ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2006年7月28日発売)
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『恋とは、いったい何だろう。わたしが恋をしていたのは、ニシノさんという、ひとまわりも年うえのひとだった』。

『恋』とは何かという質問はなかなかに難しいものだと思います。それを”特定の相手のことを好きだと感じ、大切に思ったり、一緒にいたいと思う感情”のことです、と説明されても、はあ、としか言いようがありません。私は中学生の時にクラスのある女の子に『恋』をしました。いわゆる初恋というものです。好きで好きでたまらない、でも相手がどう思っているかなんて全くわからない、そして他のクラスメイトには決して知られてはならないこの想い。なんとも悶々とした日々を過ごしたことを覚えています。結局、その想いは叶うことなく、今頃彼女はどこで何をしているのだろう?という想い出に変わってしまいました。しかし、私にとって『恋』とは、もちろんそれだけではありません。高校時代にも、大学時代にも、そして社会人となってからも、それぞれの時代にさまざまな形で『恋』を経験してきました。そして、今となってはそんな過去の『恋』を懐かしく振り返ることもあります。

人によって『恋』というものの経験、歴史とは多種多様であって、それが同じである人はこの世に一人としていません。したがって、私の中学時代の初恋のように、何もせずに終わるというような『恋』を良しとはせずに、積極果敢に打って出る!ことを当たり前のこととしている人だっているかもしれません。そう、この世には、次から次へと女性遍歴を繰り返す人だっているのだと思いますし、『恋』のあり方として決してそれが間違ってもいないのだと思います。

この作品は『西野くん、いっぱいガールフレンドとか恋人とか、いるでしょ』と訊かれて、『そりゃあ僕は一種のなんていうか女たらしに近いものなのかもしれない』と答える一人の男の物語。そんな男が十人の女性とさまざまな『恋』の関係を見せていく物語。そしてそれは、十人の女性たちが、そんな男と出会ったことを思い出の一コマとして振り返る様を見る物語です。

『あのころ、みなみは七歳だった』と『わたしはまだ二十代』だった頃のことを思い出すのは、この章の主人公・夏美。そんな夏美は『あのころ、わたしは恋をしていた』と、『ひとまわりも年うえの』『ニシノさんに何回も抱かれた』時のことを思います。『わたしがニシノさんを好きであるほどはニシノさんはわたしを好きでないことがつらかった』と『ますますニシノさんを恋しくおもった』夏美。そんな夏美は『一度、夫が家にいるときにニシノさんから電話がかかっ』てきた時のことを思い出します。『保険会社の人』と夫から手渡された受話器に『はい』『ええ』『いいえ』と『言葉少なに』話す夏美の電話の向こう側で『きみをいますぐ抱きたい』などと話すニシノ。そんなニシノが『女の子がいいな、子供は』とみなみを連れてきて欲しいと願うのに従って、『みなみと一緒にニシノさんに会いに行く』夏美。しかし、そんな『みなみはニシノさんのことを何も訊ね』ませんでした。そして、レストランでは、『「パフェ」を「パフェー」とのばすように発音』しながら勝手に注文するニシノ。一方で『みなみは必ずパフェを残し』ました。そんなみなみが『おかあさん、ニシノさんて、不思議なひとだったわね』と言ったのは『十五歳になった春のころ』。その時、すでにニシノと会うことはなくなっていた夏美は『みなみがまだ十歳だった冬に』ニシノと別れたのでした。『ニシノさんと、おかあさんは、恋人どうしだったんだね?』と『わたしの目をまっすぐに見ながら』聞かれて戸惑う夏美は、『恋をしていたのか』、『好きだったのか』、そして『ニシノさんという人がほんとうにいたのかどうかすら』わからなくなります。『ニシノさん、元気かな』と訊くみなみに『元気でしょ、きっと』と返す夏美は、『あのころのみなみの目に、ニシノさんはどのようにうつっていたのだろうか』とも考えます。そして、『久しぶりに、わたしはニシノさんの声を聞きたくなった』という夏美。時は流れ、『みなみは、二十五歳になった』というある日、『おかあさん、庭に誰かが』と、みなみが呼ぶのを聞いて『ニシノさんだ』と直観した夏美。そこに『一陣の風が起こり、草がそよいだ。それから、全部の音が止んだ』という瞬間が訪れます。『おかあさん、来て』と庭から呼ぶみなみに、『ニシノさんらしき影が、繁った雑草の中に座ってい』るのに気付く夏美。『そのひとは、端然と座っている』という姿を見て『生きていたころのニシノさんはもう少し落ち着きがなかった』と思う夏美。『あれは、なに?』と訊くみなみに『みなみは、知っているでしょう』と返す夏美。『ニシノ、さん?』とつぶやくみなみ。そんな衝撃的なニシノとの再会が描かれるこの短編。この先に繰り返し登場するニシノの存在を強く印象づける好編でした。

「ニシノユキヒコの恋と冒険」というなんだか子供と一緒に読みたくなるようなほっこりした書名のこの作品。しかし、その書名とは裏腹にこの作品は決して子供と一緒に読むわけにはいかない男と女の『恋』の物語です。十の短編が連作短編の形式をとるこの作品は全編を通して登場する『西野幸彦』という男性の恋愛遍歴を、それぞれの短編に一人づつ登場する女性主人公たちと彼との関わりを通じて明らかにしていくという非常に面白い構成をとっています。似たような発想の作品としては、”四人(実際には五人)それぞれの視点で一人の男を描くのって斬新だし面白そうじゃないですか?“とおっしゃる柚木麻子さんが描く「伊藤くん A to E」という作品が思い起こされます。同作では主人公の伊藤誠二郎に視点が移動することはなく、それでいて最初から最後まで影の主人公の如く登場するという不思議な構成をとっています。そして、この作品で川上さんが描く西野幸彦も存在感は圧倒的で、最初から最後まで主人公たちを、そして読者をイライラさせたりモジモジさせたりするにも関わらず、決して彼に視点が移動することはなく、彼が取る行動の真意を読者が知ることなく物語は幕を下ろすというとても面白い立て付けです。

そんな川上さんのこの作品は柚木さんの作品よりさらに大胆、かつ面白い工夫がなされています。では、そんな全体の構成をそれぞれの主人公が西野幸彦をどう呼ぶかと各主人公との年齢差という視点も含めて各短編ごとの一覧にしてみたいと思います。

・〈パフェー〉主人公: 夏美(みなみの母親)(20代)、呼び方: ニシノさん(40歳)、関係: 浮気相手

・〈草の中で〉主人公: 山片しおり(14歳)、呼び方: 西野君(14歳)、関係: 中学の同級生

・〈おやすみ〉主人公: 榎本真奈美(33歳)、呼び方: ユキヒコ(30歳)、関係: 西野の上司

・〈ドキドキしちゃう〉主人公: カノコ(20代)、呼び方: 幸彦(20代)、関係: 大学の同期

・〈夏の終わりの王国〉主人公: 須永例子(30代)、呼び方: 西野くん(20代)、関係: セックスフレンド

・〈通天閣〉主人公: タマ(昴と同居)(21歳)、呼び方: ニシノ(31歳)、関係: ニシノと付き合う昴の同居人

・〈しんしん〉主人公: エリ子(飼猫:ナウ)(40歳)、呼び方: ニシノくん(35歳)、関係: いいお友達

・〈まりも〉主人公: 佐々木早百合(50代)、呼び方: ニシノくん(37歳)、関係: 省エネ料理の会に共に通う

・〈ぶどう〉主人公: 加瀬愛(19歳)、呼び方: 西野さん(50代なかば)、関係: 年の差カップル

・〈水銀体温計〉主人公: 御園のぞみ(20歳)、呼び方: 西野くん(18歳)、関係: 西野の学部の先輩

以上のような感じです。この一覧を見ながら西野の年齢と呼び方の二つの側面から見てみたいと思います。まず、年齢です。西野の年齢には若干の推測も入っていますがいずれにしても西野との関係もバラバラ、そして主人公の年齢も10代から50代と多彩です。連作短編としてさまざまな人物に視点が移動するのは当然ですが、そんな移動先の人物と関係を持つ西野の年齢が見事にバラバラであるのみならず、14歳から50代半ばと、西野からみると実に約40年という時代に渡って彼の女性遍歴を、彼から見ると順番バラバラに描いていくのがこの作品、ということになります。これは読んでいて非常に摩訶不思議な印象を受けます。ある話で西野は38歳なんだ、次の話で50代なかばになった、それが次の話では18歳の西野が描かれるというまるでジェットコースターに乗っているかのようにアップダウンする彼の年齢。この作品は元々「小説新潮」に連載されていた作品のようで、それを『本にするときに並べかえています』とおっしゃる川上弘美さん。そう、この不思議感は川上さんの意図的な短編の並べ替えから生じているものでした。しかし、40年にも渡る時間を描いているにも関わらず物語に時代感があまりないために違和感を全く感じさせません。そして、そもそも一体いつの時代の話なのだろうかというヒントが本文中に存在します。『生まれた年によど号がハイジャックされて、四歳のときにスプーン曲げの関口くんが登場した』と31歳の西野が語るこの場面。”よど号ハイジャック事件”は1970年3月31日に発生しています。この作品で西野は50代なかばの姿で登場もします。ということは、なんと西野が50代半ばで登場する短編では、舞台が202X年という、まさかのSF!の未来世界が描かれていることになります。これにはビックリです。

つぎに、それぞれの主人公が西野をどう呼ぶかです。一覧の通り、『ユキヒコ』、『ニシノくん』、そして『西野さん』と、主人公が西野を呼ぶ呼び方はそれぞれの主人公との年齢差、立場によってさまざまに変化します。呼び方が変わっても西野が西野であることに何ら変わりはありません。しかし、『ユキヒコ』と呼ばれる西野と、『西野さん』と呼ばれる西野から思い浮かぶ人物像はどこか揺らぐのを感じもします。『その人がニシノくんをどう呼ぶか、その人のニシノくんへの気持ちや距離をあらわしていると思います』と続ける川上さんは、『女の人たちの良さを書きたいなと思ったんです』ともおっしゃいます。そう、この作品はそれぞれの短編に登場する女性たちそれぞれの人生の物語であって、決して『西野幸彦』という人物を描いたものではない、だからこそ西野基準での年齢時系列になっているわけではなく、また、彼の呼び方もあくまでそれぞれの女性基準で変化していく、そういうことなのだと思いました。もちろん、『西野幸彦』という人物も、年を経る中で成長もすれば変化もあるのだと思います。『西野くんは食欲と同じく、旺盛な性欲の持ち主だった』というのは、全編に渡って感じられる彼の特徴だとは思います。また、『次の女を好きになったら、西野さんて、すぐに前の女と別れるの』と、半年くらいで次々と女性遍歴を繰り返す西野という男の軽いイメージは年が変わっても驚くほどに一貫性を感じます。『なんでニシノくんはこんなに浮気性でどんどん女の子を渡り歩くんだろうと、多少反発みたいな気持ちもあった』という川上さんの気持ちは恐らくそんな西野の40年にもわたる行動を目にする読者も同様だと思います。『失礼な質問だとは思うんですが、御園さんが誰とでもセックスをする、というのは、ほんとうですか』などと本人に平気で訊く無神経極まりない西野の存在には呆れを通り越して諦めの境地が湧く人もいるかもしれません。しかし、この作品を読み終えて感じるのは、そんな西野という男に対する軽蔑の感情以前に、それぞれの短編に登場した女性たちのどこか人生を諦観した生き方でした。年齢も境遇も、生き方も全く異なる十人の女性たち。そんな彼女たちの人生の、長い目で見ればほんの一瞬、ほんのひとときをある種彩った西野幸彦という男の存在。

『恋とは何だろうか。人は人を恋する権利を持つが、人は人に恋される権利は持たない』。

西野幸彦という影の主人公が接してきた女性たち、西野幸彦の女性遍歴をまとめたこの作品。『ユキヒコは、恋というものによって手負いにされたわたしを、飛び道具も使わずに、爪も牙も使わずに、いともかんたんに手に入れた』と恋に堕ちていく女性たち。しかし、それは『身のうちからわきでる、ふるえ。ユキヒコにとらえられたよろこびによって溢れでたふるえ』と感じる女性たちそれぞれにとって、そんな恋をする権利が満たされる喜びをそこに見るものだったのかもしれません。

男と女の『恋』の物語にあって、『そのまま蝉は、空へとのぼっていった。かすかな蝉の羽音が、いつまでも、わたしの耳に残っていた』といった美しい情景描写がそこかしこに登場するこの作品。川上さんらしい文章表現の魅力と構成力、それでいてぐいぐい読ませる推進力にすっかり酔わせていただいた素晴らしい作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 川上弘美さん
感想投稿日 : 2022年4月2日
読了日 : 2021年12月24日
本棚登録日 : 2022年4月2日

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