ぼくの小鳥ちゃん

著者 :
  • 新潮社 (2001年11月28日発売)
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思えば物語を読むというのは不思議なものです。同じ物語を読んでも感想を語ると見事なくらいに色んな意見が出ます。例えば『なにかが窓ガラスにぶつかった音。ふりむくと、窓枠に小鳥ちゃんがおっこちていた』というような文章を読んでも読んだ人の数だけ頭の中のイメージは違ったものになるはずです。読んだ人のそれまでの経験が頭の中のイメージを変化させるからです。でもそれが小さい子どもだったらどうでしょうか。まだ想像力を働かせることのできない彼ら。物語の出だしからイメージができないとその先を読む気が失せてもしまいかねません。そんな彼らの想像力を助けるために絵本があるのだと思います。絵本の原点が何なのか、色んな説がありますが、12世紀ころに生まれた絵巻物から始まったという説もあります。でもそれらは子どもを対象にしていたとは思えないものです。今でこそ、絵本と聞くと子ども向けと思ってしまいがちですが、絵本ってそもそも子ども向けのものなのでしょうか。

『小鳥ちゃんはいきなりやってきた』から始まるこの作品。これだけだと、その先の展開はいかようにでも想像ができます。でも、『「いやになっちゃう。中途半端な窓のあけ方」不満そうにぴちゅぴちゅ鳴いて、小鳥ちゃんは羽根をひろげて体をぶるぶるっと震わせた』、えっ?小鳥がしゃべった、ファンタジーか何かなのか?と感じる一方で、『バスケットは、ぼくのガールフレンドの忘れものだった。ふたをあけると、ハンカチとティッシュ、口紅と財布と運転免許証が入っている』、とこちらはやけに現実感のある描写です。

『「はぐれちゃった」窓の外をじっとみたまま、小鳥ちゃんはぽつんと言った』という小鳥ちゃん、そして『「小鳥がやってきたんならまき餌がいるわ」ぼくたちは食後のコーヒーをのんでいるところだ』という『ぼく』を中心として、『小鳥ちゃん』と『ぼくの彼女』の三人が絡み合うような絡み合わないような不思議なストーリーが展開します。

恐らく、これだけだと何のことだかさっぱりわからない世界です。でも、この作品には31枚もの挿し絵が描かれています。4ページに1枚という決まったパターンで最初から最後まで続くカラフルな挿し絵。その絵によって、この不思議な存在である『小鳥ちゃん』という存在のイメージが読者に共有されていきます。思えば平仮名がとても多い作品でもあります。これは子ども向けに書かれた絵本なのか?とも感じてしまいます。

でも読めば読むほどに、そんな挿し絵の小鳥が、文章に出てくる小鳥と同じなのかという妙な違和感が湧き起こります。『はぐれてしまった仲間に会える見込みはあるのかな』『ひどい、でていけって言うの?』『ちがうよ。そんなことは言ってない』『でていけってって言うのね。でていけって言うのね』ぼくと小鳥のこの会話だけだと、これはもう普通の男女の会話そのものです。物語のイメージを読者にわかりやすくしようとする挿し絵が逆に理解を混乱させてしまう不思議な世界観が描かれていきます。

挿し絵だけ見ていると子ども向けの絵本といってもいいような雰囲気のこの作品。でも一方で、文章ではぼくと小鳥と彼女の三角関係が描かれているようにも感じる不思議感。基本的に平易で平仮名の多い読みやすい文章に突然登場する『鉄の枠をはめた窓は把手つきの押し上げ式』、『小鳥ちゃんのお父さんは厭世的』、『「猫に頭蓋骨を砕かれて」非業の死をとげた』といった子ども向けじゃない感を纏った表現が登場する違和感。

これはもう、読む人の色んな経験と価値観によって読後感に相当差が生まれるような作品だと思いました。最後の解説で、角田光代さんが、『小鳥ちゃんに奇妙な共感をいだいてしまう』と書かれているとおり、人でない小鳥が人格を持ったかのような不思議なイメージがこの作品の特徴です。物語自体何が起こるわけでも何が変わるわけでもありません。でもそこから感じられる独特な雰囲気はとても強く印象に残ります。

絵本のように身近において、気軽に何度も読み返してもいい、そんなことを感じたとても不思議な作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 江國香織さん
感想投稿日 : 2020年4月4日
読了日 : 2020年4月3日
本棚登録日 : 2020年4月4日

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