あと少し、もう少し (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2015年3月28日発売)
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感想 : 687
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父親とケンカをしたことがあった。小学校時代、見たいTV番組が重なっての主導権争いというやつだ。自分の見たかったものが何だったかはすでに記憶にない。でも父親が見たかったのが駅伝だったことははっきり覚えている。『そんなの後からニュースで結果を見ればいいだけじゃないか』自身が発した言葉をよく覚えている。

『僕』『俺』『俺』『俺』『僕』『おれ』の6人が繋ぐ襷(たすき)。18kmを走る中学生の駅伝大会。県大会出場を目指して、学校の伝統と名誉のために臨時編成されたチーム。この作品では、そんな彼らの駅伝のスタートからゴールまでを、それぞれの過去の記憶を織り混ぜながら描いて行きます。それに合わせて第一人称が区間毎に切り替わっていきますが、これが絶妙です。同じシーンにも関わらず人が変わると見えている世界が変わっていく、その意味までもが変わっていく、同じものを見ているはずなのにその意味がこんなにも違っていたことに驚愕します。

人はほんの些細なことにも意味をもって行動していることが多いと思います。他人から見ると何の意味もない行為が、その人にとってはとても大切なことがあります。その本当の意味を知るのはあくまで本人だけ。でもそれが伝わらない限り、他の人はそれぞれのロジックで片付けてしまう、これが誤解を生みます。そして、行き着く果ては戦争にもなるという人間社会の怖いところでもあります。

臨時編成の駅伝チームの6人、すっかり調子を取り戻した設楽、他を寄せ付けないパワフルな走りを見せる大田、一本筋の通った根性のあるジロー、スマートさに磨きのかかった渡部、本番に向けて勢いを増すばかりの俊介、そして何故か調子の上がらない桝井が順番に描かれて行きます。第一人称の切り替えに伴って、重なり合うように描かれる同じシーンの中にメンバーそれぞれの個性が活き活きと描き出される一方で、調子の上がらない謎が謎として残される桝井。そんな謎は桝井が第一人称になる第六区で明かされます。

『陸上だって団体競技だという人もいるけど、走っている瞬間は一人だ。快調に飛ばしていようが、苦しんでいようが、自分の区間を走るのは自分だけだ。』、桝井に過去の苦い記憶が蘇ります。スポーツは自分との戦い、団体競技としてみんなでやってきた道程を思えば思うほどに一人になった時の孤独感は辛いものです。駅伝だけじゃない。球技だって、ボールを持った瞬間は一人になるもの、この場面、この瞬間、最後は自分との戦いを勝ち抜かなくてはいけません。

でも一方で、『誰かのために何かするって、すげえパワー出るんだな』、たとえ最後に一人になったように見えても決して一人じゃない。一人になった場面、瞬間を見守る多くの人たちがそこにいる、仲間がいる。それを力に変える、力に変えていく、そこに結果がついてくる、それがスポーツ。

『今まで俺は何かをほしいと思ったことなどなかった。でも、今は渇望している。死ぬほどほしいものが、すぐ目の前にある。つかみたい。』という一途な気持ち。それぞれの勝利への想いと、それを見守る仲間たちの存在、それらが繋がりあって、輪になってゴールへ向かって物語は進みます。

ネタバレという言葉があります。結果を知ってしまったら興味が失われるということでしょうか。TVの主導権争いはジャンケンによって私が勝ちましたが、父親は駅伝を録画しました。そして結果をニュースで知ってしまった後に再生しているのを見て当時の私にはその行為が全く理解できませんでした。結果がわかっているのに、ネタバレした後に何を見るのか?何が面白いのか?でも今なら少し分かります。あの時、あの瞬間に父親が見たかったもの。

そして、襷(たすき)は渡された

『僕は残っていた力の全てをこめて、足を前へと進ませた。もう何も身体に残さなくていいのだ。全てを前に進ませる力に変えればいいのだ。』、こんな一途な『僕』『俺』『俺』『俺』『僕』『おれ』のひたむきで、力強くそしてまっすぐな物語。そんな彼らのまさに青春をかけたこの物語に、まぶしくて、輝く光に溢れたかけがえのない時間を共有させていただきました。

いいなぁ、この作品。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 瀬尾まいこさん
感想投稿日 : 2020年3月1日
読了日 : 2020年2月29日
本棚登録日 : 2020年3月1日

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