春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2006年2月28日発売)
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感想 : 387
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『ゲート・ナンバーはB10だった。けれど税関も過ぎてそのゲイトに辿り着いてもどこにもラガーディアの文字はなかった。係員も誰もいない。不安になって…』というトロントからニューヨークへと向かわれる梨木さん。私もピッツバーグからトロントというマイナー路線に乗った時に似たような経験をしました。ゲイトに行っても薄暗く誰もいないその空間。時間が迫り来る中、たまらない不安感の中、10分前になって係員がようやく登場。そして超小型機が目の前に。結局乗客4名という衝撃的なフライトでした。他の人たちも特別な感情を持ったのでしょう。その中の一人の方が、『俺たちは選ばれた4人だ!行進していこう』というので降機してから一列に並んで歌を歌いながら行進したのを覚えています。外国人のノリのよさって凄いな…と、あの時を思い出しました。…と、書くとこれもエッセイみたいなものでしょうか。まあ、そもそも私のことなどどうでもよくて、早速ご紹介しましょう。「春になったら苺を摘みに」という不思議なタイトルのついたこの作品、これは梨木さんが初めて書かれたエッセイです。

ロンドンの南方にある南サリー州に半年間滞在することになった梨木さん。『三人の子どもがあり、上二人が女の子でアンディとサラ、一番下がビルという男の子だ』という二十年前学生時代を過ごしたウェスト夫人の下宿を訪ねます。『ウェスト夫人のキッチンの窓からは、スイカズラやアイビーが絡まる生け垣を通して、サリー家のサンルームが見える』と生活の中にもまず植物に目がいくのは如何にも梨木さんらしいところです。

そんな中、梨木さんはある時旅に出かけます。人は旅に出ると色々なことを考えるものですが、『山の方にひたすら歩いていくと道は砂利道、次第に細くなっていく』という道のり、『さっきから後方を歩いていた男性二人組にここで追い越される。「ハロー」「ハイ」しばらくいくとまた別の一組に追い越される』という段で梨木さんは『西洋人と自分との差を徹底的に感じさせられるのは、こういうときだ。がっしりした肩幅。厚い胸板。のっしのっしと迷うことなく確実に長い歩幅で進むその安定感とスピード』と感じ次のようにまとめます。『この調子で古代から次々に厳しい自然に挑んできたのだろう。また征服できると錯覚するのも無理はない気がする』。う〜ん、ここまで考えることが大きいと単なる山歩きが哲学の道のりになりそうです。そして、大きな岩で休む梨木さん。遠くに『動く黒い点が見える。双眼鏡で見るとやっぱり羊だ。その横でもう少し長い影が動く。双眼鏡でようやく人らしいことを確認する』。何がどうということのないあまりに普通の行動です。それを梨木さんは『まったく人間というのはなんでこんな必要もないことをせずにいられないんだろう』と書かれます。こんな普通の行為にそこまで意味を考えられるとは、もう梨木さんの前では人間のあらゆる行為が意味なしでは許されなさそうです。もっと気楽にいきましょうよ、と声をかけたくなります。でも、こういう風に考えていく感覚があの独特な作品群を生み出す原動力になるのでしょうか。

また、ウェスト夫人が語ったこんなエピソードへの言及もありました。ミーティングの途中に急に気絶して床に倒れてしまった女性を見たウェスト夫人。『その時、まあ、なんと鬘(カツラ)が外れてしまったのよ。誰も知らなかったんです。みんな息をのんだわ』という場面。そのとき、『ジャックが助け起こしたんだけれど、彼が駆け寄ってまず最初にしたことは何だったと思う?』と梨木さんに聞きます。『黙って鬘をさっと彼女にかぶせたんです。それが最初にしたことよ。それから助け起こしたの』と答えます。『すてきだと思わない?ジェントルマンよねえ』と言うウェスト夫人。う〜ん、これも日常のワンシーンですが、自分だったらどうするだろう?と思いました。こんな咄嗟の場面にこそ文化の違いというか、その人がベースで持っている考え方が自然に出るのかもと思いました。英国人男性はみんなジェントルマンなんでしょうか。

今まで何名かの作家の方のエッセイを読んできました。圧倒的にインパクトがあるのは三浦しをんさんだと思います。三浦さんの場合、読者がいることを前提にショータイムのようにエッセイを展開される印象を受けます。一方で梨木さんのこのエッセイは、イギリスやトロントで過ごした日々のことをそのまま淡々と記されています。見たまま、聞いたまま、そして体験したままの事ごとを梨木さんならではの表現に置き換えて淡々と文字にしていく、そして出来上がったのがこの作品だと思います。人によって好き嫌いはあると思いますが、私には少し入っていくのが難しく感じてしまいました。少し近寄りがたいというか。ただ、前述した三浦しをんさんは自著の中でこの梨木さんのエッセイを高く評価されているので、やはりこれは好き嫌いの問題なのかなとは思いました。

直前に「村田エフェンディ滞土録」を読みましたが、舞台となる国は違えど異国を表現する感覚に両者の中に似たような雰囲気感を感じました。特にウェスト夫人とディクソン夫人は私の中では同一人物なくらい重なりました。このエッセイを書かれた経験があったからこそ「滞土録」が生まれたんだろうなと感じました。そう、観光するだけでなく異国で生活する感覚、すれ違うだけでなく異国の人と交流する感覚、そして感じるだけでなく異国を理解しようとする感覚。「滞土録」のあの異国留学の奥深さはこのエッセイの先にあった世界なのだととても納得しました。

梨木さんの独特な世界観から生まれる作品たちが根差す土壌の感覚に少し触れることができた、そんな印象を受けた作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 梨木香歩さん
感想投稿日 : 2020年5月22日
読了日 : 2020年5月21日
本棚登録日 : 2020年5月22日

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