い味を醸し出すこの作品。そしてそれは、『過去は変えられない。でも、修復することはできる』という言葉の先に『思い出』というものが持つ意味を噛み締める物語です。

『おもいでの時 修理します』と、『小さなショーウィンドウの片隅に』ある『金属製のプレート』の文字を読むのは主人公の仁科明里(にしな あかり)。『どういう意味だろう』、『壊れてしまった思い出を、修理なんてできるものなのだろうか。そもそも、思い出は、壊れたりするものなのか』と思う明里は自分にも『壊れてしまった思い出がある』、『修復できるとは思えない』と感じます。『地図に目を落とし、このへんだ』と見回す中に『ヘアーサロン由井』と書かれた看板を見つけた明里は、『閉店して数年は経つという、かつての理容店。ここが明里の新しい家だ』と思います。『さっきの「思い出」の店のほぼ斜め向かい』という位置関係。そして、『子供の頃の記憶とは、ずいぶん違っていた』と『衰退の一途をたど』る街並みを見ます。『小学二年生のとき、母の都合で祖父母の元にあずけられた明里は、ここで夏休みの間を過ごし』ました。『あれから二十年』という再訪。そんな時、奥から猫が飛び出し『大げさに転んだ明里』に、『大丈夫ですか?』と『若い男の人』が現れました。『だ、大丈夫です』と返すと、『はじめまして。仁科明里さん』と男の人は語り出します。『僕は飯田秀司(いいだ しゅうじ)といいます…同い年で今年二十八』と続ける男の人は明里の情報は家主から聞いた旨説明します。『ここに住んでた由井さんのお孫さんなんだろう?』と続ける秀司は自身が『商店会の会長もやってる』ので『気軽に声をかけて』と言います。そして、『あそこが僕の家』と『斜め向かいにある建物を指さし』ます。『あの洋館…この人、思い出の修理屋さん?』と明里が思う中に『手を振って去っていった』秀司。
場面は変わり、翌朝、家を出たところで『あんたか、新入りの床屋』と言われ振り向いた明里はそこに『ぎりぎり未成年』と思われる男を見ます。『さっさと参拝をすませろよ』とよく分からないことを言われる中に秀司が現れ、太一という男と共に朝食に誘われます。そして、洋館へと入った明里は『所狭しと』並べられた時計を見ます。『時計屋だよ…飯田時計店』と話す秀司が作る朝食をご馳走になった明里。そんな時、太一が『これ動かないんだ』と『神社の境内』で拾ったという『角がボロボロ』のオルゴールを見せます。早速分解した秀司ですが、中には『写真のフィルム』が入っていて、スキャンするとそこには『家族写真』が浮かび上がりました。『どこの誰だかわからないよね』という太一に『張り紙』をして持ち主を探そうと秀司は提案をすると『直るかな』とオルゴールに向き合います。
再度場面は変わり、神社へとやってきた明里に『あのオルゴールの落とし主、捜してみないか?』と提案する太一。そんな時、『路地から駆けてきた女性が猫を目にとめ』、『パパ』と呼びかけます。そして、『植え込みに飛び込んで見えなくなっ』た猫。『あれ、あなたの猫?』と訊く明里に、『いえ…、ちょっと似てたんです』と返す女性は、『もう昔の話です。わたしが高校生のときだから』と続けます。『あの写真だ… 彼女は写真の娘によく似ている。黒い猫も写っていた』と『急に脳裏にひらめいた』明里…そしてオルゴールの落とし主を探す明里が、そんなオルゴールに隠された『思い出』に触れていく物語が描かれていきます…という最初の短編〈黒い猫のパパ〉。雰囲気感に溢れる街並みを描きながらこの作品の世界観を上手く描いた好編でした。

“仕事にも恋にも疲れ、都会を離れた美容師の明里。引っ越し先の、子供の頃に少しだけ過ごした思い出の商店街で奇妙なプレートを飾った店を見つける。実は時計店だったそこを営む青年と知り合い、商店街で起こるちょっぴり不思議な事件に巻き込まれるうち、彼に惹かれてゆくが、明里は、ある秘密を抱えていて…”と内容紹介にうたわれるこの作品。谷瑞恵さんの代表作の一つで第四作までシリーズ化されています。そんなこの作品を選んだ理由は書名です。「思い出のとき修理します」という書名を読んだ私は勝手に”タイムスリップもの”だと思ってこの作品を手にしました。少なくともファンタジーであるという勝手な思い込みです。しかし、そんな勝手な期待はあっさりと裏切られました。これから手にされる方が同様の勘違いをされないようにまずここに書かせていただきます。

 この作品は”タイムスリップ”とは無関係、ファンタジーでもありません!

まあ、勝手な思い込みは私だけかもしれませんが一応書かせていただきました。その上でこの作品を見ていきたいと思います。魅力的なポイントを二つ挙げたいと思います。まずは、『地方都市のベッドタウンとして発展中だという小さな町だが、この辺りはその恩恵にあずかれずに衰退の一途をたどっている』という『津雲神社通り商店街』にあり、主人公・明里の斜めお向かいさんともなる秀司の暮らす洋館の描写です。

 ● 『洋館(飯田時計店)』について
  ・『洋風の造りで二階の壁にはまるいステンドグラスの窓がある』
  ・『出窓くらいの大きさしかないショーウィンドウには、アンティークかと思われる置き時計がぽつんと鎮座していた。天使の彫像が周囲を飾る、時計というよりは美術品のように立派なものだ』
  ・『壁やガラスケースには所狭しと時計が並んでいたが、どれも見るからに年代物だ』
  ・『ここへ来ると普段より時間がゆったりと流れていくように感じられる。壁に掛かった古時計、その振り子の音だけが部屋の中を満たし、静かだと思わせる』

独特な雰囲気を感じる洋館の描写です。ここは秀司が営む『飯田時計店』でもあるわけですが、自然とイメージが思い浮かびます。そして、そこに暮らす秀司という人物の謎めいた雰囲気感にもピッタリだと思います。昨今、町の時計屋さん自体あまり見かけることも少なくなってきたと思いますが、こんな時計屋さんには是非行ってみたいです!掘り出し物もありそうです(笑)。

次は時計の修理をするのが仕事という側面での描写です。時計の修理という点に光を当てるこの作品には『独立時計師』という言葉が登場します。何かの資格なんだろうか?とも思う言葉ですが、こんな風に説明されます。

 『自分の工房を持ち、自分の技術のみで時計を製作しているという職人』、『その人の名を冠した時計は、有名なメーカーや高級ブランドと並んでも揺るがない』

なるほど。『修理屋さん』という言葉よりもそこには文字通り『職人』という言葉が似合いそうです。そして、この『飯田時計店』に置かれているのは『機械式時計』ばかりであることが説明されてもいきます。このレビューを読んでくださっている方の中にも時計が好きな方はいらっしゃると思います。

 『電池じゃない時計って、ネジを巻いて動かすのよね。今でもそういうのが好きな人って、たくさんいるもの?』

そんな風に質問する明里は『どうして機械なの?不便じゃないの?』と秀司に疑問をぶつけます。そのことに答える秀司の説明は『機械式時計』をこよなく愛する時計好きの方の思いを代弁します。

 『不便だよ。使い続けるにも手間がかかる。自動巻とか、ずいぶん便利になったけど、どうしてもメンテナンスが必要だからね』、『職人の意地の結晶というか、人の手で物に命を吹き込むことへの挑戦というか。そういうものに価値を感じて、お金を出す人がまだまだいるってことかな』

いかがでしょうか。なるほど、と思える説明だと思います。そして、秀司は『時計が時計として働くための心臓』という『テンプ』を指しながらこんな風に続けます。

 『一秒に数回、正確に振動させる技術が職人の腕の見せ所でね。これが動き出したとき、すべての重なり合った歯車に時計としての生命が与えられ、時を刻みはじめるんだ』

私も『機械式時計』を持っていますがこの感覚はとてもよく分かります。カチカチと動く小さな機械が動く様は見ていて飽きません。ここに表現されている通り、まさしく『生命が与えられ』という言葉を感じます。そんな『時計屋さんの時計への情熱』を感じるこの作品。この雰囲気感こそがこの作品の何よりもの魅力だと思いました。

そんなこの作品は、主人公の明里が『飯田時計店』の斜め向かいにある空き家になっていた『ヘアーサロン由井』へと引っ越してきたことから始まります。

 『今の自分は、人間としても女としても投げやりだ。仕事を辞め、恋人とも別れて、一人新天地へやってきた』。

美容師の資格を持つ明里がかつて美容室として営業していた『ヘアーサロン由井』へと引っ越してきたという前提からは、当然そこで美容室を開くというのが自然な成り行きです。しかし、明里は『美容師として働くことに抵抗を感じ』、『駅前のコーヒーショップ』でバイトをしながら暮らします。

 『なぜ今になってここへ来たのか、明里自身にもよくわからない。過去を変えることはできないのに』

そんな謎めいた思いを垣間見せる主人公の明里。一方の秀司も『時計の修理』を生業としているにも関わらず、不思議な姿を見せます。

 『彼は、動かない時計を腕にしている。亡くなったお兄さんの形見だという、心臓の止まった腕時計に、生命を与えようとはしない』。

それぞれに何かしらの謎を持つ二人。物語はそんな二人が関わり合いを持つ中に少しずつ二人それぞれの過去に隠された秘密が明らかになっていきます。そして、そんな前提の物語には、ファンタジーを思わせる書名の元となるこんな言葉が登場します。

 『おもいでの時 修理します』

『飯田時計店』の『小さなショーウィンドウの片隅に』ある『金属製のプレート』に書かれた謎の表記。物語はそんな前提の中に『思い出』というものに光を当てていきます。それこそが、

 『思い出って、修理できるものなのかな』

そんな言葉の先に『思い出』というものの正体に迫っていく物語は、それをこのように断定します。

 『思い出は、確かに生きていくために必要なのだ』、『それを足がかりに、たぶん、未来への階段をひとつ上る』

『思い出』というものを極めて冷静に見る視点は高い説得力を感じさせます。『思い出』がそうであるからこそ、その大切さがこんな言葉を浮かび上がらせます。

 『決着のつかない記憶、収まりのつかない思いは、霧みたいに漂い続け、視界を曇らせるだけだ。そうして、どこへ向かえばいいのかわからなくなる』

だからこそ、この作品の『思い出を修理する』という考え方が浮かび上がります。五つの短編が連作短編を構成するこの作品では、短編ごとに『思い出を修理する』という言葉の先にその結果を見せていきます。そして、結末の短編〈虹色の忘れ物〉が見せる物語、そこには主人公・明里が見る『修理』された『思い出』の姿を見る物語、『思い出』というものが私たちにとってどれほどに大切なものか、『過去は変えられない。でも、修復することはできる』という思いを感じさせる物語が描かれていました。

 『思い出を修理してくださるって、本当なのかしら』

私たちの誰もがそれぞれに持つ『思い出』。この作品にはそんな『思い出』というものに光を当てる物語が描かれていました。『時計の修理』に職人の魅力的な世界を感じさせるこの作品。どこかノスタルジックな街の雰囲気にも魅せられるこの作品。

ファンタジーではないのに、どこかファンタジーな雰囲気を感じさせる、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 谷瑞恵さん
感想投稿日 : 2024年4月8日
読了日 : 2023年12月16日
本棚登録日 : 2024年4月8日

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